「崖の上のネギま?」に書かれていた
「コアなターゲットに向けて書いてはいけない」ということを、
チラリズムの心理学。3つの心理学理論を参考に解説してみます。
その1はこちら
続いては「心理的リアクタンス」から。
人間、自由が脅かされると考えれるほど、それに対する抵抗感も高くなる。そして
人は何かを隠される(見る自由に対する抑止力が働く)ほど見たくなる。
はじめから見せる気のものを見てもさしたる感慨も沸かない。
「明らか過ぎるシーンがあると妄想が働かず逆に萎えてしまう」というのも
そのような現象から生じることなのかも。
そのため「チラリ」と見えることによって、
「相手が隠しているものを見てやった!」という、快感の増加が起こります。
それは「見るのを許されている状態」では起こりえない反応です。
また、抑止力が社会的制約であるときの感覚が、
「背徳感」と呼ばれるものなのかも。
つまりエロ描写などに関してはパンチラ等に見られるように、
「見えることより見えてしまうこと」又は
「見られて恥ずかしがるところがいい」という感じになる。
そして謎や伏線、または閉塞感が解けていく方向性。
引っ張りすぎたら熱も冷めていくが、
全て解決すればストーリーも終了方向・・・
つまりエロ描写に関しては、本来そのような描写が出るような場所でない、
エロとは別のコンセプトの作品中で、本筋から外れた部分で
(あるいは微妙に絡むかどうかというラインで)
「それらしきことが起きてしまう」ように描くという感じ。
コアな描写を求める人は自前で、・・・自ら裾野を切り開いていく状態に?
そして謎や伏線は少しづつ解けて、しかしあるいは謎が謎を呼ぶ、
そんな感じになるのではないかと。
それらが全て解決したときにはストーリーも解決、となるので
引っ張れないと連載は長続きしないんだろうな、と。
「コアなターゲットに向けて書いてはいけない」ということを、
チラリズムの心理学。3つの心理学理論を参考に解説してみます。
その1はこちら
続いては「心理的リアクタンス」から。
人間、自由が脅かされると考えれるほど、それに対する抵抗感も高くなる。そして
人は何かを隠される(見る自由に対する抑止力が働く)ほど見たくなる。
はじめから見せる気のものを見てもさしたる感慨も沸かない。
「明らか過ぎるシーンがあると妄想が働かず逆に萎えてしまう」というのも
そのような現象から生じることなのかも。
そのため「チラリ」と見えることによって、
「相手が隠しているものを見てやった!」という、快感の増加が起こります。
それは「見るのを許されている状態」では起こりえない反応です。
また、抑止力が社会的制約であるときの感覚が、
「背徳感」と呼ばれるものなのかも。
つまりエロ描写などに関してはパンチラ等に見られるように、
「見えることより見えてしまうこと」又は
「見られて恥ずかしがるところがいい」という感じになる。
そして謎や伏線、または閉塞感が解けていく方向性。
引っ張りすぎたら熱も冷めていくが、
全て解決すればストーリーも終了方向・・・
つまりエロ描写に関しては、本来そのような描写が出るような場所でない、
エロとは別のコンセプトの作品中で、本筋から外れた部分で
(あるいは微妙に絡むかどうかというラインで)
「それらしきことが起きてしまう」ように描くという感じ。
コアな描写を求める人は自前で、・・・自ら裾野を切り開いていく状態に?
そして謎や伏線は少しづつ解けて、しかしあるいは謎が謎を呼ぶ、
そんな感じになるのではないかと。
それらが全て解決したときにはストーリーも解決、となるので
引っ張れないと連載は長続きしないんだろうな、と。
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