○263の6『自然と人間の歴史・日本篇』「明治の文明開花」色々

2021-02-16 10:35:44 | Weblog
263の6『自然と人間の歴史・日本篇』「明治の文明開花」色々

 「明治の文明開花」を告げる要素としては、風俗や習慣の変化から技術的なものまで、色々なものがあったのだろう。

 まずは、大まかな話から。

○1869年6月には、版籍奉還により、旧藩主を旧領地限りでの藩事(地奉官)に任命される。これにより、かかる土地とそこに住む人民を朝廷に返還したことになっている。また、これに基づき、追ってとりあえず日本国民の新たな身分別な区割りが行われ、公卿および諸侯を「華族」、旧幕臣・旧藩士を「士族および卒」、その他の者を「平民」と呼び習わすことになった。すなわち、きたるべき「四民平等」といいながらも、新たな緩い形での「身分もどき」がいわれだしたというのは、誇張な話ではなかろう。


○1870年9月、「平民」に対し、名字の使用が認められる。

○1871年(明治4年)8月、散髪・脱刀の自由をうたった法令が出される。
 その後の流行歌には、「半髪(はんぱつ)頭をたたいてみれば因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする。惣髪(そうはつ)頭をたたいてみれば王政復古の音がする。ジャンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする」とあるが如く、大方には喜んで受け入れられたようだ。
 その例外は旧士族層の一部であって、長い間の習慣というものは、簡単にはやめられない人もかなりいたようだ。

○1871年8月、平民・士族・華族の間の結婚を認める。同月、「えた・」の称(しょう)を廃止し、身分、職業とも「平民」と同じとするとする身分解放令を発令する。


○1871年12月、華族・士族・卒に対し、農業・工業・商業を営むことを認める。


○1872年1月、明治維新後初めての全国戸籍調査(壬申戸籍(じしんこせき))が実施される。その結果は、男性が1679万6158人、女性が1631万4667人、計3311万825人であった。同月、「卒」を「士族」か「平民」に編入する。


○1872年10月には、「そそくさ」とでもいうべきか、あらゆる人身売買を禁止する。

○1876年には、帯刀禁止令(廃刀令)が出される。これによって軍人、警察官以外は原則禁止となる。

○技術的な進歩との絡みでは、電気による明かりが大きい。この国では、1878年3月25日にアーク灯が初点灯され、のちに「電気記念日」となる。それが、1879年10月21日にエジソンが実用炭素電球を発明すると、これが輸入されていく、この日を日本では1981年に「あかりの日」と制定した。

♠️第二部
 それからは、線引きタングステン電球(1908年)、水銀ランプ(1931年頃)が普及していく。
 戦後になっての1959年には蛍光ランプが、1959年にはハロゲン電球が、1963年にはメタルハライドランプと高圧ナトリウムランプというように光源は多彩なものとなっていき、21世紀に入っては省エネルギーが売り物のLEDやELなども登場している。


(続く)

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