世界の街角

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出雲井社の岐神

2020-10-18 07:23:55 | 古代出雲

出雲大社の東2km程であろうか、北山連峰の麓に出雲大社の摂社である出雲井社が鎮座している。祭神は岐神(クナトのカミ)である。

社殿の背後には磐座をみることができるが、二本の立ち木に遮られて全貌が掴めない。

そこで磐座の裏手に回ってみた。ここでも笹竹に覆われていたが、全容はつかめた。

祭神・岐神(クナトのカミ)には異伝とも云える多くの伝承がのこっている。先ず社殿というか、大きな祠堂前に立つ由緒を御覧いただきたい。

岐神は大国主命に従う従順な神のようにうかがえるが、謎に満ちた神のようである。

出雲王朝の末裔である富氏の遠祖がクナト(久那戸)大神を祀っていたという。以下、斎木雲州著『出雲と蘇我王国』、吉田大洋著『謎の出雲帝国』による。特に吉田大洋氏は故・富當雄氏にインタビューをして、この書籍を著した。この両書からみえてくるのは・・・

〇富家は出雲井社で、代々の口承を語り継いだ。

〇出雲神族は、紀元前2500年頃(縄文後期)シュメールから渡来した。あるいは、アーリアンに追われたドラビタのクナト王はドラビタ人を連れ、シベリアから北海道に渡海し、ついに出雲に移住した。

〇大国主命が少彦名命とともに国造りをする前から、クナト大神は出雲を支配していた。

〇出雲神族は、天孫族と長い闘争の末、首長権を奪われ滅亡した。

〇出雲神族の紋章『亀甲』は、バビロンの龍蛇神マルドゥクのシンボルと同じである。

〇富氏の大祖先はクナトの大首長、女首長はアハバラキ。天孫族によって祖先が抹殺されようとしたとき、クナトは地蔵に、アハバラキは弁才天に変身した。

縷々記載したが、省略した点が多く一部のみ記載した。御覧の各位はどのように感じられたであろうか。一見して2500年前に地蔵や弁才天が存在したのか? 佛教伝来以前の大昔である。

但し、クナトのカミは日本書紀に登場する。イザナギは黄泉平坂にたどり着くと、千引の磐でその坂道塞ぎ、持っていた杖を投げられた。これを岐の神と云ったが、別名来名戸祖神(くなとのさえのかみ)と云う・・・と記されている。したがってクナトのカミは相当古いが、出雲井社の謎の伝承の真偽については判断できない。出雲には謎が多い。

尚、富氏を祀る富神社は出雲市斐川町富村に鎮座する。別の機会に紹介したい。

 

<了>