令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

歴史編(8)畝傍を愛しと

2009年07月30日 | 歴史編
【掲載日:平成21年6月25日】


香久山かぐやまは 畝火うねびしと 耳梨みみなしと あひあらそひき
     神代かみよより かくにあるらし 古昔いにしへも しかにあれこそ
          うつせみもつまを あらそふらしき

【山の辺の道から大和三山を望む
左より香久山・畝傍山・耳成山】

斉明天皇七年(661)一月 
大和軍は 難波なにわを船出
海路 西を目指す 
半島情勢 不安のさ中 
同盟百済 救援のための 新羅征討軍である 

中大兄皇子なかのおおえのおうじは 船上にいた
播磨の国 印南郡いなみのこおり沖合に差しかかる

「おお あれが 印南国原か 
そう言えば 昔語むかしがたりにあったぞ
大海人皇子おおあまおうじ 知っておるか」
「たしか 出雲の阿菩大神あぼのおおかみとか申しました
 三山さんざん争いのうわさ聞き 仲裁に 駆けつけたのは
 中止と知って 引き返したのが ここ印南の国です」 
香久山かぐやまと 耳梨山みみなしやまと ひしとき 立ちて見にし 印南国原いなみくにはら
《香久山と 耳成山が(畝傍山取りあいして) 揉めたとき 
 (出雲の神さん)ここまで来たんや 印南いなみの地まで》
                         ―天智天皇―(巻一・一四)

「昔は 山でも取りあいか 
今 『妻』取りあいするのも 仕方なしか」
香久山かぐやまは 畝火うねびしと 耳梨みみなしと あひあらそひき
     神代かみよより かくにあるらし 古昔いにしへも しかにあれこそ
          うつせみもつまを あらそふらしき

《香久山は 畝傍うねびのお山 可愛かいらしと 耳成さんと 喧嘩した
     ようあるこっちゃ 昔から 今もするんや 妻あらそいを》 
                         ―天智天皇―(巻一・一三)
中大兄皇子なかのおおえは 大海人おおあまをチラと見て にがく笑った
大海人皇子おおあまおうじは 入日に映える雲を見ていた
「兄上 あの雲 我らの 前途のえを見るようですぞ 一首 されませ」
わたつみの 豊旗雲とよはたぐもに 入日し 今夜こよひ月夜つくよ さやけかりこそ
なびぐも 夕日射し込み 輝いて え月照るで 間違いなしに》
                         ―天智天皇―(巻一・一五)

船は 何事もなく 夕日を追って 一路西へ



<大和三山>へ



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