12『自然と人間の歴史・日本篇』新生代からの日本列島(2万年前~現在)
およそ2万年前頃から後になるに従い、それまで広く地表上を覆っていた氷河が徐々に溶け出していく。それでも、約1万8000年前の平均気温は今より摂氏6~7度低かったのではないかと見積もられている。これをもって、ヴュルム氷期が終了し、その後、「ヤンガードリアス期(新ドリアス期)」と呼ばれる時代が1000年程度続いた。その時は、北半球の高緯度地方を中心にやや寒気が戻った。さらに時が経過して、現在からみて最終の氷期が終わって海面が上がってきたのが、今から約1万3000年前のことだとされる。これらの自然条件の変化により、それまで唯一陸続きであった、今の宗谷海峡に当たる場所の陸地が海に沈み込んだことで、列島全体が大陸から完全に離れたのだと推測されている。
それから約1万年程前頃になると、最終氷期とともに新生代第四紀「更新世」が終わり、その後には、「後氷期」とともに新生代第四紀「完新世(かんしんせい)」に入っていく。それからの日本列島は、氷床に蔽われる寒冷な「氷期」と、比較的温暖な気候の「間氷期」とが交互に現れていくうち、気温は緩やかに上昇し、日本列島周辺の海面はだんだんと現在と大差のないの水準に近づいていく。この最後の氷河期の終了で氷が溶け、日本列島は大陸から完全に切り離された。
大陸からは、引き続いて人々がこの地に移り住んで、そこに集団が維持できるだけの自然環境が備わっていた。日本列島は、モンスーンの温帯に属する地方の一つの小島にすぎない。その後、日本列島に長い年月が経過して、およそ1万年くらい前にはその最後の氷河期が終わり、地球は徐々に温暖になっていったとされる。
今では、日本列島と朝鮮半島の間に大いなる海が広がっている、この海は、大陸からこの列島を隔絶するに至るや、新天地を目指す人々はこの海を船なり筏(いかだ)で渡ってこなければならなくなった。なお、この海の名を巡っては、こちらでは「日本海」といい、対岸の朝鮮からは半島の東側にあるということで「トンヘ」と、それぞれの立場で呼ばれる。双方で呼び名が異なるのはいかがなものか。宇宙から見ると国境などはない、航空写真には一つの海に写ることなのだから、そろそろ双方が話し合って納得のいく名前を定め、共に使用することにしたらよいのではないか。
さらに時間が経過して、今から6000~5000年前頃からの日本列島周辺では、後氷期(完新世)の海面が現在より一端3~5メートル海面が高くなった、これを「縄文海進」と呼んでいる。関東を中心とする全国各地で、陸地の奥の方まで縄文時代の貝塚の分布が見られるのはこのためである。全国各地の海岸で,現海面より2~5メートル高く海食の跡が多く見られるのは、これのせいと見られる。もっとも、地震の多い日本であるから、この列島を支える地殻そのものの上昇によるものもある。したがって、海面上昇若しくは下降の原因のすべてをこの海面変化によるものと断定することはできない。とはいえ、瀬戸内海が現在の景観をとるようになったのも,北欧のフィヨルドも後氷期の海進によるものである。それゆえ、現在の河口付近にある日本の平野のかなりは,縄文海進で海が侵入してできた湾が土砂に埋められてできたところが多くあるのではないか。
(続く)
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