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世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

謎の陶片は、やはりサンカンペーンのようだ(2)

2018-08-12 07:29:12 | サンカンペーン陶磁

<続き>

前回記載の事を受けて、具体的にサンカンペーンの何処で出土したものか、4度目のチェンマイ大学人文学部陶磁資料室である。前触れもなく訪問したので、担当教授は不在であったが、人文学部のKuriansaku教授に対応して頂いた。先ずは謎の陶片と再会である。

先ず白化粧の可否確認であるが、胎土は白味を帯びた灰色であるが、断面を確認すると薄く白化粧されているようにも見えるが、顕微鏡がない限り確かなことは云えない。

次に肝心のサンカンペーンのどこから出土したのか?・・・教授に確認すると、下写真のリストを持ち出し、サンカンペーンと説明して頂いた。

リストの最上段に記載されているのは、C2/2559/3Qで陶片裏面の資料No,と同じである。そして白抜きで記載しているが、小さくて読みにくく申し訳ない。最初の白抜きは陶片の特徴が記載されている。その下に発見場所(出土地)がサンカンペーン・グループ オンタイ地区サンカンペーン郡チェンマイ県と記載されている。残念ながら具体的出土地が記載されていない。更に下の白抜き文字は保管場所と記載されている。

Kriansak教授に、サンカンペーンの具体的出土地を訪ねるも、自分には分からないとのこと。4度目の訪問であったがまたしても、具体的な場所は分らずしまいであった。しかし写真のように立派な陶片リストが存在している。北タイのどこかの窯から持ち込まれたとの疑念が無いわけではないが、北タイ陶磁の泰斗で英国人のショウ氏もその著作で、同様な陶片をサンカンぺーン?と記述されている。

このような陶片がサンカンペーンないしはサンカンペーン?として複数存在することは、サンカンペーンの蓋然性が高いとも思われる。

そうであれば、サンカンペーンの最大特徴である、重ね焼きのための口縁の釉剥ぎでは無い焼成技法が存在したことになり、サンカンペーン陶工の背景は幅広いものとなる。この系譜を遡れば、単に北タイでは収まり切れず、ランナー以外に繋がる可能性がある。話は飛ぶが、ラオスから出戻りの可能性が高い謎の大壺の一群がある。それは、サンカンペーンの当該陶片と似かよった装飾技法であり、謎は深まるばかりである。これらのことは、過去にも触れたが、いずれ再掲してみたい。それにしても北ベトナム、雲南の詳報が欲しいが、手繰り寄せられていない。

<了>

 


謎の陶片は、やはりサンカンペーンのようだ(1)

2018-08-11 07:38:21 | サンカンペーン陶磁

2015年8月8日に『驚きのサンカンペーン複合装飾技法?』とのテーマで、下記のようにUP Dateしていた。それを再掲することから始めたい。

『驚きのサンカンペーン複合装飾技法?』

チェンマイ大学陶磁資料室への初回訪問時、担当教授は不在だったが、幸いにも陶磁資料室を見学することができた。窯址発掘調査で出土したと思える、サンカンペーンの破片を展示するケースの中に、青磁刻花文の断片が展示されていた。
そのことは、2015年7月1日付けの当該ブログ「チェンマイ大学陶磁資料室#2」で紹介した通りである。それは当該ブロガーにとっては初見であった。しかし異なる窯址の断片の可能性もあり、再確認は必須であった。
それに関し、8月6日に再訪したが残念ながら、またもや担当教授は不在であった。事務室のような部屋にいる人に尋ねると、アポイントがとれるとのことで、8月7日午前10時半とした。その時刻に三度目の訪問である。

20年ぶりに正門からのアプローチである。そこから構内循環の1番バスに乗り込み、目的の陶磁資料室にむかった。

破片を取り出し手で持ち、写真撮影も許可して頂いた。○と左右に○があるような結び文は印花文で、山谷のような二重線の波文のような文様は刻花文で、その二重線の間に点を刻んでいる。更に鍔縁には盛り上がった波文様をみる。これは細く伸ばした粘土紐を貼花にしたものである。

上の写真はその鍔縁を拡大したものである。印花、刻花、貼花とおよそすべての技法を用いている。サンカンペーン愛好家には御存知の方もおられたと考えるが、当該ブロガーにとっては初見である。
その文様は、パヤオやナーン・ボスアックに通じるような印象であり、従来考えていた以上に、サンカンペーンは幅広く奥行きも深いものがある。ただ残念だったのは、またもや聞き忘れた。サンカンペーンのどこの窯址から出土したのか?

