○○475『自然人間の歴史・日本篇』土地神話の崩壊

2016-09-19 09:27:59 | Weblog

475『自然人間の歴史・日本篇』土地神話の崩壊

 日本の1980年代バブルの時には、1984年に1万円そこそこであった日経平均株価が1989年末になると4万円に近づいていました。その一方、で1983年を100とした東京圏の地価は1989年には約340に跳ね上がっていました。その間のGDP(国内総生産)は1984年で298兆8198億円であったのが、1989年には405兆6554億円になっていました。なお、株価のピークは1989年12月、景気動向指数による景気の山は、1991年2月がピークとなっていました。
 では、なぜこのような高率の地価上昇がもたらされたのでしょうか。
まず、その間の貨幣供給からみましょう。ここでM1とは現金通貨と預金通貨を合わせたもの、M2とはこのM1に準通貨をたしたもので現金、当座預金、普通預金、定期預金の合計額となります。またCDとは譲渡性預金のことです。わかりやすく言うと、一般企業などが商売上の取引で使う譲渡可能な大口預金のことを指します。マネーサプライの一般的指標としては、M2+CDがよく用いられます。
 そこでM2+CD残高は、1983年1~3月期が247兆3193億円、1984年1~3月期が268兆1766億円、1985年1~3月期が289兆4160億円、1986年1~3月期が315兆3323億円、1987年1~3月期が343兆6531億円、1988年1~3月期が384兆1227億円、1983年1~3月期が423兆8439億円。
 また、この時期の四半期GDP(国内総生産)の推移をみると、1983年1~3月期が64兆8880億円、1984年1~3月期が68兆7140億円、1985年1~3月期が73兆3160億円、1986年1~3月期が77兆1870億円、1987年1~3月期が81兆930億円、1988年1~3月期が86兆8550億円、1989年1~3月期が92兆5380億円。
 今度は、地価の下降局面をたどってみましよう。96年1月、地価税0.15%引き下げ。96年11月、土地政策審議会答申。97年2月、「新総合土地政策推進要綱」を閣議決定。97年3月、不良債権処理のため、「担保不動産等流動化総合対策」発表。97年4月、土地有効利用促進検討会議の設置。97年4月、「担保不動産等流動化対策連絡会議」設置。97年9月、土地有効利用の具体策発表。97年12月、98年度税制改正。
 これらの動きは、やがて2001年からの量的緩和政策、つまりお世の中に出回っているおカネを増やすことで、消費や投資を促し、デフレ経済からの脱却をめざす動きにつながっていきます。

(続く)

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