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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

比布智神社の陰陽石

2020-09-01 06:44:39 | 出雲国

3-4カ月前であろうか、出雲・下古志にアニミズムの典型としての陰陽石があるというので出かけてみた。

出雲では国津神を祀る社が多いが、ここは比布智神社は天孫を祀る。祭神の筆頭は伊弉諾(イザナギ)尊ではなく、伊弉冉(イザナミ)尊であるという。伊弉冉は女神であるが、何か謂れがありそうだ。

天孫族を祀る神社であろうと本殿は大社造りである。さすがに出雲を感じる。その本殿に向かって左の垣のそとに陰陽石は鎮座していた。

陰陽石の謂れは垣に掲げられているので記載省略する。子宝祈願にもご利益があるであろう。

この比布智神社の周辺は、それなりの見どころがある。『しまね花の郷』と朱鷺飼育施設である。朱鷺飼育施設は一般公開されている。

<了>

 


佐太神社

2020-08-28 08:17:32 | 出雲国

過日、松江市立鹿島民俗資料館へ行った折、久しぶりに佐太神社に参拝した。

(向かって中央が正中殿、右が北殿、左が南殿)

佐太神社のパンフレットによれば、主祭神である佐太大神の『サダ』とは伊予・佐田岬、大隅半島の佐多岬などの地名にみられる岬の意味で、島根半島一円の祖神である。この大神の誕生秘話は出雲国風土記にみえ、当社から十キロばかり離れた日本海に面する加賀の潜戸と呼ばれる神𥔎の窟(いわや)に金の弓矢を射ってお生まれになった・・・と記されている。

佐太大神は世に云う猿田毘古大神であるとも記されている。Wikipediaによれば猿田毘古は、「邇邇芸命が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた。道がいくつもに分かれている所)に立って高天原から葦原中国までを照らす神がいた。『日本書紀』では、その神の鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いているという姿であった。そこで天照大御神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。その神が国津神の猿田毘古神で、邇邇芸命らの先導をしようと迎えに来た。」・・・とある。国津神でありながら天孫族とごく親しい間柄である。出雲では大国主や須佐之男命の一族神が多いが、佐太大神はやや珍しい存在であろう。

社殿が珍しい。真ん中を正中殿とし、ここに佐太大神と伊弉諾尊・伊弉冉尊が祀られ、北となりを北殿とよび天照大神、邇邇芸命を祀る。南隣を南殿とよび須佐之男命を祀っている。まさに出雲系と天孫族神のオンパレードである。

正中殿の神門には、扇の神紋が掲げられている。不勉強で何もしらないが、これは佐太大神の神紋であろうか?

北殿の神門には二つの輪の神紋である。これは天照大神?それとも邇邇芸命?

南殿の神門には二重亀甲紋である。これはスサノオの尊の神紋であろうか?・・・これらのことどもについては全くの無知である。なにやら謂れめかしいことが沢山ありそうだ。

佐太大社もまた神在月のころに参拝するのがBestである。

<了>

 


鳥屋(とや)神社の社日塔

2020-05-18 14:05:17 | 出雲国

国譲り神話で建御名方命は、天孫族のタケミカズチと勝負し、投げ飛ばされて諏訪の地に逃げ延びられた。諏訪大社のお祭神が建御名方命であることは著名であるが、出雲でも建御名方命を祀る神社が在る。それが鳥屋神社で、神紋も諏訪大社と同じ梶の葉である。延喜式神名帳には「鳥屋社」とあり、古い時代から当地に鎮座されているようだ。

過日その鳥屋神社に参拝した。すると境内の奥まった処の「社日塔」で祭りがあった様子。何やらアニミズムの匂いが芬々する。

社日塔の前には注連縄が張られ、その社日塔には稲穂と榊が注連縄にてまかれている。見るからに最近祀りがあったようだ。

社日とは産土神(うぶすなかみ・生まれた土地の守護神)を祀る日で、春分と秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日とされる。産土神に参拝し、春には五穀豊穣を祈願。秋はその収穫に感謝する。

以下、Wiki Pediaによる。古代中国で、社日の「社」は土の神を指しており、その「社」を祀る祝日であった。これが日本に伝わり、土地神や田の神、山ノ神信仰と結びついたと云われている。しかしその時期について、言及する資料には出会っていない。

