世界の街角

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村田製作所に死角はないのか?・#4

2019-07-11 07:08:13 | 村田製作所とTDK

強み弱みの記事が五月雨で恐縮である。日経ビジネス6月3日号によれば、常務執行役員生産本部長・酒井範夫氏は課長時代に”机の下の研究”で樹脂多層基板を事業化したとの記事が掲載されていた。酒井氏は”机の下の研究”と呼ぶようだが、我々少なくとも筆者は、これを”内職”と呼んでいた。

画期的な新商品や新工法・新開発製造設備は、創造的なアイデアや時には思い付きからスタートするものである。従って失敗・お蔵入りも多い。これらを最初から開発テーマに掲げれば、それなりの開発予算もつくが、数カ月に1回の進捗報告会が必要である。成果がでなければ、即刻業績評価に結び付く。怖くてできるわけはないし、部下に遣らせるわけにもいかない。そこで内職が始まる。しかし新商品開発にしても、新工法開発にしても金がいる。そこで部門予算から苦労して捻出したり、別の登録済み開発テーマ予算の横流しで対応していた。内職を担当するメンバーに、その内職仕事を100%の負荷で遣らせるわけにはいかない。失敗した場合に業績考課の評価のしようがないためである。従って多くても30-40%の負荷で遣ってもらうことになる。その内職の目途がたてば、晴れて開発テーマ登録となる。

MLCCが自動車に採用されるであろうとして、28-29年前から耐高電圧特性、耐高温度特性に優れる新商品開発に着手した。MLCCの中古設備を流用してのスタートであった。前述のようにさらさらと書いたが、夏場運転中のエンジン室内温度は60-70度はざら、夏場の室内温度も70度はざらである。逆に冬場の北海道はマイナス40度程度を想定すべきである。まさにヒートサイクル試験が日常として開発する必要がある。この自動車用のMLCC開発を大樹とすれば、それにまつわる材料開発・工法開発のうち内職仕事は、うろ覚えであるが30%程度であったか?

約30年前に自動車用に開発したMLCCがこれから花形になろうとしている。電装化はますます進展しEVが花形になればなるほど収益源となる。

酒井氏が述べるように、机の下や内職を認めるような自由な雰囲気が存在した。創業者が大切にした創造性を担当者から上司の管理職まで大切にしたのである。しかし、暗黒の時代が忍び寄っていた。2000年初頭と日経ビジネスは記すが、それ1990年代末からで、ITバブル崩壊以降顕著になった。モノが云えない雰囲気で、指示待ち人間を大量に育成した。

現会長兼社長の村田恒夫氏と大番頭であった藤田氏が大ナタを振るうこととなった。この時期はmuRataの危機であった。続きは次回。

 

<続く>

 


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