豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

J・ギースラー『ハリウッドの弁護士(上・下)』

2023年11月02日 | 本と雑誌
 
 ジェリー・ギースラー/竹内澄夫訳『ハリウッドの弁護士--ギースラーの法廷生活(上)』(弘文堂、1963年)を読んだ。
 病院の待ち時間用に持って行ったのだが、活字が小さいのと(印刷も薄い)、前夜が寝不足だったために眠くなってしまい、数ページで断念して瞑目。帰宅してから読んだ。

 ギースラーはハリウッドの有名俳優たちの犯罪やスキャンダルを弁護したことで名をはせた弁護士で、「ハリウッドの無罪請負い人」とも称される弁護士だった。ただし、ハリウッド俳優の離婚事件なども引き受けているから、生粋の刑事弁護士というわけでもない。まさに原書のタイトルである「ハリウッドの弁護士」(“Hollywood Lawyer”)だったのだろう。
 本人によれば、彼はその風貌から「ハリウッドの田舎弁護士」と呼ばれたそうだが、ご本人はそのように呼ばれた方が仕事には有利だったという。バリッとした都会育ちのインテリ風の弁護士のほうが陪審には嫌われるらしい(上の表紙カバー写真の左側がギースラー弁護士)。

 ベテランになってからも、彼は公判前夜には眠ることができず、公判廷に立つと足が震えたと述懐している。弁護人席で背後から彼を見ていた後輩弁護士によると、弁論するギースラーのズボンが揺れていて、彼が震えているのが分かったという。それは緊張からというよりも、獲物を仕留める前の武者震いだったかもしれない。
 今日の社会状況や意識の変化からみると、刑事事件(中でも強姦事件)における彼の弁護活動には、疑問を呈する向きもあるかもしれない。
 強姦事件の被害を訴える「被害者」に被害当時の服装で出廷することを裁判官に求めたりするのは、あたかもそんな恰好をしていた被害者のほうが悪いと言わんばかりである。そのような弁護活動に幻惑されて無罪評決をしてしまうとしたら陪審員のほうが悪いのだが、紹介された事件で陪審が無罪を評決したのは、検察側が、被告人が有罪であることを立証できなかったから、無罪(“not guilty”)と評決したのである。
 ガードナー「最後の法廷」では強調されていなかったが、本書では、被告人には「無罪の推定」が及ぶこと、そして、検察側が「合理的な疑いを差し挟まないまでに」(“beyond a reasonable doubt”)被告人が有罪であることを立証する責任を負っていることが明記されている。陪審制のアメリカでは常識なのかもしれない。映画「十二人の怒れる男」では、登場する陪審員たちの口から自然に “beyond a reasonable doubt” という言葉が出ていた。

 昔から、興行主やスターの地位を利用して女性を籠絡させようとする御仁もいれば、そのような連中との性的スキャンダルを脅しのネタに芸能界へのデビューをもくろんだり、金銭を要求する御仁もいたのだ。
 強姦事件で起訴された第6話「エロール・フリンの強姦事件」と、第3話「大興行主のスキャンダル」は似たような展開である。エロール・フリンというのは往年のスターらしいが、ぼくは名前を聞いたことはあるが映画を見たことはない。共演した女優やファンの女性などと浮名を流したが、その中の2人の女性から準強姦で告発され、起訴された。訴えた「被害者」がいずれも未成年者だったため、「合意」があったとしても準強姦罪に擬せられたのである。
 ギースラーは、彼女たちが証言する「強姦」被害の具体的な態様についての矛盾を次々にあばいていく。例えば、隣りの部屋には職員がいる事務所の一室で助けも求めずに襲われたとか、襲われたという翌日にもパーティーで彼と談笑していたとか、「月を見よう」と誘われて窓際で見ていたら襲われたというが、その日その時刻にその場所から月は見えなかったことを調べたり・・・など、探偵や配下の若手弁護士を使って相当入念な調査を行なうのである。
 彼の活躍は公判廷での尋問や弁論が有名だったらしいが、実際には公判前の入念な調査にこそ彼の弁護活動の本領があった。

 さらに、被害を訴えた女性たちが未成年者とはいえ(そもそも彼女らが未成年であること自体も争点になっている。アメリカの出生証明書には推定力しかないらしい)、あまり品行方正と言えなかったことが調査で判明する。
 1人は(性犯罪に関与した)他の事件で少年院への収容を恐れて検察官に迎合した可能性があることを、もう1人は(当時のカリフォルニア州では犯罪とされていた)堕胎をしたことがばれたため処罰を免れるために、これまた検察官に迎合した可能性があったことを指摘することで(こういった事実を法廷=陪審員の面前に提出するにも法廷技術が駆使される)、公判開始当初は被害女性に同情的だった陪審員(12名中9名が女性だった)の心証を決定的に無罪評決に向けさせることに成功する。
 さらに、彼女らの背後で、彼女らとの性関係をネタにフリンをひっかけてやろうとけしかけていた男の存在を突き止め、その男を法廷に召喚して証言させることで、合意による性関係の存在すら疑わしいものとして、結局無罪評決を勝ち取るのである。
 強姦事件の公判におけるこのような審理は、いわゆる二次被害の恐れもあるが、フリンが被告となった2件の事案では、逆に、わが国の痴漢冤罪事件のような、女性側の虚偽告発の可能性が濃厚だったという印象を受ける。

