世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

ワット・クータオで見たもの:チョーファーをみて考えた

2018-06-10 08:44:14 | チェンマイ

北タイの仏堂に在る切妻頂部、日本でいうところの鴟尾(しび)に相当するものをチョーファーと呼んでいる。このチョーファーとは神話上の聖なる鳥(ハムサ:ハンサとも云いタイでホン、ミャンマーでヒンタと呼ぶ)の頭部をデザイン化したものである。

写真はワット・クータオで見たチョーファーである。記憶がはっきりしないところもあるが、周りに結界石がなかったので、ウィハーン(礼拝堂)のチョーファーである。ところが、何とそのチョーファーはナーガであった。このナーガのチョーファーは初見である。北タイ20数年の定住者に尋ねると、北タイではたまに目にするとのことであったが、意味するところは不明とのこと。参拝した時に気になったので、目にした青年僧にたずねると、良く分からないとの回答であった。SNS上の情報を検索するがヒットしない。中国古代神話に羽をもつ飛龍が登場するが、似たような伝承が北タイに存在するのか?・・・ここらが精一杯で、この先に進めないでいるのだが・・・。しかしながらナーガのチョーファーをよく見ると、ナーガの頭部の上にクネッタ突起が見える。この突起はハムサをイメージ化しと云うのが定説のようである。

このチョーファーは、上述のようにハムサ(ホン)を表したものがほとんどであるが、時たま北タイでノック・ハッサディーリンと呼ぶ聖鳥を用いたチョーファーも存在する。写真はチェンマイのワット・ジェットヨートのハッサディーリンである。

 

その体は鳥だが頭部は象の鼻と牙を持つ大きな鳥で、象の5倍の力を持つと云う。この聖鳥は須弥山下のサット・ヒマパーンの森に棲むと信じられており、北タイでは上座部仏教の行事にも登場する。

ワット・クータオはタイ・ヤイ(シャン)族の菩提寺のようで、シャン族の少年の出家行事をポーイサンロンと呼ぶが、その季節になると境内は大賑わいとなる。ではタイ族やシャン族のチョーファーは何なのか? 更にその起源は何処に在るのか? 気になるところである。
下に掲げる写真について、当該ブロガーは実見経験が無いが、鳥越健三郎氏の著書に掲載されている、雲南奥地の布朗(プーラン)族の棟飾りの鳥である。氏の調査に対し村人は、“家族を守りに天から降りて来られる神の乗り物”であると説明したという。天から降りて来る神の乗り物とは、ミャンマーやタイで伝承されるブラフマー神が乗るハムサ(ホン)と同じではないか

 

以下、勝手な想像である。タイ族も漢族に追われて雲南・貴州から南下・西南下した民族である。そのタイ族の故地では、先の布朗族やアカ族等の山岳少数民族と隣接していたのである。鳥越憲三郎氏が掲げる高床式住居の鳥の棟飾りは、タイ族にとっても日常的な光景であったであろう。これがタイ族にとって寺院の棟飾り、つまりチョーファーになったであろうと想像している。少数民族の鳥の肖形物が、バラモンやヒンズー思想の及んだタイの地でハムサ(ハムサとはブラフマー神(タイでプラ・プロム、日本で梵天という)の乗り物)に化けたものと考えている。そして、邪悪なものの侵入を見張る役目を帯びていたのではないか? つまりチョーファーの役割は、少数民族の鳥の肖形物の棟飾りと同じであると考えられる

以下の噺は、ややこじつけの感じがしないでもないのだが・・。このチョーファーと東大寺大仏殿の鴟尾(しび)の源流は同じではないか・・・? 鴟尾の鴟は訓読みで『とび』と読む。大空を旋回する鳶である。

『夢技塾・徳舛瓦店』のHPによると、中国・後漢の時代、大棟の両端を高くした棟飾りを『反羽(はんう)』と呼んでおり、反りあがった羽という意識があったと考えられる・・・と記されている・・・ここでも鳥がでてくる。中國深南部山岳少数民族の民俗・風習が南下してタイの地でチョーファーとなり、北上して反羽や鴟尾になったのであろうか?・・・と、云うようなことをナーガのチョーファーを見て考えた次第である。

<了>

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