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乱歩を巡る言葉26・・・私という謎・少年探偵団同窓会―江戸川乱歩/寺山修司

2006-10-27 | 江戸川乱歩
私という謎・少年探偵団同窓会―江戸川乱歩/寺山修司
講談社文芸文庫

昨日の寺山修司の戯曲「盲人書簡・上海篇」に登場した小林少年はじめ江戸川乱歩のの小説のキャラクター達。彼らは寺山によって面白く拡大解釈されれ、ややもすると揶揄される存在として描かれていた。“前衛”と云う名を欲しいままにした稀代の天才児・寺山、氏が乱歩をどう見ていたかが、俄然気になってきた。そう思っていると、書店で(シンクロしてるなーと思いながら)寺山の乱歩について言及したものを収めているエッセイ集を文庫本で見つけた。以下、その抜粋。



“騎士や王子から一寸法師、人間椅子まで、さまざまに「化ける」のだが、江戸川乱歩の場合、「化ける」ことは、表現の手段、あらわれ方の手段ではなく、隠蔽の手段、かくれ方の手段だった、というところが特色だったように思われる。

乱歩は、かくれるが、しかし姿を消そうとしてしているのではなく、かくれた自分を探してもらおうとするのであり、それは「必ず見つけられる」ことを前提としたものであった。だから、乱歩のしかけた謎は、相手を喜ばせることはあっても、困惑させることにはならない。あくまでも、遊びであって、その遊びは乱歩の書物の最後のページとともに閉じられてしまうものに他ならないのであった。”


“彼は、怪奇幻想に彩られた「机の上」に、一枚の名詞をかくすように、謎をかくし、できるだけ長く、それが解かれぬように、さまざまのデマを流し、読者を混乱させる。その本質は、納屋にかくれたかくれんぼの少年が、鬼から「見つかりたくない」という気持ちと「早く見つけられたい」という気持ちの矛盾に、息をこらしているのに似ている。

江戸川乱歩の小説は、どうやら老童貞のエロチシズムといった趣きをもっているが、その底流には比類のない人なつこさがうかがわれる。それはボルヘスのように、一度入ったら出てこられぬ迷路などではなく、入口は必ず出口へ向かうお化け屋敷なのだ。

乱歩は、いつもの大声のボーイソプラノでその奥から「もういいよ」と、百万大衆であるかくれんぼの鬼に向かって呼びかける。だが、見つけ出してみると、声のように美しい青年ではなく、あんまり長くかくれすぎてしまった老残の童貞があらわれるのだ。

私は「少年探偵団」に入って、明智小五郎おじさんに、校庭の桜の木の下でおかまを掘られた中学生であったが、今は足を洗って、再生したのである。もう、だまされないよ。

江戸川乱歩のしかけた謎の虜などになっていたら「鳥ばかり見ていて、背後の空の大きさを身をとしてしまう」(三好達治)ことになってしまいます。”




寺山の視線はなかなか鋭いところを突いているように思える。おそらく氏は乱歩の仕掛けたかくれんぼ遊びに夢中になっていた時期があるのだろう。しかし卒業したとはいいながらも、その多面的な活動や虚構を構築する作品傾向などを見ると、寺山自身が実はかくれんぼ遊びの罠の楽しさを知ってしまい、遊びに参加するのではなく、かくれんぼ遊びを自ら仕掛けていたのではないのだろうか。鳥を見るのではなく新たな鳥になっていた。そんな気がするのだった。


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私という謎―寺山修司エッセイ選

講談社

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2 コメント

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TBありがとうございます! (あべまつ)
2006-10-28 11:25:28
はじめまして、お邪魔します。

こちらのサイトの一ヶ月分を今拝読致しました。かなり面白かったです。



寺山修司の耽美は、田舎の切なさがシンクロしているところでしょうか?彼は生理的に嫌いだけれど、そこが気になるところでもあります。ドキッとする位孤独で美しい言葉が溢れていて、その言葉に降参しています。



次回の記事を楽しみに致します。
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コメント (飾釦)
2006-10-29 16:28:44
ありがとうございます。また、見ていただけると幸いです。
返信する

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