142『岡山(美作・備前・備中)の今昔』北への道(伯耆道・倉吉街道)
これらのほか、津山城下町からそのまま北上してゆく道が通っている。こちらは、津山市街城北山北の八子町、小原から西一宮に向かって北上していく。これを伯耆道又は倉吉街道と呼ぶ。一宮は、山間に近くなりつつあるとはいえ、昔から開けていた場所で、ここに「美作一宮」(みまさかいちのみや)の中山神社(なかやまじんじゃ)が孤高のたたずまいにて鎮座している。この神社の由来は、707年(慶雲4年)に創建と伝えられ、『延喜式』にも載せられている。『今昔物語』にも「今昔、美作国ニ中参(中山)、高野ト申神在マス」とある。
国宝に指定されている『一遍上人絵伝』にも、この神社の境内が描かれており、1286年(弘安九年)の春うららかな頃大勢の人々がこの社に集う。殊に興味深いことには、この絵の詞書(ことばがき)に、こうある。
「美作国一宮に詣給けるに、けがれたる者も侍(はべ)るらむとて、楼門の外におどり座をつくりておきたてまつりけり。・・・・・彼社(かのやしろ)の一の禰宜(ねぎ)夢に見るよう、一遍房(いっぺんぼう)を今一度請(しょう)ぜよ、聴聞(ちょうもん)せんとしめし給う。・・・・・今度(このたび)はをば門外に置き、聖・時衆(じしょう)等をば拝殿に入れ奉る。」(巻八・第三段)
「」たちは、一遍房に付き従ってこの地にやってきた人々で、彼らも神社による供養の一端に侍ることができたのであった。彼らはこの神社に在の間、門外両側の乞食小屋において寝泊まりすることを許されていたのではないか。
時代が下って江戸時代に入ってから編纂される『作陽誌』などによると、現在の本殿は、戦国時代に兵火に遭い焼失していたのを、その当本人である尼子晴久が再建したのだと言われる。境内にある案内板には、本殿は「入母屋造、妻入で向唐破風の向背を有する」ことが記される。
2015年10月、久方ぶりにこの社を訪れてみると、妻入部に唐破風を有する巾2.5間の向拝が付き、弊殿を介して拝殿へ連なっていくラインがなんとも簡素であり、妙な出っ張りや飾り付けのないのが実に心地よい。本殿の側面から後方に出でる。そこから、建物をややはすがいに下から見上げてみる。大屋根のせり出しは直線的であって、そりは感じられないし、大屋根の裏側を形造る添え木が実に細やかにしつらえてあって、床はあくまでも高い。仔細を語る知識は持ち合わせていないものの、「いいものをみせてもらった」思いがしてくる。しかし、風雪に晒されて幾歳月かをくぐり抜けるうちに、桧皮葺(ひはだふ)きの屋根の全体ががかなり痛んできているようであった。
そこからさらに東一宮、東西田辺から香我美中村を経て、百(もも)だわ(百谷峠)から奥津へ、さらに下斎原、上斎原(かみさいばら、現在の岡山県苫田郡鏡野町)とひたすら北上してゆく。このあたりは、蒜山高原(ひるせんこうげん、現在の真庭市)近くにある。現在は、国道179号線の道筋となっている。上斎原を過ぎると、左手に標高1004メートルの人形仙を仰ぎ見つつ、進路を西に変えて人形峠を越える。国道の方は、現在は人形トンネルをくぐり抜けて進む。トンネルを抜けるとそこはもう鳥取県(東伯郡三朝町)である。両側が山のところをしばらく行ってから、下西谷で西から来た国道482号線と交差して、今度は北へと向かう。穴鴨を越え、さらに竹田川河谷を北上して倉吉に至る道もあった。こちらの路は小道で続きであって、どうやら難所が多かったようである。
この上斎原には、恩原高原(おんばら)がある。津山駅からバスが出ていて、奥津を越えてゆくので、90分くらいかかるらしい。ここは、標高700mに位置する。恩原高原は、氷ノ山後山那岐国定公園指定の自然豊かな中にある。この高原にある恩原湖は、周囲4.5キロメートルながらも、これを前にたたずむと安らぎを覚えるようだ。
周辺には、白樺林やカラマツ林が茂る。夏は高原を渡る風と白樺林とその木漏れ日が涼を呼び、秋は紅葉する三国山が湖面に映る。晩秋ともなれば、旅人の目や足が向かうところには、黄色に染まったカラマツなどの木々の葉っぱが絨毯のようにして敷きつめられているとか。ここには恩原湖という湖もあって、ことに冬には、霧が湖面に現れるらしい。また珍現象で話題の「氷紋」も時として現れ、四季を通じて様々な表情を魅せてくれる県北の風光明媚な処の一つとされている。
この高原は、中国山地が近場に迫っており、昼と夜との寒暖差が大きい。この気候の特色を活かした生業が色々あって、その一つが養蜂である。養蜂には、花を咲かせる植物ひと花の華蜜領が豊富なことがキーワードとなっている。蓮華蜜とかアカシアの蜜などは広く知られているものだが、美作産蜜のめずらしいところでは、あるちらしに、こう説明されている。
「恩原特産、とち蜜
とちの木は、座卓や衝立等に使用される巨木で、その実は、とちもちの原料として使われています。
この木から採取したとち蜜は、大変まろやかで、蜜独特の芳香もほとんどなく、蜂蜜ぎらいの方にも喜んでいただけるやさしい味の蜂蜜です。
少し赤味がかっているのは、花粉の色です。当養蜂場は、蒜山と恩原地方に蜂場をもち採蜜しております。」(2015年10月現在のもの)
ちなみに、美作の養蜂を手掛けているのは、鈴木養蜂場、山田養蜂場と美甘(みかも)養蜂場の三つの事業者があるのことである。なお、我が家では今、香りの強い「そよご蜜」をおいしくいただいているところだ。
(続く)
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