100『岡山(美作・備前・備中)の今昔』高梁から総社、小田郡(矢掛町)へ
伯備線の米子~岡山間が全面開業になったのは、1928年(昭和3年)のことであった。そしての備中高梁以南の伯備線(はくびせん)であるが、この線は、現在は岡山で山陽本線や赤穂線に乗り入れており、米子では山陰本線に乗り入れている。伯備線で完結する列車としては、備中高梁駅発倉敷駅行きの1本がある。また新見から備中神代間は芸備線が乗り入れて、共用区間となっている。さらに、岡山県南部の清音(きよね)駅から総社(そうじゃ)駅までの間は、井原鉄道井原線との共用区間となっている。
この伯備線と寄り添うようにして流れる高梁川は、このあたり迄来ると、せせらぎに耳を傾けながらというよりも、さらに大きな流れとなり、岩を穿ちながらさらに下っていく。駅で言うと、備中高梁を出て直ぐに高倉山(標高382.8メートル)の掘られたトンネルをくぐり抜けると、備中広瀬の駅に到達する。それからは、くねくねした川の進路にまるで翻弄されるかのように、半ば夢見心地で、美袋、日羽、そして大きく湾曲して豪渓(ごうけい)駅に滑り込む。
広瀬からは、もうすでに現在の総社市に入っている。豪渓の駅を出てその程近く、豪渓と呼ばれる渓谷にさしかかる。これは総社市の槇谷から、加賀郡吉備中央町(2004年10月に上房郡賀陽町から変更)に跨る渓谷にして、槇谷川の上流にある。規模としては、奥津渓と同じくらいか。その特徴は、ほぼ直立にそびえ立つ約330メートルの天柱山、剣峰、雲梯峰(うんていほう)、盒子岩(ごうずいわ)などの個有名を得ている。いずれも、花崗岩を主体とする奇岩、いかつい絶壁の類であって、清流と相俟って四季折々の壮大な自然美を繰り広げる。景勝の地としては、もってこいの場所と言って良いだろう。このあたりには、アテツマンサク・ベニドウダンなど貴重な植物の自生地としても知られる。1923年(大正12年)にし、名勝地として国の指定を受けた。
1876年(明治9年)頃に作成された「日本地誌略図会」に、「豪渓之図」の一筆がある。豪渓の天柱山の切り立った岩の辺りを描いたものであろうと推測されているところだ。絶壁の岩山があり、段々になって流れる槇谷川との間の石畳のような道を旅人が上流に向かって歩んでいる姿が印象的だ。画面に説明書きがあって、それには備中国の位置など略地誌が記されている。作者は、明治に入ってからの三代目の歌川広重(うたがわひろしげ)であり、初代歌川広重の門人だとされる。与謝野晶子は、その光景を「岩山は天の柱の文字あるも、のきもぬれゆくむら雨ふれば」と詠んで、今も自然の繰りなす美に驚嘆した歌として、今も語り継がれる。
なおも流れに沿って、南へと下っていく。その中間点にある総社は、総社宮の門前町から発展したところだが、山陽道の北側直ぐ近くには、足守川が北西から東南方方向へ流れている。足守川の堤の北隣には、あの有名な造山(つくりやま)古墳が鎮座して、はるか古代の流域の姿はいかばかりであったのすかと、その時代に生きた人々の往時を偲ばせている。
山陽道に沿っては、現在の総社から少し南へ下ったところに、総社から伯備線との線路の共用部分を経て西に折れてゆく地方線路が走っている。これを井原鉄道線と呼んで、第三セクターの経営となっている。その順路としては、清音(きよね)駅を出発しばらく過ぎたところで高梁川の中州を西へと渡る。ここは、井原鉄道で最も長い高梁川橋梁で、全長716.3メートルもあるらしい。赤茶色に錆びた鉄橋に見えるものの、そうではなく、橋の材料は無塗装耐候性鋼材という、保護性の錆(安定錆)を形成するように設計された特殊合金鋼で、防錆塗装をしていなくとも大丈夫なように出来ているらしい。また、橋梁上で大きくカーブを描く珍しい鉄橋で、さらに民営鉄道や第3セクターでは珍しい、「ロングレール」という継ぎ目のないレールが使用されているとのことで、驚きだ。
高梁川を渡り終えると、今度はその支流の小田川と国道486号線に沿いつつ川辺宿から吉備真備、備中呉妹、三谷へと西進してから茶臼山(ちゃうすやま)トンネルをくぐり抜ける。このトンネルを滑り出るともう矢掛(やかけ)の駅である。この一帯は、小田郡矢掛町である。ここは、「矢掛本町」と総称され、江戸期に山陽道の宿場町として栄えたところである。町には、大名達が泊まった豪勢な建物が幾つも残っており、日本で唯一、国指定重要文化財に指定された本陣と脇本陣が残る。矢掛町内の大通寺という曹洞宗の寺は743年(天平15年)の開基とされる。その書院北側には、江戸末期に造られた石寿園という庭園が広がる。その形式は、池泉観賞式庭園と言われ、釈迦三尊石、座禅石、須弥山などという仏教にちなんだ名のついた奇岩が配されていて、さながら山水画のような景色がここにある。
めずらしいところでは、小田郡の矢掛町上高末から北方美星町字宇に跨るところに、谷がある。谷が主体な地形なのに、全体としては「鬼ヶ岳」の名がついているのは、何かの理由があるのだろうか。この谷を流れるのが美山川であって、小田川の支流である。谷間には、鬼ヶ岳温泉があったり、上流に鬼ヶ岳ダムがあったりで、ダムでできた人造湖では淡水魚の養殖も行われて来た。この谷あいに支配的な岩石としては花崗岩とのことであるが、「それも谷をさらにさかのぼると、そこには青黒い石が散見する」(宗田克己「高梁川」岡山文庫59、日本文教出版)とのこと。それが、矢掛石である。この石の本当の名(学術名)は、輝緑岩と斑糲岩(はんれいがん)であって、「岡山県の東北から、西南にかけて、対角線上に。時にはふくれ時にはしぼまり、散見している」(同著)ものである。写真で拝見すると、緑色の石目がなかなかに細かい。全体が引き締まった紋様を為しており、太古に繋がるかのような独特な風合いを醸し出しているようだ。この石の使い道は、一般には自然石様の石碑や庭石、デザイン墓石などによく使われるという。それ以外にも、実は変わった使い道があり、骨董になったり盆石に使われたりする。
ここに盆石というのは、すなわち芸術であるとのこと。陶磁器の平たい盆の中に、小石や砂などを用いて小宇宙を創っていくのだそうな。例えば、川があれば、砂も生き生きとしてくるのであるらしい。そんな上にある月も描ける。近づいてみると彫刻、遠ざかっては絵画というところであろうか。盆栽とは、いささか異なるものの、盤上に精魂傾けて独特の世界を開陳することでは共通しているのだと思われる。
あるいは、小田郡美星町(びせいまち)に国内最大級の美星天文台があって、肉眼の2万倍の集光力があるとのことだ。
(続く)
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