247『岡山の今昔』総社市
総社市は、県の南西部の内陸部にある。総面積は、212平方キロメートルだという。東には、十二支ヶ郷用水のある田園や鬼城山の丘陵地があり、岡山市と隣り合わせ。南は、福山山系をはじめとする丘陵地に高梁川という組み合わせで、倉敷市と接する。その西は、これまた丘陵地により矢掛町と井原市と隣り合う。さらに北は、吉備高原を介して高梁市及び吉備中央町に面す。
総社市は、県の南西部の内陸部にある。総面積は、212平方キロメートルだという。東には、十二支ヶ郷用水のある田園や鬼城山の丘陵地があり、岡山市と隣り合わせ。南は、福山山系をはじめとする丘陵地に高梁川という組み合わせで、倉敷市と接する。その西は、これまた丘陵地により矢掛町と井原市と隣り合う。さらに北は、吉備高原を介して高梁市及び吉備中央町に面す。
総社という地名の由来としては、総社宮に関わりがあるのではないか、と言われている。1994年には、この総社(跡)が総社市の重要文化財となる。といっても、総社宮の創建は不明なままだ。一説には、平安時代末期、国司が赴任してきた際、備中国中すべての神社の巡拝を行っていたのを、国府の近くに備中国内の神社324社を勧請し、祀(まつ)るのを始めた。ねらいは、巡拝の際の手続きをその都度行うのではなく、一括することで手間を省くためだという。室町時代には細川家・毛利家から信仰を寄せられる。同時に、門前町も形成され、この辺りの氏神的存在神社として権威をもっていったようだ。こうした流れにて、江戸時代には、地元豪商らの寄進が相次ぐ。国家神道が仏教勢力を上回るようになった明治時代には。県社に祭り上げられる。
現在の土地柄ということでは、大まかに、岡山市と倉敷市といった県下2大都市に隣接していることから、旅行者は、半ばベッドタウンのような印象を持つのであろうか。2019年現在の人口は、約6万9000人だという。
現在の土地柄ということでは、大まかに、岡山市と倉敷市といった県下2大都市に隣接していることから、旅行者は、半ばベッドタウンのような印象を持つのであろうか。2019年現在の人口は、約6万9000人だという。
この辺りの地層・地質としては、泥や砂の堆積が主に平坦を構成しているものの、北側へ向かううちに山か見えてくる。地理、知勢としては、岡山県の三大河川のひとつである高梁川の下流に広がる、その流れは普段は優しいが、それだけに、一度川が荒れると、水害は止めどなく進むような感じも残る。
気候としては、瀬戸内特有の温暖、少雨だという、地震も台風も余り聞いたことがない。総じて、恵まれた気候が特徴だとつい最近までそう聞いていたのが、2018年7月の豪雨で、その常套句が壊れてしまった。
交通の便利は、相当によいのではなかろうか。岡山空港や高速道路、市内に7つの駅がある鉄道など、それがあっての物流や製造業による企業進出、それから住宅建設が相継ぎ、経済的発展とあわせて人口が増加してきた。
その模様は、前述のテレビ番組においても、若者の参加がおおいに進んでいて、この間の果物市況の好調もさることながら、全体として営農が上手くいっているようだ。その意味では、まだまだ展開の余地が見込まれるのではないだろうか。
他にも、あちこちで町起こしの機運が増しているようであり、幾つか紹介しておこう。まずは、こんな話がある。市内には、大手のパン製造工場があるのを反映して、総社市は人口1万人当たりのパン屋の店舗数の割合が、岡山市と並んで県内最多だという。そこで、市内にある十数軒のパン屋がタッグを組んで、商工会議所が主導する形で始めたのが、ご当地パン作り「総社パンわーるど」事業であるとのこと。
次に、この地域のたどってきた歴史を少し振り返ってみよう。古代においては、あたりの散歩でもってこいのルートだとされるのは、吉備路風土記の丘(きびじふどきのおか)であろうか。そこは、岡山市から総社市にまたがる県立自然公園だ。エリア内では、のどかな田園風景の中に五重塔が建ち、吉備路のシンボルとなっている備中国分寺を中心に、こうもり塚古墳、備中国分尼寺跡、作山古墳、造山古墳などがある。