 事件の紹介の中でギースラーは、検察官(と被害者)の尋問、これに対する弁護人(ギースラー)の反対尋問を公判調書からそのまま問答形式で引用しているので、アメリカ・カリフォルニア州法における反対尋問の許容範囲を知ることができる。例えば、検察側証人である警察官が現場写真を見ながら「✕印の所に被告人が立っていた」と証言したことで、ギースラーは、被告人を証言台に立たせるリスクを負うことなしに、被告人がその場で何を語ったかを警察官への反対尋問で証言させることができた(第5話「勝ち取った正当防衛」)。他にも、伝聞証拠を法廷に顕出させる方法や、許される誘導尋問の限界なども具体的に知ることができる。
 ご本人は、自分の尋問技術は、ストライカー「弁護の技術」(古賀正義訳の邦訳が青甲社から出版されている)などを参考にして修得したことの成果であると書いているが、本書で紹介されているようなギースラーの尋問は、検察官が異議を申し立てなかったり、申し立てても裁判官に却下されているところを見ると、当時としては(現在でも?)適法だったのだろう。

 ぼくは1970年代に、青学近くの青山通りに面した古本屋で “Law and Tactics” という全5巻の Case Book を見つけたことがあった。各巻1000頁近く、1冊の厚さが10センチ近くあったのだが、面白そうな目次が並んでいて、値段も5巻で2000円くらいだったので買って、自宅まで担いで(というのは嘘で、紐で縛って手提げをつけてもらって)帰ったことがあった。
 結局目次を眺めただけで、本文を読むことはなく捨ててしまった。古い革装だったのだがその革が湿気っていて黴臭かったので置いておけなくなった。陪審制を採用する英米では、陪審員相手に弁論を行う際には、たんなる法律論だけでなく、素人陪審員に対して訴求力をもつための戦術を修得しておくことも必要なのだ。ギースラーはその面でも「有能」な弁護士だったのだろう。
 ちなみに、検察側も、被害者をうぶで純情な少女に見せるために、女子高生のような衣装を着せて、おさげ髪で傍聴席の最前列に座らせたりしている。

          

 上巻で驚いたのは、わがシェリー・ウィンタースがギースラーの依頼人として登場したことであった。
 あの「ウィンチェスター銃 ' 73」(1950年)や「陽の当たる場所」(1951年)でぼくを魅了した女優さんである(上の写真は「ウィンチェスター銃 ' 73」KEEP社から)。ただし幸いにも刑事事件の被告ではなく、彼女は離婚訴訟の原告としての登場だった。
 その他にも、チャールズ・チャップリン、ザザ・ガボール、マリリン・モンロー、ロバート・ミッチャムなどが、ギースラーの依頼人として登場するらしいが(上巻には未登場)、残念ながらそれ以外の登場人物のことをぼくはまったく知らない。第3話のA・パンテージスなる被告は、ハリウッドだけでなくアメリカ西部一帯を牛耳っていた興行主だというが、彼がどの程度の「大物」だったのかは分からない。
 本書は、ある意味で、ディック・モーア 「ハリウッドのピーターパンたち」(早川書房、1987年)や、ローナン・ファロー「キャッチ・アンド・キル」(文芸春秋、2022年)などの対極にある、しかも一時代も二時代も前の1920~50年代の、ハリウッドの裏面史である。しかし、ファローらの本が告発したハリウッドの裏側の原点ともいえる情景を、彼らとは異なる視点から暴きだした本である。

 なお、ギースラーも、 E・S・ガードナーと同様に、正式なロー・スクール教育を受けていない。
 ギースラーは、アイオワ大学や南カリフォルニア大学のロー・スクールに入学したものの、いずれも中退して、アール・ロジャースという当時の大物弁護士の事務所で書生をしながら勉強して弁護士になっている。ロー・スクールでの勉強より実地の訓練のほうが重要であると考えたからであった。
 確かリンカーンも大学教育は受けておらず、弁護士事務所で書生をしながら弁護士資格を取得したはずである。そのようなバイパスが用意されているところも、アメリカの法曹養成の伝統である。1970年代になっても、アメリカ各地に無認可ロー・スクールがあったが、今でもあるのだろうか。

 2023年11月1日 記
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