「社日」について検索中に、AERAdot.の次の一文が眼に入った。“中国雲南省の少数民族白(ペー)族は、「本主(ベンチウ)神」と呼ばれる神を信仰する農耕民である。白族は漢民族の道教・儒教・仏教等々を取り込み、「本主神」を本主廟に、さまざまな外来の神とともに祀ってきたといわれ、外来の宗教を取り込んで混ぜ合わせながら、古い信仰や神々も祀り続けて来た日本の寺社信仰形態と似ているといわれている“・・・とある。

つまり、日本も古来からのアニミズムと習合したのが、社日の祀りにほかならないことになる。・・・こんな祀りが粛々と行われているのが、なんとなく嬉しい。

鳥屋神社と建御名方命については、上掲の写真に説明されている。参道を入ると、写真の社号標がすぐに目に入る。所在地は下を参照願いたい。

 

<以上>

 


コロナ封じの疫病神社

2020-03-21 06:45:24 | 出雲国

東西南北、新型コロナである。そういえば出雲市湖陵町大池に疫病神社があることを思い出した。早期に収束するようお参りした。

その疫病神社とは出雲国風土記に記される美久我神社(延喜式神名帳には彌久賀神社)の末社である。

末社である疫病神社の御祭神は、 少名毘古那神(すくなびこなのかみ)、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おほまがつひのかみ)の三柱の神々である。この社の縁起がハッキリしないが、起源は吉田真道にあるようだ。

いずれにしても、疫病封じの社である。少なくとも近隣ではコロナウィルス罹患者がでないようにお祈りしたが、御利益のほどは・・・。

<了>

 


出雲・長浜神社と国引き神話

2020-03-02 14:17:24 | 出雲国

出雲・長浜神社の由緒は、はっきりしないところがあるようだ。神社の由緒書によると「出雲社」とあるが、これは『出雲国風土記』に記されているものの、出雲郡条の記載であり、長浜神社が鎮座するのは神戸郡である。出雲国風土記による比定説は、やや難がありそうだが古い歴史を有していると考えられる。

この社の主祭神は八束水臣津野命である。八束水臣津野命を主祭神として祀る社は、全国で10社にも満たない。其の中で出雲国は五社を数え、著名なる社が長浜神社である。

国引き神話とは・・・

意宇と号る所以は、国引き坐しし八束水臣津野命詔りたまひしく「八雲立つ出雲の国は狭布の雅国なるかも。初国小く作れり。故、作り縫はな。」と詔りたまひて、「拷衾志羅紀(たくぶすましらぎ)の三埼を、国の余ありやとみれば、国の余あり」と詔りたまひて、童女の胸鉏(むなすき)取らして、大魚の支太(きだ)衝き別けて、波多須々支穂(はたすすきほ)振り別けて、三身の綱打ち挂けて、霜黒葛闇耶闇耶(しもつづらくるやくるや)に、河船の毛曽呂毛曽呂(もそろもそろ)に「国来、国来」と引き来縫へる国は、去豆(こず)の折絶(をりたえ)よりして、八穂米支豆支(やほしなきづき)の御埼なり。かくて堅め立てし加志(杭)は、石見国と出雲国の堺なる、名は佐比売山、是なり。亦、持ち引ける綱は、薗の長濱、是なり。(略〜同様に佐田の国・闇見の国・三穂の埼と計4回国引きする) 「今は国引き訖へつ」と詔りたまひて、意宇杜に御杖衝き立てて「意恵(おえ)」と詔りたまひき。故、意宇と云ふ・・・とある。

出雲の国引き神話は、国土の水平移動である。この種のタイプの神話は、南方系神話の特徴とされており、山陰の古代(上代)の何がしかに、南方の匂いがするが、この国引き神話もその一つである。

(一の鳥居)

(拝殿)

(本殿)

噺がそれたが、この長浜神社が面白い。本殿は大社造りで変哲も何もないといえば語弊があるが、本殿の裏手が面白い。

大和・三輪の大神神社にある三輪式の鳥居があるではないか。向かって右が岐(くなど)神社の双体道祖神と祠、中央が夫婦石で左が男根、右が女陰である。左は荒神であった。

先に大和へ旅をした。天孫族の痕跡をみたのは橿原神宮で、大神神社をはじめとして、出雲系の諸神を認め、男根・女陰のまさにアニミズムに遭遇した。この長浜神社も瓜二つである。やはり古様を示しているであろう。

<了>