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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

旧・石見国安濃郡大田南村の才ノ神

2019-12-24 09:10:36 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

旧・太田南村と吉永村の境を才ノ峠(当地では”さいのと”と呼ぶ)と云い、峠の頂上に才ノ峠神社が鎮座し、その祠に才ノ神が祀られている。

先ず、場所をグーグルアースを借用して紹介する。

大田南村と吉永村の間には山塊が横たわっている。今日、写真の中央部分の山塊は削られ家並となっている。才ノ神を祀る神社付近を拡大すると、以下の通りである。

グーグルアースでは分かり辛いが、神社がある処が峠の頂上になる。

写真の右側が大田南村への旧道。左の坂は現代の住宅地向けにつくられた道路である。その道路建設のために、写真中央の位置に神社は遷座された。つまり才ノ峠の頂上に才ノ神が祀られていたことになる。

才ノ神は賽の神とも云い、Wikipediaによると、賽の神は村や集落の境にあって、他から侵入するものを防ぐ神。邪悪なものを防ぐ塞の役割を果たすことからこの名がある。道祖神とも云う。村境は異郷や他界との通路であり、遠くから来臨する神や霊もここを通り、また外敵や流行病もそこから入ってくる。それらを祀り、また防ぐために設けられた神である・・・と記している。つまり才ノ神も賽の神も道祖神も結界を示していることになる。

大田南村と吉永村の境に在る才ノ峠にある道祖神は、峠の頂上に鎮座していることから才ノ神と呼んでいることになる。ところでそれは、写真の祠に安置されているが、双体道祖神か男神かはっきりしない。祠の扉を開ければ分かるのであろうが、御開帳でもない限り、怒りに触れて祟りがあれば大変である・・・といことで祠の内部は分からない。

いずれにしても、道祖神は集落の境に存在し、邪悪なものの侵入を防ぐ結界の役割を、果たしていることを現認することができた。

<了>

 


出雲郡宇賀郷の道祖神

2019-12-22 12:22:52 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

Wikipediaによると神話のクニ出雲には、道祖神が少ないと記している。個人的には少ないとは思わないが、Wikipediaに記す出典が分からないので判断できない。

それらの道祖神は、旧出雲国西部に限って云えば、都我利神社の道祖神、長浜神社の道祖神、雲南市木次町・日御碕神社の道祖神、宇賀神社の道祖神がある。今回は宇賀神社境内に合祀されている道祖神を紹介する。

出雲国風土記(733年成立)を持ち出すからには、宇賀神社は相当古いと思われる。その縁起が社頭に掲げられているので、後程その写真を掲載しておく。

宇賀の地名伝承は、縁起にも記されているが、大国主命が綾門姫(あやとひめ)に求婚された。姫は承諾せず逃げ隠れられた。大国主命が伺い求められたのが、この郷であるゆえ宇加と呼ぶようになった・・・とのことである。従って祭神は大国主命と綾門日女命である。その境内に双体道祖神が3基、男神道祖神が1基合祀されている。

先ず宇賀神社から紹介する。由来(縁起)には式内社とある。相当古そうだ。


本殿は出雲に多い大社造りとなっていた。

再び、出雲風土記に戻る。その風土記を遡る古代の当地は、日本海と入海に挟まれた島状の地であった。そう国引き神話に記される志羅紀 (しらき:新羅) の三埼を引き寄せた地である。

(出典 島根県hp・出雲国風土記  出雲郡より)

グーグル・アースから現在の地形で示すと、以下のようになっている。

口宇賀には宇賀神社、奥宇賀には奥宇賀神社が鎮座しており、出雲国風土記の時代から集落が存在していた。口宇賀の宇賀神社は美談郷と接している。従って集落の境に存在したと云われる道祖神が在ることは頷ける、しかし、宇賀神社には先ほど記した4基の道祖神が鎮座する。これらの道祖神は、集落の境に分散していたと思われるが、これは後世に宇賀神社に集めて合祀されたものと考えられる。それでは、それらの道祖神を見てみることにする。


鳥居を潜って左側に、写真の道祖神を祀る祠があった。向かって左は男神、右は双体道祖神である。

右の双体道祖神である。田舎の鄙びた造形であろうと考えていたが、衣冠束帯でややびっくりした。

鳥居の右側は、写真の双体道祖神を祀る2基の祠が並んでいた。これも衣冠束帯である。

大国主命と綾門姫を祀る神社に、夫婦和合を示す道祖神を集めて祀っているのも何となく理解できた次第であり、そこは集落と集落の境(宇賀郷と美談郷)であった。

 

<了>

 


下京の道祖神社

2019-12-17 06:00:50 | 道祖神・賽の神・勧請縄・山の神

京都駅とオムロン京都事業所ビル近く(京都市下京区油小路通塩小路下ル)に道祖神社があるということで出かけてみた。

道祖神と云えば、村や集落の境や山の峠に鎮座している石造の双体像が一般的であるが、それが神社として社を構えているのは、珍しいであろう。

祭神は猿田彦大神と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の夫婦神で、二枚目の写真の道路標識のような吊り下げ標識に『えんむすび』としるされている。道祖神は縁結びの神のようである。先にも記したが、村や集落の境や山の峠に鎮座しており、邪悪なものの侵入を見張る・結界の役割を持つとも云う。

この道祖神社の双体像は、何時できたものか詳細を知らないが、京都らしく平安貴族の衣装である。さすが京都、田舎の鄙びた印象はない。

 

<了>