埼玉 寄居町・深谷市・熊谷市 ピアノ教室Andante/アンダンテ

~「音楽は楽しい!」から「本物の音楽」へつながるレッスン~

他人の評価≠自分の価値

2010年12月25日 | こころ
今、4月のピアノコンサートでやりたいと思うことがあるのだけど、
いまいち「よし!」というところまで自分を持って行けていません。

だから、なんだかボーッと過ごしているのかも

自分で「やりたい」と思っているのも分かっているし、
きっとできることだとも思うし、
そこから、何かを感じてくれる人たちもいるとは思っているのだけど、

何が足を引っ張るのかというと、

マイナスの評価


それを実際にやったときに、
プラスの評価もあるだろうけど、絶対マイナスの評価もあるでしょう。

実際に私のところに届くことはなくても…。

それをどこかで恐れていて、
「やりたい」ワクワクと、イヤイヤ待て待てという矛盾が生じています


ピアノコンサートの向けての練習が本格的になった今、
ワクワクを持っている生徒と、
恐れを抱いている生徒がいます。

どちらも心の底では、
ステージでステキに演奏する自分を思い描いているのに、
どうして、こうも違ってくるのか…。

もちろん、それぞれに置かれている環境が違うので、
違って当たり前なのだけど、
その中での心の在り方が重要なのだと思います。


ワクワクを持っている生徒たちは、
弾けば弾くほどワクワクしていくので、
危なっかしいところだけ、よく見ておけば、きっとのびのびと演奏することでしょう


私のように恐れを抱いている場合、
どんな言葉をかけたらいいのだろう…。
気持ちをどこへ置いていけるようにしたらいいのだろう…と考えました。


そこでもやっぱり恐れは、他人の評価なのだと思いました。

でも、他人の評価は、自分の成長や調子に関係なくコロコロ変わるもの。
それに、いちいち付き合っていたら、おかしくなる

それでも、やっぱり気になってしまう…。


でも、気付いたのです

プラスの評価をする人は、いつもプラスの評価をする。
そして、その人の生き方がプラスのエネルギーに満ちている

マイナスの評価をする人は、いつもマイナス。
そして、マイナスのエネルギーに満ちている…

ということは、評価は他人にしているようであって、
本当は、その言葉によって、自分自身を評価していることなのでは!

だから、もしマイナスの評価を受けたとしても、
その人自身がマイナスのエネルギーを放っているだけで、
私がおかしいわけじゃない!

これは、言いすぎかもしれないけれど

人の意見も素直に受け止められる人でありたいけれど

私自身を評価していることにはならないのではないかな…
私の価値を表現していることにはならないのでは…なんて思えました。


生徒のことを考えながら、
いつも、自分のことになってしまうのよね…。


こんなことに気付けたら、他人の評価を気にしていることが
ちょっとバカバカしく思えました


じゃぁ、やっぱりやっちゃおうかな