364の2『自然と人間の歴史・世界篇』物理学(量子力学の誕生、シュレーディンガー方程式)
物理学者のシュレーディンガーは、1926年にシュレーディンガーの波動方程式という、量子力学上の定式化をおこなった。
これに至るには、1924年に「これまで考えられていた光が粒子の性質を持つならば、それまで粒子と考えられていた電子が波動の性質を持つかもしれない」といった、かのド・ブロイの考えが視野に入っていた。
ちなみに、ド・ブロイは、光の振動数や波長と、光子のエネルギーや運動量とを結びつけるアインシュタインの関係、具体的には式(光子のエネルギー=プランク定数×光の振動数)及び同式(粒子の運動量=プランク定数/粒子の運動に伴うド・ブロイの物質波の波長)が、ド・ブロイの物質波に対しても成り立つのではないかと考えた。
そこで、シュレーディンガーの式の意味というところでは、ミクロの世界の解明にどう対処するかであって、「粒子に波動性を組み込む」ことが課題だとされる。具体的には「波動関数の時間の1回微分(位置)は、その波動関数の場所による2回微分(位置→速度→加速度)によって決まる」とされている。
これにおいては、波動性が必要な限界をプランク定数が決める。これで、主として電子の振る舞いを調べるのだが、この方程式では、複数の電子を含む原子を扱うこともできると考えられている、とのこと。
ちなみに、量子力学の体系化に貢献したデンマークの物理学者ニールス・ボーアは、この式の発見された意義について、こういう説明を施している。
「実際には、錯綜した事態を打開する道は、なにはさておき、よりいっそう包括的な量子論を発展させることによって切り開かれねばならなかった。この目標に向けての最初の一歩は、波動と粒子の二重性は、輻射の性質にかぎられるものではなく、物質粒子の振る舞いの説明にも同様に欠かすことはできないという、1925年のド・ブロイによる認識にあった。(中略)
そしてこの新しい糸口は、シュレーディンガーによって追究され、最大の成功をもたらした(1926)。とりわけ彼は、原子系の定常状態を、ある波動方程式の固有解によって表すことができるということを示したのである。その波動方程式は、もともともはハミルトンによって追究された。力学と光学の問題の形式的な類似性に導かれて、シュレーディンガーが創り上げたものである。」(ニールス・ボーア著、山本義隆編訳「因果性と相補性」岩波文庫、1999、219~220ページ)
(続く)
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