まろねふの廊下からの呟き

中年オヂさんの呟き転じて、人生備忘録となる…

大きく変わった浜田駅

2009年10月27日 | 廊下から
この土日は急な用件で、実家に帰省しました。久々に高速バスで帰省しました。

話には聞いてはいましたが、新しくなった浜田駅を見るのは初めて。山陰では珍しい橋上駅舎です。


駅正面

中に入ってみると、駅のスペースはほんのちょっと。こじんまりとした姿には一抹の寂しさが…


改札口

機関区と貨物ホームのあった辺りは全て嵩上げし整地され、新たに北口として生まれ変わっていました。そして跡地には国立病院機構浜田医療センターと附属看護学校が移転し浜田駅と直結します。このような駅は珍しいのでは?


左が医療センター、右は浜田駅

華やかだった頃の写真が無いので比較できませんが、画像の中央辺りに機関車検修庫があり、左側には機関車留置線、更に貨物ホームがありました。貨物扱い廃止後は旧型客車を始めとした休車が留置されていた場所です。

因みに再開発前の姿は…。
http://green.ap.teacup.com/maronefu-29/298.html

駅舎は新しくなりましたが、ホームを散策すると、こんな忘れ形見を見ることが出来ます。


給水栓跡

上りホームの先端には蒸機時代の給水栓の跡が残っています。その反対側にはSG用の給水栓もあります。

また、裏に回ると昔の面影がまだ残っております。


岡山区から借入中のキハ120-357

洗條線は昔のままです。今では気動車1両分の長さしか必要ないようですが…



人の手で車体を洗浄している姿は、今も昔と変わりません。

子供の頃、浜田にお買い物に出かけると必ず利用した浜田駅。鉄道の要衝でもあった頃の賑やかさが、懐かしく思い出されます。

セキの残像…

2009年10月19日 | 泥沼より
重安から宇部岬を走っていた石灰石輸送列車、通称『赤ホキ』がその輸送の歴史に幕を下ろした。
これにより、美祢線での石灰石輸送列車が消えたわけであるが… 『黒いヤツは任せた』と高宮今日子さまに丸投げされ、のぶ太郎さまがいつも味わう『拍手に似たビンタの嵐』が怖いので、眠い目をこすりながらアルバムから、セキの画像を探し出した。

列車については過去呟いたので、今回はセキ6000の残像をご覧頂き、在りし日を懐かしんで頂きましょう。


牽引機を待つセキ 美祢


横ハンドルのセキ


縦ハンドルのセキ


手ブレーキ、側面にはその表記も…


開口用のハンドルは間違えないように黄色に塗られ…


昭和37年製造、人間ならまだ働き盛りだった…

黒い石炭から、白い石灰石に積荷を替え、機関銃のようなジョイント音を響かせて走る姿は、今でも脳裏に焼きついています。

過去の呟きは…
http://green.ap.teacup.com/maronefu-29/193.html

2001号

2009年10月18日 | ひろでん
去る10月16日を持って、広電唯一の連結車2000型が定期運用から退きました。
あいにく最終日は仕事で、最後の姿を見ることは出来なかったが、乗務員に嫌われながらも、よくぞここまで頑張ったと思います。

私は最後だからと騒ぐのが好きではありません。だからと言って普段の姿も記録していないので、古いアルバムから私が入社した昭和の63年に撮影した2000型で単車のまま残った2001号の画像を紹介します。


昭和63年 荒手車庫

2000型は昭和35~37年に9両が製造され、昭和49年に2002~2009号が永久連結化工事を行い現在のような姿となりました。
2000型は、2001~3と2004~9とでは、制御器のカムの進段方法に違いがあり、1~3は全段が電動機で進段するのに対し、4~9では加速段は電動機、弱め界磁段は圧縮空気による進段する方法です。ですから番号順に連結工事を行った結果、2001号があぶれたようです。

古い先輩の話では、2001号は昭和50年代前半まで直通運用(宇品2丁目行だったらしい…)で使用されていましたが、晩年は事業用となり、高床車両の千田車庫入場の際の牽引やレール運搬車を牽引していました。

話が脱線しますが、高床車と低床車の連結はどのように行っていたかというと、このように特殊な連結棒を用いておりました。



画像のものは、荒手車庫の原っぱに転がっていたものです。もしかするとレール運搬車用のものかもしれませんが…


1070型連結器

高床車への連結棒取り付けは連結器のナックル下部にあるナットの部分に固定します。
私が車掌教育で聞いた手順は、

1.ナックル下部のナットの下の割りピンを抜く。
2.ナットを外す。
3.連結棒を取り付けナットを嵌め、割りピンを差し込む。

と記憶します。

高床車もなくなり、殆ど動かなくなった2001号は、台車に不具合が見つかった上に、モーターを2006か7に転用し動けなくなったと記憶します。
一時は保存の噂も立ち、車体を全塗装まで行いましたが、そんな話もいつの間にか立ち消えとなり結局解体されました。

綺麗になった姿もですが、高床車牽引の時の写真が失敗し記録に残せなかったのが残念です(涙)

3軸台車の食堂車

2009年10月11日 | 工作室から
先日、3軸ボギー寝台車の駄作をネタにしましたが、同じく3軸ボギーの客車には食堂車も作っております。これも『古の九州急行』に感化され作ったものです。



これら客車を作る時に参考にした資料が、レイルロード刊『サイドヴュー』シリーズと鉄道ファンでした。最近では諸先輩方が撮影された写真が、資料となり公開されているので、当時を知らない私には大変ありがたく、感謝するばかりです。
表紙の汚れを見て頂けると、どれだけ頼りにしていたかが判っていただけるかと…


スシ28-103

スシ28はスシ37を改番した非冷房食堂車です。100番台は丸屋根タイプの車両です。103番は冷房化されマシ29となっておりましたが、冷房装置をマシ49に譲った為、非冷房となりスシ28に編入されたものです。他のスシ28と床下機器の配置が異なります。

作品は谷川製キットを素組みしたものです。一寸あっさりし過ぎているのでもう少し手を加えたいところですね…


スシ28-151

この車両は、昭和9年に火災で消失したスシ37724の台枠や台車を再利用し復旧した車両で、広窓の車体にTRー71台車のアンバランスさに魅せられて“つい”作ってしまった車両です。

作品は谷川製マシ38を改造したもので、喫煙室窓と調理室窓を加工し、当時としては大掛かりな加工をした車両です。

他に製作予定の車両が、マシ29-100とマシ38、マシ49の3両です。マシ29は最晩年に青塗りとなった110番にして、他は茶塗りできちんと作りたいなぁ…(遠い目)

3軸台車の客車

2009年10月04日 | 工作室から
昔に戻れたら一度は乗ってみたい車両って何ですか? そんな事を考えると色々と思い浮かぶのですが、アタシの場合はどうしても客車列車になります。

短絡的な発想ですが、客車といえば長距離列車。そして寝台車や食堂車に憧れてしまいます。特に寝台車だと3軸台車の戦前型…一等寝台車もですが、やはり二等寝台車に乗ってみたかったですね。

昔の列車に乗ることは出来ないので、せめて模型でもと思い模型を拵える方は多いと思います。私もこれら寝台車を以前拵えました。最近になって室内を取り付けてやろうかと思い、押入れから引っ張り出してみたのですが…


マロネロ38


マロネ38


マロネ29

思いに浸ったつもりが、何だか工作意欲がふつふつと…(笑)

そういえば最近、客車を作ってないなぁ…(遠い目)