♦️948『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカン・ドリームの再建は可能か(2021、フランクリン、フロム、ケインズから学ぶ)

2021-02-15 22:08:41 | Weblog
948『自然と人間の歴史・世界篇』アメリカン・ドリームの再建は可能か(2021、フランクリン、フロム、ケインズから学ぶ)

 アメリカでは、元々、アメリカ人たる者、各々の出発点は平等であるべきで、そうであればこそ人々は公正な競争の結果として、成功する者とそうでない者との間に、明白な落差がうまれるのは、やむを得ないと大方考えていたのではないだろうか。

 顧みると、かつての建国に参加した一人であるフランクリンは、「アメリカへ移住しようる人々への情報」に、次のような一文を寄せた。

 「誇るにたるのは家柄だけというような人には、とうていここへの移住はおすすめできない。ヨーロッパでは名門も尊敬されるが、そんなしろものを運んできたところで、アメリカほど不利な市場はどこにもない。
 アメリカでは、ひとの、ことをたずねるばあい、人々は、あの人の身分は何か、とはきかないで、あの人には何ができるのか、ときく。もし有能な技能をもっていれば歓迎されるし、それを実践してうまいことがわかれば、知り合いのすべてから尊敬される。」(ベンジャミン・フランクリン「アメリカの建国思想」)

 ここでフランクリンがいう「家柄」などは、それが発展すれば社会をうまくわたりあるくための特権ともなりうるものなのだろう。だが、彼はそんなことはお構い無く、できたばかりのこの国は、あらゆる種類の特権を原則的に排除する社会だと言いたいのだろう。なにしろ、彼は、建国時の独立宣言の起草委員を務めていた人物なのである。
 とりわけ、人々が生まれながらに受け継ぎ、背負い込むこむ性格の特権、身分のごときものを徹底的に排除することを、建前(たてまえ)としているのだろう。

 そういえば、社会学者のエーリッヒ・フロムは、その有名な著作「自由からの逃走」において、諸国民の間の性格についての社会・心理的アプローチを試みており、「性格の相互作用、社会・経済的状況および観念」の三つの条件を踏まえることで説明できる、としている。

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 もう一つ、ケインズの著作から、経済格差の拡大に関わる部分を少し引用しておこう。

 「われわれの生活している経済社会の顕著な欠陥は、完全雇用を提供することができないということと、富および所得の恣意にして不公平な分配とである。上述の理論が両者のうちの第一の点対する関係は明白である。しかし、なおそれが第二の点に関係を、もつ二つの重要な側面がある。(中略)
 私の考えでは、主として、資本の成長は個人の貯蓄動機の強さに依存するという信念ならびにわれわれはこの成長の大部分を富者の余剰からの貯蓄に仰がなければならないという信念からである。われわれの議論はこれら二つの点の第一のものには影響を与えない。
 しかし、それは第二の点に対するわれわれの態度を著しく修正するであろう。なぜなれば、すでにわれわれの見たように、完全雇用が実現する点に到達するまでは、資本の成長は低い消費性向に全然依存するものではなく、反対に、それによって阻止されるのであって、低い消費性向が資本の成長の助けとなりうるのは完全雇用の状態のもとにおいてのみであるからである。(中略)

 かくてわれわれの議論は次の結論を導く。すなわち、現状にあっては富の成長は、通常考えられているように、富者の欲望制御に依存するどころか、却(かえ)ってそれによって阻止されるということがそれである。したがって、富の大なる不平等を正当化する主たる社会的理由のひとつが取り除かれることになる。(中略)
 私自身としては、所得および富の相当な不平等を正当化することのできる社会的、心理的理由はあるけれども、それは今日存在するほど大きな懸隔(けんかく)を正当化するものではない、と信じている。その完全な達成のために金儲けの動機やと富の私有制度を必要とする価値ある人間活動が存在する。
 そればかりでなく、金儲けと富の私有の機会が存在するために、危険な人間性癖(せいへき)を比較的害のない方向へ導き入れることができるのであって、それらの性癖は、もしこの方法で満足させられないとすると、残忍性とか、個人的な権力や権勢の無謀な追及とか、その他個人的勢力扶置のもろもろの形態にそのはけ口を求めるようになるであろう。」(ジョン・メイナード・ケインズ著、塩野谷九十九訳「雇用・利子および貨幣の一般理論」第24章「一般理論の導くべき社会哲学に関する結論的覚書」)

 この部分の引用で興味深いことには、冒頭で「われわれの生活している経済社会の顕著な欠陥は、完全雇用を提供することができないということと、富および所得の恣意にして不公平な分配とである」」と述べつつも、さらなる下りで「私自身としては、所得および富の相当な不平等を正当化することのできる社会的、心理的理由はあるけれども、それは今日存在するほど大きな懸隔(けんかく)を正当化するものではない、と信じている」と微妙な言い回しになっている。これは、彼ほどの頭脳の持ち主ならそれなりに事の重大性を認識してのことだろう。
 とはいえ、この引用の文面に限っては、ケインズその人は経済格差の問題を問題視しながらも、あえて彼自身がたてなおそうと努力していた資本主義に巣くう重大問題として措定しているのではあるまい。
 だから、その解決策としては、「それは今日存在するほど大きな懸隔(けんかく)を正当化するものではない、と信じている。その完全な達成のために金儲けの動機やと富の私有制度を必要とする価値ある人間活動が存在する。そればかりでなく、金儲けと富の私有の機会が存在するために、危険な人間性癖(せいへき)を比較的害のない方向へ導き入れることができる」という代替案をいうのであって、資本主義本体の機構を根本的に改めるというよりはそのメカニズムをいじるなりして「よりましな方向」へと誘導するにほかなるまい。



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(続く)

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