シニアー個人旅行のかわら版

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金子みすゞ「鯨法会」の青海島・通(かよい)を訪ねる

2014-12-15 14:15:34 | Weblog
金子みすゞのふるさと・仙崎駅を下りると地元の子どもたちが描いた壁画が迎えてくれます。大羽いわしの絵はよく知られた「大漁」のようすを描いたものです。鯨の絵はどの詩を描いたものでしょうか。金子みすゞ記念館で見つけました。「鯨法会」でした。




鯨法会は春のくれ、

海にとびうおとれるころ。

はまのお寺が鳴るかねが、

ゆれて水面(みのも)をわたるとき、

村のりょうしがはおり着て、

はまのお寺へいそぐとき、

おきでくじらの子がひとり、

その鳴るかねをききながら、

死んだ父さま、母さまを、

こいし、こいしとないてます。

海のおもてを、かねの音は、

海のどこまで、ひびくやら



 漁師が羽織を着て鯨法会に急いだという「はまのお寺」を訪ねて見よう思いつき、仙崎の方に尋ねると、青海島の通(かよい)にある向岸寺だろうとのことでした。

 仙崎駅前からバスで通に向かいました。隣に座った方から、漁業組合前で降りると鯨墓とくじら資料館があると教えられました。






 くじらを屋上に載せた2階建ての立派なくじら資料館があり、その脇の細い路地の階段を登ると鯨墓がありました。元禄五年(1692)に、向岸寺五世讃誉上人が、隠居所である清月庵(観音堂)の敷地に建てたもので、70数体の鯨の胎児がここに眠っています。

 墓石には 「南無阿弥陀佛 業尽有情 雖放不生 故宿人天 同証仏果」と書かれ、「南無阿弥陀佛 業尽きし有情、放つと雖も生ぜず。故に人天に宿して、同じく仏果を証ぜしめん」と読み、「大洋を見ずしていのちが終わった子鯨よ。仏の功徳を受け、やすらかにここに眠って欲しい」という願いが込められています。


 くじら資料館は一階が受付と事務所、二階が展示室です。階段の壁には古式捕鯨のようすを描いた4枚の浮世絵が飾ってあります。(*許可を得て撮影)







 解体の際に胎児が見つかると、丁重にこもに包んで寺に運び、戒名をつけ法要、鯨墓に葬ったのです。

 鯨の漁期は秋に始まり、春に終わります。「鯨法会は春のくれ」と詩にあるように、鯨漁が終わると漁師はそろいの羽織姿で寺に集まり、その年に命を頂いた鯨の法要を執り行ったのです。法要の様子を撮影した古い写真も資料館にありました。

 金子みすゞが仙崎で生まれたのが明治36年、おそらく鯨漁のことを耳にしたことはあっても実際に目にしたことはなかったでしょう。幕末の頃から鯨油を求めてアメリカの大型捕鯨船が日本近海に現れ、捕鯨銃による大量捕獲を行ったため、日本海に回遊する鯨が激減、網と銛による沿岸の古式捕鯨は廃れていました。

 しかし、春のくれに行われていた鯨法会だけは続いていました。



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