兄夫妻が名古屋から震災見舞いに訪れてくれた。
実家への公式お見舞い、公式晩さん会。兄は義父とゆっくりとじっくりと話し、義姉はいろいろと気を配り、義母や義姉、姪たちとまんべんなく話していた。
私はいつものような緊張感もなく、ただ黙ってにこにことしていればよかった。つくずくと、肉親ってありがたいと思う。
翌日は、震災当時我が息子といっしょに名古屋に避難させていた、息子の親友兄弟、父親を交えての宴会となった。
新たに人々が出会った。
兄夫妻と、夏休みを利用して帰国している二男、そして私で女川から南三陸町を回ってきた。二カ月たった現在も、海には二階建ての家がぽっかりと浮かんでいる。捜索隊の方々は、重機ではなく手作業で何かを探しているような作業をされていた。
その傍らには、復興に携わる大勢の人たちが働いていた。が、そこに色とりどりの洗濯物や、にぎやかな話し声は聞こえなかった。
色のない、すんでいる人のいない町。失ったものの大きさを、空気から感じる。
今、外では、音をたてて雨が降っている。被災地は大丈夫だろうか・・・。屋根の修理を待っている実家は大丈夫だろうか。
あさってから、6月になる。