まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

KATOスハ43系

2005年12月14日 | 工作室から
門タケさま主催の「客車関係の掲示板」に私の駄作を発表しましたが、主な加工の詳細を紹介します。

①屋根加工

手前がオハ46-13、奥がオハ47-2005です。屋根の加工ですが、キャンバス屋根の表現をスウェード調塗料で塗装を行うのを標準としています。これは金属製キットを組み立てた時も同様です。手前のオハ46は鋼板屋根を表現していますので、屋根を組み立てたまま製品の雨樋を削り、新たにプラ板を細く削りだして貼り付けます。立樋はエバーグリーンの0・4㎜プラ丸棒を使いました。ただ地方では、エバーグリーンの素材が入手困難なのが玉にキズです。

②洗面所窓

上はスハフ42-113、下がオハ47-2005です。スハフの方は掲示板にも書きましたが、Tomixオハネ12の便所窓ガラスを転用しましたが、かなり大きめですね。オハ47の方は製品の窓ガラスにプラ板を細く切り出したものを貼り付けています。山陰の車両は多くが白色ガラスに交換されていた(一部はペンキが塗ってあった。)ので、外側から白色に塗装しました。乳白色ガラスを強調する場合は裏から塗装し、違いを強調させています。

オハ47といえばTR-23台車ですが、当方はTR-23台車をKATO製の台車に全て統一しています。軸箱部分は元のモールドを削り、エコ-パーツを貼り付けています。それまで台車は日光製の台車を使用していましたが、走行性能やスポーク車輪の交換となると高価になります。また金属製車体の場合、長期保管をしていると枕張りが“はの字”に広がり車輪が外れるといった欠点があります。またKATOのTR-23は手に入らないのが難点です。以前、40系電車の再生産があった時に、Assyパーツとして大量購入しましたが、これだけでボーナスが吹っ飛びました。せっかく転がり性能が良い台車があるのですから安定供給していただければ助かるのですが… 今の模型メーカーは“嫌なら買うな”の殿様商売ですから、ユーザーの意向なんて聞く耳持たないでしょうね…

③オハフ45-2108

本物よろしく、客室窓を700㎜窓に加工しました。窓ガラスは製品の客室窓を所定の寸法に切断した後、窓枠をプラ板で新製しました。屋根昇降ステップは真鍮線から自作し取り付けています。尾灯にはエコーパーツに交換していますが、電気配線は苦手なので不点灯としています。

これ以外の標準加工としては、カプラーをKadee5番に交換しております。また後藤工場の客車は幌枠を車体色に合わせて塗装していますので、そのように色差しをしています。夜行「山陰」用にとオハ46-512とスハ43-159を改造中なんですが、既に5年バラバラのままです。いつ陽の目を浴びるのでしょうか…(汗)


珍獣発見…?

2005年12月13日 | 廊下から

何かネタをと古いアルバムを捲っていると、面白い写真を見つけました。写真は「まつかぜ」のキロ80を写したのですが、何と乗客の方がカメラを構える私を車内から撮影しているではありませんか。
データはありませんが、昭和59年夏頃に浜田駅で撮影した写真です。撮影して20数年経って気付いた1枚でした。

皆さんもこのような経験はありませんか? あと心当たりの方はご一報を…っていうか、ここを見ているとは限りませんよね(汗)

私の原点

2005年12月13日 | 廊下から

私の原点、このカメラで鉄道写真を撮り始めました。このカメラは、私が生まれた頃に親父が職場の同僚から譲っていただいたとのこと。我が家の歴史を見続けてきた大切なものです。
私が中学生になると、私の鉄道写真専用になってしまい、就職して中古のAE-1を買うまで現役でした。数年前に晴れて私のものとなり、今では私の部屋に置いてあります。レンズにカビが生えているかもしれませんが、機会があれば使って見たいですね。



小学5年生の時…

2005年12月12日 | 泥沼より

以前に、暴掲示板に私が初めて撮影した写真(サヨナラDF50)を貼り付けましたが、今度は第2作目の恥ずかしい写真を…
昭和55年のとある日、地元波子駅に停車中の525列車(出雲市→益田)を、弟と仲良く1コマづつ撮影しました。手前に写る消火用水の水槽も懐かしいのですが、写っているスハフ42-2121が… 車内を撮影していたら褒められていたのでしょうが…

ハチクマ

2005年12月12日 | 廊下から

今朝、朝食を作ろうと冷蔵庫を開けてビックリ! 買い物をしてなかったので、味噌汁の具がない!
仕方ないので、ハチクマライスで簡単に済ませました。ベーコンを下に敷くと美しく目玉焼きが出来ませんね、黄身は絶妙な半熟状態だったのですが…(笑)