豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

島崎敏樹『心で見る世界』ほか

2023年10月29日 | 本と雑誌
 
 島崎敏樹『心で見る世界』(岩波新書、1969年)、同『感情の世界』(〃、1969年)、同『心の風物誌』(〃、1970年)、同『幻想の現代』(〃、1970年)、同『現代人の心』(中公新書、1968年)も、断捨離する。

 島崎敏樹の文章は、1968年当時の大学入試で頻出するという評判だったので、受験生時代に読んだと思っていた。ところがこれらの本の奥付を見ると1969年や1970年刊行のものもある。どうやらぼくは大学生になってからも、しばらくの間は島崎を読んでいたようだ。
 パラパラと眺めてみると、詩的な表現もあって、今ではすんなりとぼくの「心」には入ってこない。18、9歳の頃はこんな文章がよかったのだろうか、と思う。
 何度か書いたが、「男が憧れるのは(恋するのは、だったかも)、母性と処女性と娼婦性を兼ね備えた女性である」という、島崎の文章は、今でもぼくの印象に残っているので、捨てる前にその出典だけは確認しておこうと、一応すべてのページをめくってみたが見つからなかった。
 あれは島崎の言葉ではなかったのだろうか。そんなことはないと思うのだが・・・。

 「心」の問題で、大学生になってから影響を受けたのは、小此木啓吾の一連の「モラトリアム人間」論だった。その後にもっと影響を受けたのは山田和夫の『家という病巣』(朝日出版社)だが。
 予備校時代に、中央公論新人賞を受賞した庄司薫の「赤頭巾ちゃん、気をつけて」が雑誌の中央公論に載ったのを読んで、とんでもない同世代(18、9歳)の人間が世の中にはいるのだと衝撃を受けた。著者が実際には30歳過ぎだったことは後に知った。30歳は、今のぼくから見れば若い世代に属するが、18歳のぼくには「オッサン」だった。今度は逆に、そんな「オッサン」がよくぞあんな小説を書けたな!と衝撃だった。
 その後の「白鳥・・・」だの「黒頭巾・・・」だのは、みんな途中で投げ出した。一方で、「赤頭巾・・・」がサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」のパクリだという記事を読んで、サリンジャーという作家の存在を知り、野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」(白水社)を読んだ。そしてサリンジャーを論じた小此木(初出は中央公論だったと思う)を読んだのだった。 

 70歳を過ぎた一昨年の秋に、サリンジャーの初期短編集を再読して、けっこう気に入った作品に出会ったことは前に書いた。しかし小此木の「モラトリアム人間論」からは、気持ちはかなり以前に離れてしまった。猶予しているうちに、満期が近づいてきたのだ。
 そして今回は、若き日に出会った島崎敏樹の本ともお別れである。

 2023年10月29日 記
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