まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

タキ行で煩悩を祓うも・・・

2024年10月28日 | 工作室から

部屋を片付けるという名のもとに、石油タキの整備を行いました。

独身時代に数両所有していましたが、故あって手放してしまいました。

が・・・宇都宮へ単身赴任して実物を何度も見たことで悪い虫が騒ぎ出し、関東某模型店で比較的安価な中古品を7両まとめて手に入れたのが1月某日(汗)

広島へ帰還し、この後どうしようかと悩んでいたところ、縁あってY大先輩の遺品を譲って頂けることになりました。

一部を除き、購入したままの新品の状態だったので、ウチの標準仕様であるKATOナックルに交換。

インレタを貼って来るべき運転会に備えます。

所有社銘板のシールが一部不足していたので、西のワムハチさまから譲っていただき必要数をか確保出来たと思いきや、1月に購入した車両のシールが劣化して一部が剥げ落ちてしまう事態に(滝汗)

緩衝材として入っていた新聞紙が1993年の日付、購入したのは30年前の製品だったのか…(驚)

 

とりあえず、所有者銘板の貼り付けは後回しにして、100均の書類ケースに収納してます。

緩急車を連結して国鉄時代を楽しむもよし・・・

一緒にやって来たタキ1000を最後部に連結にして、今風を楽しむもよし・・・

 

さ、部屋も片付いたし身も心も清らかに・・・

ならなかった(糞爆)

 

 

 


正しいマニ30の使い方…(笑)

2024年10月21日 | 廊下から

模型友の会の運転会が2ヵ月ぶりに開催されました。

今回はボソッと…

「ブルートレイン…」

と、呟いたので予告とおりブルートレインで参戦。

当日の朝まで、14系か20系で悩みましたが、カバンに入る量を鑑みて20系に。

ただ、普通に20系を持っていくのは面白くないので…

しみじろうさまから譲ってもらい幾年月、初めて正しい姿(?)で活用しました(爆)

急行銀河号に連結されたマニ30…美しいですねぇ。

次は荷物列車に連結させて楽しもうかな?

 

西のワムハチさまの新作タキを連ねた専貨。

液安の白タキが眩しい!

このような編成を見ると、牽引機は違えどタンク車ツアーで訪れた中条駅で実見した3880レを思い出します。

黒山駅から太郎代駅まで歩いて往復、いろんなタキを見たのが懐かしい(遠い目)

で、今回一番目を引いたのは、しみじろうさまの小湊鉄道。

やっぱり気動車を見ると、ウズウズしてくるのは悲しい性なのかな(糞爆)

 

さて、聞けば来月の運転会には遠方からゲスト様が来るとか。

何を持っていこうかな?


電車が空からやってきた日

2024年10月19日 | プリントスキャン画像

古い写真のスキャン第2弾。

空から電車がやってきた日、1999年3月15日です。

 

日本では2番目の導入となる超低床電車5000形をドイツより輸入して走らせると公表し世間を賑わせましたが、その輸送方法で更に驚いた方も多かったのではないでしょうか?

当時、社内ではロシアの軍用機で電車を運ぶと噂が流れていて、どんな姿で運んでくるのか大いに興味があったので、有休を取って友人たちと広島空港へ向かいました。

軍用機と聞いて、カーキ色の大型輸送機を想像していましたが、やってきた機体に・・・?

本当に停まれるのかと心配になるくらいの勢いで着陸し、谷へ落ちやしないかとヒヤヒヤしながら見てました。

後年の社内報の回顧録で、「滑走路は短いけど、積荷は戦車より軽いから着陸できる・・・」と関係者が言っていたとのこと。

駐機場(?)に到着。

関係者がワラワラと集まり・・・

輸送トラック

最初に降りてきたのはクルーでしたが、コック帽を被った人に???