聞き漏らしたもののヒントは胎土にある。みると薄い灰色で磁器質に近く白化粧されていない。過去この種の胎土を見た記憶がある。それはワット・チェンセーン古窯址で陶片採取すると、固く焼きしまった灰色胎土であった。その採取片に白化粧があったのか、無かったのか思い出せない。帰国後その陶片の再確認が必要である。

いずれにしても、サンカンペーンには、この種の複合技法は存在しないと、思っていただけに想定を超える印象である。再度サンカンペーンのオリジンや影響関係の再構築が必要であるとともに、サンカンペーン陶磁ではなく、サンカンペーンの陶工が参考にした他窯の陶磁が、サンカンペーンの窯跡から出土した可能性も残っている。更なる追求が必要であろう。

以上の内容をUP Dateしていた。アポイントをとったにも関わらず教授にあうことはできなかったが、研究生がリストでしらべるとサンカンペーン出土とのことである。しかし、そのリストなるものの現認を忘れてしまった。そこで過日、それを確かめるべく、またもや陶磁資料室を訪ねた。それについては次回紹介したい。

<続く>


<ブログ掲載1000回記念・北タイ陶磁特集>サンカンペーン印花魚文の装飾技法

2018-04-04 07:50:51 | サンカンペーン陶磁

サンカンペーン印花魚文の装飾は、以下の組み合わせにより成立している。その内容について順を追って説明するが、パヤオと同様に多様性に富んだものである。装飾の構成は「器胎形状」、「釉薬の発色」、「魚文数」から成立している。

「器胎形状」

1.鍔縁

2.カベットの鎬加工方法(形状)

器胎成形に僅かながら違いを認めることができる。ここで1.鍔縁形状は、大別して、下の2種類がある。

1)立上がる鍔縁・・・量的には少ない

2)横に開く鍔縁・・・一般的にこれを鍔縁と呼ぶ。量的に多い。

次に2.カベットの鎬加工方法である。

①  片切り・・・L字形の刃物を上から下へ運び、片切りのように鎬を形成

②  丸削り・・・丸みをもつ刃物を上から下へ運び、縦縞文様を形成する

「釉薬の発色」

 A 光沢褐色(飴色)

 B 無光沢褐色

 C 黒褐釉

 D オリーブグリーン

「魚文の数」

 ア 双魚

 イ 三魚

 ウ 四魚

以上の組合せにより、実に多数の装飾文様が存在する。以下、代表的な事例を紹介する。

〇褐釉印花四魚文盤・・・バンコク大学付属東南アジア陶磁博物館

組合せは1)-①ーA-ウの組合せである。釉薬表面に油をはじいたような斑が見られるが、これはサンカンペーンの特徴の一つである。この鎬をどのようにして形成したのか? 九州の小鹿田焼のように、飛び鉋の技法とも考えられるが、鎬形状の規則性がうすく、掘り込みの深さもそれなりであり、L字形の刃物で上から下へ、彫り込んだものと思われる。

20年以上前にバンコク・オリエンタル・ホテル近くの骨董店で、印花四魚文盤を1回見た経験があるが、上掲盤は2点目で、数量は極めて少ない。

〇褐釉印花双魚文盤・・・バンコク大学付属東南アジア陶磁博物館

2)-②ーA-アの組合せである。彫刻刀の丸刃のような道具で、カベットを縦に削り取っている。この手の鎬というか縦縞文様は、比較的少ない。

〇褐釉印花双魚文盤・・・当該ブロガー・コレクション

2)-②ーB-アの組合せで、釉薬に光沢はない。

前掲盤に比較し、幅の狭い丸刃でカベットを縦に削り取った鎬文で、釉薬表面に光沢は無く、日本で云う伊羅保釉のような発色である。

〇黒褐釉印花双魚文盤・・・当該ブロガー・コレクション

2)-①ーC-アの組合せ。黒褐釉としたが、緑掛かったようにも見へ、サンカンペーンでは希少。

 

〇青磁印花双魚文盤・・・当該ブロガー・コレクション

2)-①ーD-ウの組合せ。釉薬の発色はオリーブグリーン。

以上、5事例を紹介したが、一見単調に思える印花魚文ではあるが、多様な技法が存在することをご理解頂けたであろう。

 

 


