◻️265の4『岡山の今昔』岡山人(20世紀、斎藤真一

2019-10-10 09:10:38 | Weblog

265の4『岡山の今昔』岡山人(20世紀、斎藤真一)

 斎藤真一(さいとう しんいち、1922 ~1994)は、異色の画風で知られる。児島郡(現在の倉敷市)の生まれ。
 1948年には、東京美術学校を卒業する。そして、静岡第一中学校の教諭となる。第4回の日展に初入選を果たす。1950年には、岡山県立天城高校の非常勤の教師となる。やがての1959年には、フランスに留学する、現地では藤田嗣治らと親交を結ぶ。1953年には、移転して、静岡県立伊東高校の教師となる。

 そして迎えた1962年には、描きたいものを見つけたようだ。「瞽女(ごぜ)」にひかれる。それからは、盲目の女性を沢山描く。彼女らは、津軽地方の三味線を弾き語る。あの高橋竹山のような激しい曲調が。やがて、18年間勤めた伊東高校を退職し、画業に打ち込む。

 さらに、関心は瞽女から明治期の遊廓の女性へと題材は深まっていく。母の知り合いで同郷の倉敷出身の女性が花魁だったことが、その扉を開いたという。

 1985年には、「明治吉原細見記」と「絵草子吉原炎上」を発表する。これら2作が、五社英雄監督の映画「吉原炎上」(東映株式会社)の原作となり、一躍有名画家の仲間入りをする。これらに関連しての「西津軽の街道」(1988)には、厳しい自然での掟のようなものを感じる。

(続く)

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


コメントを投稿