ビックリドッキリメカ登場・・・ではなく(笑)

見えました。

おぉ~ 顔が見えん。

積み込みが終われば・・・

通関手続きへ。

ここまで見届けて、一旦広島へ戻りました。

夜、再び広島空港へやって来ると、フェンスが邪魔だけどイイ感じで駐機してたので思わず撮影。

江波車庫への移送をここから追っかけます。

深夜の国道2号線を西下。

海田の呉線ガード下を慎重に通過。

ガードまで30㎝あるかないかの隙間で無事通過。

舟入本町交差点を左折して、電車通りを南下して江波車庫へ搬入されました。

江波車庫で組立、ラッピング作業を行い数日後の深夜に荒手車庫へ回送。

江波車庫からは800形(車号は失念)の牽引で出発し、その後ろから3803号が追いかけます。

十日市交差点手前で停車し、800形を切り離して後続の3803号と連結し、十日市の亘り線を使い下り線へ転線し荒手車庫へ向かいました。

ここまで牽引してきた800形は、作業の邪魔になるので横川まで行って折り返したような気がするけど覚えていません(汗)

土橋分岐から小網町方面へ。

荒手車庫へ向かうことなく、ここで撤収しました(多分・・・記憶がない)

 

5000形の登場は賛否両論がありましたが、広電の超低床車両の礎となった車両には間違いありません。

導入から数年後には千田車庫にも5007号、のちに5012号が1号線でも運行され、横川駅停留場移設開業記念式典では、5007号が記念車両として横川駅~原爆ドーム折返しで運行されました。

 

5000形も諸般の事情で休車が多くなり、聞けば普段動くのは5011号だけだとか・・・

以上、オヂさんの思い出話でした。


北斗星と夢空間

2024年10月13日 | プリントスキャン画像

工作意欲が余り無かったので、久しぶりにプリントをスキャンしてみた。

今後は少しずつ古い写真をスキャンしてデジタル化を行い、少しずつでも公開していこうかなと思ってます。

デジタル化によってアルバムを減らし、物置を整理したいのですが、一体いつになったら終わるのやら…(汗)

 

1992年4月4日~4月5日、TAP山陰路観光キャンペーンの一環として、「夢空間」が上野から上越線~北陸線~小浜線~山陰線経由で出雲市までやってくると聞いて、有休を取って出雲市駅へ撮影に行きました。

出雲市到着 牽引機はDD51-1106号機

最初で最後となった、北斗星用の客車との出会い。

夢空間も最初で最後だった…

オシ25-901

オハフ25-901

オロネ25-901

オロネ24‐501

オロハネ25-501

オハネ24-3

オハネ25-231

オハネフ25-14

カニ24-510

パッキン不良による光漏れで眠たいだけの醜い写真ではありますが、今となっては懐かしい思い出…

こんな列車は二度走らないでしょうね…

この日の動画はこちらからどうぞ。

 

【追記】

1992年4月4日 実見:出雲市駅

  DD51 1106 米
  カニ24    510 盛アオ
⑧ オハネフ25 14 東オク
⑦ オハネ25   231 東オク
⑥ オハネ24       3 東オク
⑤ オロハネ25  501 東オク
④ オロネ24   501 東オク 
③ オロネ25   901 東オク
② オハフ25   901 東オク
① オシ24       901 東オク


妄想は続くよ、何処までも・・・

2024年10月09日 | 工作室から

シフト勤務になって約1カ月・・・

平日休みがあったりして、ウチで1人お留守番も増えてきました。

外出する気力もない日が多く、思い立って模型棚の整理をしてると、何年も走らせていない・・・いや、箱からすら出してもない車両があちらこちらに(汗)

その中で最も長期間出していない車両群の一つがコレ・・・

ブラス工作全盛期、九州急行をと意気込んで食堂車や寝台車を作りましたが、座席車はKATOで安直にそろえていました。

その寝台車達は既に手元にはなく、座席車だけがずっと残してました。

若い頃に購入したので、屋根はスウェード調塗料を吹き、手すりは真鍮線で自作、窓枠以外は再塗装済みと、まじめに手を加えていました。

マシ29-2の完成により、ぶどう色1号に再塗装して急行雲仙号を再現しようとも思ってましたが、もっと安直に遊べないかと方針転換(またかい!…汗)

安い中古品を確保したままになっていたので・・・

Assyパーツ+茶色客車+手つかず客車のパーツを組み合わせて、「日南号」「高千穂号」に続く、青色客車時代の急行列車再現が早く楽しめるかと妄想しています。

マシ29を整備し直したら、急行玄海号が再現できる・・・かな?