もう一つ、有名な見所とされるのが、山の上にある。そういえば、2021年10月6日のテレビ番組(BSテレビ東京)「都会を出て暮らそう、赤い絶景🔻岡山総社市」において紹介された中に、鬼(き)の城のある谷から「一つ谷を挟んだ所から出てきた」鉄鉱石の塊がある。この石は、総社市埋蔵文化財・学習の館に陳列されていて、古代この地域にあった「千引カナクロ谷製鉄遺跡」に関する史料も展示されているとのこと、すなわち、厄介者ばかりと考えられてきた鬼の「温羅伝説」なのだが、実のところ別の物語が控えていたのだと伝わる。
もう一つ、有名な見所とされるのが、山の上にある。そういえば、2021年10月6日のテレビ番組(BSテレビ東京)「都会を出て暮らそう、赤い絶景🔻岡山総社市」において紹介された中に、鬼(き)の城のある谷から「一つ谷を挟んだ所から出てきた」鉄鉱石の塊がある。この石は、総社市埋蔵文化財・学習の館に陳列されていて、古代この地域にあった「千引カナクロ谷製鉄遺跡」に関する史料も展示されているとのこと、すなわち、厄介者ばかりと考えられてきた鬼の「温羅伝説」なのだが、実のところ別の物語が控えていたのだと伝わる。
さらに、奈良時代の741年、聖武天皇の発願によって全国に建てられた全国の官寺の一つで、残念ながら創建当時の建物は南北朝時代に消失したものの、江戸時代中期(1844年)頃に再建された現在の五重塔は国の重要文化財に指定されている。それはいつのことであったろうか、地元の友人に連れられて、のどかな田園風景の中を歩いているうちに、ふと気がつくと、さりげなく観察者の視界に入っているかのようで、「ほう、これが」と驚いた。
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さて、この地域の産業として現在有名なものとして、果樹栽培を挙げるべきだろう。なぜなら、この地域は岡山の南部地域中においても、温暖、晴れが多いこと、高梁川の豊かな水が利用できるとあって、明治時代からの歴史の流れにて、桃やブドウなどの栽培が鋭意取り組まれてきた。その甲斐あって、今日では、その技術も全国の他の産地からも技術研修の人が相次いで訪れるなど、相当の蓄積がなされてきているようである。🔺🔺🔺
その模様は、前述のテレビ番組においても、若者の参加がおおいに進んでいて、この間の果物市況の好調もさることながら、全体として営農が上手くいっているようだ。その意味では、まだまだ展開の余地が見込まれるのではないだろうか。
他にも、あちこちで町起こしの機運が増しているようであり、幾つか紹介しておこう。まずは、こんな話がある。市内には、大手のパン製造工場があるのを反映して、総社市は人口1万人当たりのパン屋の店舗数の割合が、岡山市と並んで県内最多だという。そこで、市内にある十数軒のパン屋がタッグを組んで、商工会議所が主導する形で始めたのが、ご当地パン作り「総社パンわーるど」事業であるとのこと。
この事業は、「参加店舗が季節ごとにテーマを決めて新製品を出すという催し」にして、2016年に始まったという。総社市で収穫されている「赤米(あかまい、あかごめ)」という古代米を活用したオリジナルのパン作りとも相まって、おのおのの工房が工夫を凝らしての、多様なパンづくりが進んでいるという。しからば、各自が出品したパンづくりのノウハウはどのようにして他に受けつがれていくのだろうか、色々と好奇心をそそられる試みにちがいない。
こちらはまた、「晴れの国おかやま」の中においても、農業も盛んな土地柄のようだ。いうなれば、温暖な気候ときれいな水資源、そして、そういう自然に育まれた土壌とで栽培されるのが、「そうじゃの米」であるとされる。聞けば、その米は、地元ではこの地を訪れてくれる旅人などへの「ふるさと総社」からの返礼品としてもってこいのものだと推奨されていて、「きぬむすめ」「ヒノヒカリ」「朝日」「にこまる」など多彩な銘柄のいずれかから選ぶのがよいという。そこまでの評判であるならば、いっそのこと追々食べ比べてみるのがよろしいのではないだろうか
(続く)
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