まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

客車マニア失格…?

2006年07月21日 | 廊下から
古いアルバムを捲っていたら、目に付いた1枚のピンボケ写真…
入社した頃、会社の先輩運転士氏に『芸備線に写真を撮りに行こう』と誘われて、早朝から出かけた時に撮った1枚です。しかしまぁ、ピンボケ写真も残しておけば、いつかは貴重になるものですな(笑)


芸備線 中深川~上深川  昭和63年夏?

で、古いアルバムを更に捲ると、50系客車やその列車を殆ど撮影していない事に気が付きました。田舎で散々見ていた50系だったので、特に目新しいと思わなかったのでしょうか… 今の会社に入って、無料パスで実家に帰省出来たにも拘らず、実家周辺でも50系を撮影していません。
まぁ、こんな編成じゃあねぇ…写欲出ませんよ。


波子~敬川間にて 平成2年頃

とりあえず、まとも(?)に写っていたのがコレ。初めて2000系気動車に乗りに行った時に撮影したものです。実はこの日は、私鉄総連系の中小組合の第1波のスト決行日で、ウチも24時間ストを行った日でした。スト設定以前から有給休暇を申し込んでホテルも予約していたので、旅行は決行しました。まぁ、帰ってから『スト破り…』とか散々言われましたが… 後から決めた方が悪いと言い切りました(笑)


土讃線 阿波池田にて 平成元年3月

平成4年春、『TAP山陰路観光キャンペーン』が展開され、その一環で上野から上越北陸線経由で『TAP山陰路 夢空間号』が運転され、浮かれて2日間も出雲市駅に通いました。この時撮影したのが、出雲市~米子間の輸送力列車421列車です。この列車は6両編成で、後に12系に置き換えられても長編成(?)を保った列車でした。但し休日は2両編成だったかな…? この時、ビデオカメラもまわしており、今となっては貴重な動画も残しております。あの頃は元気だったなぁ…(遠い目)


到着した421レ

引上げ待機中(パッキン不良で光線がもれてます) 旧出雲市駅 平成4年4月4日

当時は当たり前だと思っていた50系客車。あっという間に消えてしまい、満足の行く写真がありません。他の客車も同様です…客車マニア失格ですな…(ハァ~)

屋島ケーブル

2006年07月19日 | 廊下から
屋島といえば古くは源平合戦の舞台となり、現在でも観光地として有名でありますが、つい最近までケーブルカーが走っていたことでも知られています。
この屋島ケーブル(正式名:屋島登山鉄道株式会社)は戦前から営業を開始しており、戦時中に休止されるも戦後復活、屋島観光の足として活躍しましたが、近年は利用者が大幅に減少し施設の老朽化もあり、平成16年10月16日を持って営業休止、翌年8月に廃止となりました。
琴電撮影の折に、数回このケーブルに乗ったことがありましたが、四国の知人の紹介もあり、休止前の10月13日に屋島ケーブルの施設を見学させていただく機会に恵まれ、初めて見る施設にはただ圧倒するばかりでした。係の方の説明では、巻揚げ機は開業当初からのもので、全て手動で制御するシステムは現役最古と聞き、大変驚きました。



琴電屋島駅から案内に沿って歩くと、約10分で登山口駅に到着しました。駅前の上り坂から見上げると、山腹を往復する白いケーブルカーが印象的でした。



1号車『義経号』、2号車『辧慶号』と名付けられた車両は、昭和25年の営業復活時に新製された車両で、この車両に揺られて眺める高松市街の町並みは、いつもと違って見えました。



約10分程で山頂駅に到着。この日は、お名残乗車をする市民の姿も見られ、いつもより賑っていた様にも見えました。この小さなお客様にはどんな思い出が残るのでしょうかね? (駅舎の写真は2000年撮影)




運行時間の合間に、山頂駅の巻揚げ機を見学させていただきました。この巻揚げ機は、開業時にスイスのギーセライベルン社から輸入されたものだそうです。直径3m以上の大歯車が回転する姿には圧倒されました。モーター軸に取り付けられた赤いドラムがブレーキ装置で、真上の制御室からワイヤーで制御しておりました。例えどんな機械でも、日々の点検を欠かせないもので、機器室の黒板からもその点検内容を伺う事が出来ます。こういった人々の努力が運行を支えているのですね。


この日の最終便の山頂行電車。


10月16日の運行をもって営業を終了する予定でしたが、当日の早朝の試運転時に原因不明のトラブルに見舞われ、途中で車両が停止したままとなり終日運休したそうです。本当に寂しい幕引きだったそうです。車両達も最後を知っていたのでしょうか…

高宮今日子さまの屋島に行ったお話しから思い出した、ケーブルカーのお話でした。
(参考資料:琴電-古典電車の楽園 JTB刊)


琴電と楽しむ“うどん”