サンカンペーン印花双魚文の系譜#4

2018-03-30 07:25:46 | サンカンペーン陶磁

<続き>

前回までのように中国、北タイの魚文様を見てきても、羅列では比較しにくい、そこでこれらを一覧表にした。御覧願いたい。

各位、形状比較で、どのように感じられたであろうか? 北タイでの印花双魚文の初出はパヤオと考えているが、そのパヤオの魚文を見ると、魚文の印象や尻鰭の形状に、やはり龍泉の影響を見ることができる。魚体が背側に反りあがる様は、耀州窯のそれに、腹側が凹み背側に盛り上がる様は、同安窯のそれに似ている。ナーンとサンカンペーンは、パヤオの文様から派生したであろうと考えられる。ここでこれらの窯間の比較要素を抜粋して、一覧表にすると以下となる。

パヤオは鰭の個所別個数では、龍泉の影響を受けたであろう。また印花凹版は耀州の影響が考えられる。サンカンペーンとナーンはこれら中国諸窯というより、パヤオの文様から派生したと考えている。以上、長々と記述したが、北タイの双魚文様は、巷間云われている龍泉の影響のみではなく、耀州や同安等々の間断なき情報や、現物を参考に生み出され、パヤオにて本家を凌ぐバラエティー豊かな文様が生み出されたと考えられる。

 

以下、付録の余談で信憑性については、現段階では裏がとれておらず、まさにお噺の段階である。掲げた盤は、2015年10月3日のバンコク・リバーシティ・オークションハウス(旧名:リバーサイド・オークションハウス)に出品された『スコータイ(16世紀)青磁双魚文盤(出品番号LOT007)』である。

 

事実とすれば、オリーブグリーンと云うより、褐色に近い発色の青磁が、スコータイ窯に存在することも驚きだが、貼花か凹版の印花かは別として、写真のような双魚文が存在することが、大きな驚きである。スコータイのスペシャリスト・K氏にお会いする度に質問しようと思っているが、お会いする度に尋ねるのを失念している。一方、リバーシティー・オークションハウスは、出品前に審査しており、怪しいものはハネられている。そう考えれば信憑性はあると思うが・・・いまだ?である。事実とすれば、モン(MON)族の介在以外何物でもないとの印象を受ける。当件に関してはお噺の段階であり、今後継続して調べる所存である。

 

                         <了>

 


サンカンペーン印花双魚文の系譜#3

2018-03-29 09:02:44 | サンカンペーン陶磁

<続き>

 

写真は杜文著「耀州窯瓷」掲載の、金時代の双魚文陶範である。尻鰭は孤を描き、口は開いている。背鰭2箇所、腹鰭2箇所で先の龍泉窯の貼花文と比較し、鰭の箇所別個数は異なっている。この陶範は凹版で、その特徴は成形すると、浮き上がった文様になる点にある。そこで、中継点であろう安南の印花双魚文であるが、先述のように詳細不詳で、これについて考察できないのは残念である。

いよいよ北タイの双魚印花文である。北タイではサンカンペーン、パヤオ、ナーンで認めることができる。なかでも形状がバラエティー豊かな、パヤオについて検証してみたい。

 

上の写真は『陶磁器・パヤオ』掲載の印花文様である。次にしめすのは・・・、

K氏のコレクションで、双方ともに凹版であり、それは浮き上がっている。この二つは似ているが、尾鰭の形状に若干の違いがある。決定的な違いは、鱗の形状で一方は三日月、一方は丸形である。先にも記した通り、パヤオの魚文形状のバラエティーは豊富であるが、それらを羅列すると冗長になるので、後程一覧表にして表示することとして、サンカンペーンの事例を一例紹介する。

町田市立博物館の褐釉印花双魚文盤で、魚文形状が比較的明確に見取れる。この形状がサンカンペーンの最大特徴で、それは尾鰭の表現の仕方にある。また背鰭は1箇所、腹鰭は2箇所で、形状が三角帆の形もサンカンペーンの特徴である。

ナーンは前期陶磁と後期陶磁が存在する。比較対象は時代的に、前期陶磁であるので、その文様例を掲示する。

背鰭1箇所、腹鰭1箇所はナーンの特徴で、尾鰭がハサミのように直線状に開く特徴もある。

 

 

以上、パヤオ、サンカンペーン、ナーンの陽刻と陰刻の印花魚文の特徴を紹介してきた。このように中国、北タイの魚文様を見てきても、羅列では比較しにくい、そこでこれらを一覧表にした。次回はそれを紹介したい。

                         <続く>