香久山は 畝火を愛しと 耳梨と 相あらそひき
神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ
うつせみも嬬を あらそふらしき
左より香久山・畝傍山・耳成山】
斉明天皇七年(661)一月
大和軍は 難波の津を船出
海路 西を目指す
半島情勢 不安のさ中
同盟百済 救援のための 新羅征討軍である
中大兄皇子は 船上にいた
播磨の国 印南郡沖合に差しかかる
「おお あれが 印南国原か
そう言えば 昔語にあったぞ
大海人皇子 知っておるか」
「たしか 出雲の阿菩大神とか申しました
三山争いの噂聞き 仲裁に 駆けつけたのは
中止と知って 引き返したのが ここ印南の国です」
香久山と 耳梨山と 会ひしとき 立ちて見に来し 印南国原
《香久山と 耳成山が(畝傍山取りあいして) 揉めたとき
(出雲の神さん)ここまで来たんや 印南の地まで》
―天智天皇―(巻一・一四)
「昔は 山でも取りあいか
今 『妻』取りあいするのも 仕方なしか」
香久山は 畝火を愛しと 耳梨と 相あらそひき
神代より かくにあるらし 古昔も 然にあれこそ
うつせみも嬬を あらそふらしき
《香久山は 畝傍のお山 可愛らしと 耳成さんと 喧嘩した
ようあるこっちゃ 昔から 今もするんや 妻あらそいを》
―天智天皇―(巻一・一三)
中大兄皇子は 大海人をチラと見て 苦く笑った
大海人皇子は 入日に映える雲を見ていた
「兄上 あの雲 我らの 前途の栄えを見るようですぞ 一首 召されませ」
わたつみの 豊旗雲に 入日射し 今夜の月夜 さやけかりこそ
《靡き雲 夕日射し込み 輝いて 良え月照るで 間違いなしに》
―天智天皇―(巻一・一五)
船は 何事もなく 夕日を追って 一路西へ
<大和三山>へ
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