♦️726『自然と人間の歴史・世界篇』キルギス

2017-11-30 21:41:43 | Weblog

726『自然と人間の歴史・世界篇』キルギス

 現在のキルギス共和国(通称キルギス)は、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和制国家である。首都はビシュケク。かつての正式国名はキルギスタンである。その位置関係だが、北はカザフスタン、南東は中国、南西はタジキスタン、西はウズベキスタンと接する。
 ここにキルギスというのは、モンゴル高原の北に広がる、南シベリア草原のエニセイ川流域で遊牧生活を送っていたトルコ系民族の名前だという。中国史でいうと、漢代には結骨として出てくる。匈奴に服属していたらしい。現在キルギス人が多数といわれるが、17~18世紀頃までにキルギス人の民族意識が高まっていく。18世紀後半~19世紀前半には、コーカンド・ハン国による支配があった。1855~1876年には、ロシア帝国の支配下にあった。1918年、ロシア連邦共和国内の一部としてトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国が成立する。1924年、中央アジアの民族・共和国境界が確定する。これにより、ソ連邦を構成するロシア連邦共和国内のカラ・キルギズ自治州となる。1926年2月、キルギス自治ソビエト社会主義共和国が成立する。1936年、ロシア連邦共和国から分離し、ソ連邦を構成するキルギス・ソビエト社会主義共和国に昇格する。 1990年6月には、オシュ事件が起こる。これは、キルギス系住民とウズベク系住民とが衝突したものだった。1990年10月、アカーエフ大統領が就任する。1990年12月、「キルギスタン共和国」に改名し、国家主権宣言を行う。1991年8月、国家共和国独立宣言を発す。1993年5月、国名を「キルギス共和国」に変更する。
 2005年4月、政変によりアカーエフ大統領が辞任する。2005年7月、バキーエフが大統領に当選する。2009年7月、バキーエフ大統領が再選される。2010年4月の政変により、バキーエフ大統領が辞任する。2010年6月、南部にてキルギス系とウズベク系住民の大規模衝突が起きる。2010年6月、国民投票が行われる。新憲法が採択される。2010年7月、オトゥンバエヴァ大統領が就任する。2010年10月、議会選挙が実施される。2010年12月、連立与党による新内閣が発足する。2011年12月、アタムバエフ大統領が就任する。 2015年10月、議会選挙が実施される。

(続く)

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