網創漠蓄

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大日本帝国の二次大戦その5

2012-08-15 12:00:00 | 社会・地理・歴史

考えなければならないことは、原因。

その4はこちら

最初

日中戦争を日本がなぜ行い、第二次世界大戦まで戦争を続けたのか、
それを知るにはまず知らなければいけないのはそこに至った原因。
領土的野心だとか植民地の解放だとかいう心情的部分に絞って
考えていたのではそりゃあ謎は深まるばかりです。大事なのはもっと
実質的な部分。「どうしてこう動いた・動けたのか」といった現実的な。 

幸い日本では世界史的にも稀な戦争のない期間、つまり太平の
江戸時代という対外戦争も全くなかった時代があり、そこから何故
どのように変わったのか、ということを辿ることになります。
そこら辺は戦争をやっていない年がないような国とは違います。

実際これだけ長く平和な時代が続くと戦争に関する知識や技能、
戦後処理のやり方とか終わらせ方といったノウハウまでもが失われ、
意思統一すらできないままに戦争を拡大していきます。そして現在、
そのどれを統一意思として戦争をしたか、というような正解のある
はずのない論争を定例行事として戦わせてゆくことになるのです。

経過

大政奉還等により幕藩体制が終わってから日本は富国強兵策などにより
西欧列強に並び立てる国、つまり万国公法における「文明国」を目指す
国造りを選ぶことになりました。それは大航海時代以来の植民地政策の中、
植民地にならずに済むような道を選ぶこと、そこだけは統一意思として。

その前段階として薩英戦争のような、現代風に言えば在留外国人の
法的保護をめぐる争いで、当時はそのようなことに関する国際条約などもなく
交渉決裂から武力衝突に至る事件が幾度かおこり、不平等条約などを経て
ノルマントン号事件など、自国民の命が危険にさらされる状況に遭遇しました。

そして実際西欧列強の方でも当時席巻していた人種差別的観点などから
領土的野心に近いものを持って日本に接してくる勢力もあり、当然のように
国防が最優先課題になるようになりました。それはすなわち国土に隣接する
地域の制御、ということになります。現代なら交渉で事足りることですが。

確保

台湾など事実上放置されていた地域は軍事的支配によって、朝鮮などは
内紛から保護領化する形になり、それに次いでロシアに抑えられていた
朝鮮に隣接する満洲が生命線と化しそこも抑えることに、そうなると今度は
清朝滅亡によって勃発した内戦の影響がおよびそれを抑えるために・・・

とこのように満州事変に至るまで戦争を続ける形になり、またその後の
ABCD包囲網などにより同じ感覚で南方の資源を確保、という方向性も
立ち上がり、結局全方向同時に兵隊を出す、という愚策を実行する形に
到ります。もちろん計画されたものではないので兵站など補給ラインはなしで。

そして戦後は晴れてそれら隣接地域は固定的な独立国となり、
日本が軍を出して何かするような必要性もほぼなくなりましたが、
華夷秩序の観点から見ればそれはいまだに「敗戦国なので正当性を
失った日本が未だ中華に支配下にない」、つまり戦争の反省をしていない
状態のままの野蛮国扱いになり、未だ日本脅威論が唱えられそれを受けて
国内でも日々、戦争の反省を、と唱えられているのです。

また来年続きます。