豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

浜本幸之「草軽電鉄五拾年誌」

2024年06月22日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 浜本幸之「草軽電鉄五拾年誌」(軽井沢書林、昭和48年、発売=軽井沢新聞社)限定500部の105番、定価2500円。
 「消えゆく草軽電鉄」(発行=浜本幸之、東芝レコード4RS-374、非売品)というレコードと、草軽電車の実際に使われていた切符(硬券)が1枚付属していたが、切符は失くしてしまった。

 これは五反田の古書展の目録で見つけて購入した。
 入札日に、「当選しました」と連絡があったので、わざわざ五反田の会場まで取りに行ったら、店員が「連絡の手違いで落選でした」という。きっと抽籤に外れた購入希望者がゴリ押ししたのだろう。頭にきたので、「それなら別の店で購入するので、その差額と交通費を弁償しろ」と言ったところ、応対した店員が裏に引っこんで、しばらく待っていたら出てきて、「あなたにお売りします」という。ふざけた古本屋ではないか。40年以上昔の話だが、今でも思い出すと腹が立つ。
 こんな次第でやっと手に入れた本である。その後、「日本の古本屋」や「アマゾン」でも一切見かけない。レコードともども、相当レアの部類に入る本といえるだろう。

   

 本文53頁の簡単な本だが、和綴じ本で、全文毛筆で手書き(の印刷)のうえ、モノクロの写真も多数掲載されている(上の写真)。
 大正4年の草津軽便鉄道の軽井沢―小瀬温泉間の営業開始から、昭和35年4月の草軽電気鉄道会社の軽井沢ー上州三原間の営業廃止、昭和37年の全線(上州三原ー北軽井沢間)の営業廃止までの約50年間の草津電鉄の歴史が語られる。
 ※ ある年の夏休みに旧軽井沢に行ったら、前年の夏休みには走っていた草軽電車が忽然となくなってしまっていたのは、ぼくが小学校5年生だった昭和35年(1960年)の夏のことだったのだ。
 草軽電鉄ではトンネルを作らない方針だったため、傾斜25度の急勾配に苦労したこと、冬の雪、夏の台風や落雷の苦労、皇族用の特別列車やハンセン病患者用のベッド付き列車のこと(草津にはハンセン病の治療施設があった)、はては当時からいた銅線泥棒との対決など知らなかった話題も多い。

     

 この本も旧友の息子のS君にあげようと思っていたが、ネットで調べると、この「草軽電鉄五拾年誌」は軽井沢図書館にも所蔵されていないらしい。沓掛テラスの中軽井沢図書館なら、見たい時に見に行くことができるから寄贈してもいいという気がしてきた。軽井沢にゆかりの深い本なので、もう暫らくはぼくが閲覧可能なところに置いておきたい。
 「鉄オタ」だというS君には、代わりに「写真集・草軽電鉄の詩ーー懐かしき軽井沢の高原列車」(郷土出版社、改訂版=1995年)で勘弁してもらおう。この本は2冊持っているので。改訂版は間違いなく神田神保町の篠村書店で古本を買ったのだが、新装版が出たので軽井沢の平安堂書店で買った(上の写真)。
 ※ 「草軽電鉄の詩」のことは、2006年12月21日(旧版について)、2008年8月5日、同年9月18日(新装版について)の3回にわたって「豆豆」に書き込んである。

 2024年6月22日 記 
                   
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