2006年07月18日 | 廊下から
最近、給食室からの呟きが少ないとのご指摘を受け、私が琴電ツアーを行うと訪れるお店を紹介しましょう。

琴平線の滝宮駅から徒歩10分位の所にあるのが『松岡』です。お昼前後のみの営業で、宮武系の太くてコシのある麺が楽しめます。こじんまりとしたお店ですが、県外者達の行列も無く、さっと入ってすっと食べれるお店です。
あ、そうそう。以前ここで揚げたての天婦羅が食べれた事がありました。業者が揚げた天婦羅だと思っていたのに、熱々が食べれたのには感動しました。
ここでうどんを食べたら、すぐ近くの“道の駅滝宮”で『うどんアイス』のデザートを。いりこ風味のこってり味がオススメ… お土産には『うどんスナック』がオススメ。これがビールと合うんですね(笑)





長尾線をウロウロした時には、木太東口駅から徒歩10分位の国道沿いにある『根っ子』に立ち寄ります。
ここは、比較的新しいお店ですが、麺もしっかりしており美味しく頂けます。ここのオススメは『温泉たまごうどん』で、とろりとした黄身が麺と絡まってこれもまた絶品です。このお店は高松市街にも店舗があります。
このお店は、地元の方に教えていただきました。




時間があれば立ち寄るお店も何軒かありますが、ここもそのうちの一軒です。
琴平線栗熊駅から、国道32号線を越え、更に旧国道を越えた所にあるのが『まえば』です。
ここのお店は、うどんを食べさせるだけでなく、粉も売っているお店です。5Kgから20Kgまで、地方発送もしてくれるそうです。『緑あひる』もありましたねぇ…(笑) ここでビックリしたのが、『温泉たまごの磯辺揚げ』。半熟の黄身を維持したあの天婦羅、どうやって作るのでしょうね…? 時間が経つと、黄身が固まって『ゆで卵の磯辺揚げ』になるので、揚げたてを狙うのがベスト。




このネタは、いけんですね。書きよったら本当に行きたくなってしまいました… あ゛~、早く梅雨が明けないかな…

さて、突然ですが問題です。これはどこのお店のでしょう? てつまろさまと高宮今日子さまは判りますよね? ヒントはネギの量です(笑)



クモハ42 006

2006年07月17日 | 廊下から
今夏最大の一大思いつきプロジェクト、『プロジェクトU』も佳境に入り、OやKと言った邪念が周辺から入り計画完遂が危ぶまれてきたので、初心に帰るべく私が唯一触れ合う事の出来た旧型国電の画像を貼り付け、士気を奮い立たせ計画完遂への誓いを新たにしました…?

私が車掌時代に“そのスジ”の先輩運転士の方々(若かりしシンコーさまもおられました…多分)に強制連行…いや、誘われて青春18切符で、宇部線方面に撮影に行った事があり、夕方の本山線にクモハ42を尋ねた事がありました。
中学生の頃から旧型国電に興味があり、特に元関西急電のグループは、ずらりと並んだ狭窓に美しさを感じておりました。しかし、当時は飯田線の車両にしか興味がなく、『宇部線にもクモハ42がいたなぁ…』程度にしか思っておりませんでした。しかし、この時初めてお目に掛かった時には、人の温もりが感じる造作、年輪を重ねても失われていない美しさに、ただ心を奪われたのでした。
しかし、クモハ42と接したのもこの時限り。その後にアクセントだった警戒色も消され、イベントに借り出されたりもしましたが、単なる客寄せパンダと化した姿に寂しさを感じ、二度とこの目で見る事はありませんでした。
一部では、前面警戒色は邪道とも聞きますが、なんら変哲の無い風景に電車の存在感を知らしめる、良いアクセントだったと思います。
しかし、やはりデータが無い。見に行ったのは昭和63年だったか平成元年だったか…切符収集の中から探し出すにも、大変だなぁ…



夕陽を背に佇む 長門本山駅にて


時代を映す銘板… あれ? 製造銘板が無い…


一体、どれだけの人々を運んだのか…


おまけ… この日、車内で買い求めた車補

いやぁ、いいですね。旧型国電も… 客車や気動車に明け暮れていた私には、一服の清涼剤になる…訳ないか(笑)

『で、またクモハ42を買うんじゃろ?』
私『うっ…(汗)』

Fおぢ『♪お~ちてゆきましょ 奈落のそ~こへ…』

『プロジェクト U』 その3

2006年07月14日 | 工作室から
最近は、公休日の度に雨が降るので、工作がどんどん進みます。

さて、『プロジェクトU』もここまで進みました。現在の難問は、幌枠をどう作るかで工作がストップしております。クハ55052はプラ板を曲げて、簡単に表現できたのですが、幌枠は板厚があるので曲げるわけにも行かず、切り出すべきかと思案中です。これが出来ないと、クモハ40067が完成しないんです…どなたか知恵をお貸しください m(_ _)m


左から40067・55052・55073・41022・41026