○〇549の19『自然と人間の歴史・日本篇』消費税増税回避のための財源(軍事費、公共事業費)

2019-03-31 08:30:29 | Weblog
549の19『自然と人間の歴史・日本篇』消費税増税回避のための財源(軍事費、公共事業費)

 2018年度の3月27日、総額で約101兆円もの大型予算としての2019年度予算が成立した。その中では、社会保障費の約32兆6605億円をはじめ幾つもの歳出の突出が話題となっている。特に、特段増額の必要でないと思われる防衛費(呼び名は、「軍事費」の方が合うので、以下これを用いたい)と公共事業費が、それぞれ約5兆2574億円(1.3%増)、約6兆9099億円(15.6%)と伸びていることがある。
 まず軍事費は、ごく大まかに軍需品の調達と運用、それに人件費などに分かたれる。軍事品生産はその中核だが、その性格をしっかり踏まえておくことが大切だと思われる。経済学者の富塚良三氏は、こう説明しておられる。
 「生産手段として生産的に消費されるのでなく、また個人的消費によって労働力の再生産を媒介するのでもない軍需品は、国家によるいわゆる「再生産外消耗」の対象であって、社会的再生産過程における軍需品生産部門の位置づけと役割は、奢侈品部門のそれと類似とみなすことができよう。(中略)
 軍需品は(労働力の価値どおりの支払いを仮定するとすれば、結局、)剰余価値の一部の転化形態たる租税による国家の財政支出によって購入される。(軍事支出をまかなうべき租税が賃金がかけられ、そして賃金がその負担分だけ騰貴しえなければ、労働力は価値以下に支払われたことになる。)」(富塚良三「経済原論ー資本主義経済の構造と動態」有斐閣、1976)
 さりながら、我が国の財政に群がる「死の商人」たちには、国内と国外との両方がいる。軍需品は、日本国内の兵器産業の中でつくられているのみならず、最近では、多くの額を日米安全保障条約に基づく同盟国のアメリカから輸入調達しているではないか。それにまた、防衛大綱などを試算の根拠に後年度負担にかかる国庫債務行為にて次から次へと購入の約束を与えてきている。
 そのまごうことないほどの対米追随の姿勢には、どこにこの国の安全保障の主体性があるのかと、嘆かわしい。しかも、この数年来は集団安全保障への肩入れ激しく、国民やその政府そっちのけで、米軍の作戦のお先棒を担ぐことにもなりかねないほどの盲従ぶりなので、驚きを禁じ得ない。
 それはさておき、このような歯止めなき軍事費の増大傾向は、否応なく、いわゆる自由財源を縛っていくことになろう。

 それから公共事業費のかくも大きな増額については、「またぞろ大合唱か」と、驚きを禁じ得ない。これの背景としては、東日本大震災では国土の脆弱性が露呈し、将来の大規模災害への備えも欠かせないというのは、世間に通りやすい。
 一方、デフレからの出口が見えない中で消費税を増税するに当たっては、景気対策が不可欠だ。いうなれば、国土強靭化計画の閣議決定(2018年12月)と消費税増税への対策とを抱き合わせることで、防災関連のインフラ整備に大型の投資をすれば、渡りに船というか、一挙両得ではないかと考えている筈なのだ。
 それはともかく、第一に問題となるのは、その中身である目的なり規模(金額など)であるに違いない。施政者たちが、それが私たちの社会にとって真に必要で価値のあるものと考えるなら、その理由を国民に認めてもらうべく、情報の開示などそれなりの努力をして見せるのが当たり前でなければ意味があるまい。もっというなら、その場合の評価に、現代的な意味での国民のチェックが十分に働くようなシステムづくりが肝要なのだ。
 第二に問題なのは、ここにいう消費税増税との関連性であって、政府は国民生活の安定と財政再建とを真面目に考えているのであろうか、と危ぶまれる程なのだ。増税で国民に痛みを強いるなら、歳出の方もそれなりの支出の見直し(復興財源の別項目での流用もあった昨今)なり縮減なりがあって然るべきなのだが、軍事費の場合と同様にそうした配慮、目配りがほとんど見当たらないのである。

(続く)

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