豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

川本三郎「いまも、君を想う」

2024年07月15日 | 本と雑誌
 
 川本三郎「いまも、君を想う」(新潮社、2010年)を読んだ。

 川本が、2008年6月に57歳の若さで亡くなった妻への哀惜を綴った文章を収める。
 記者時代の川本が、大学紛争の取材で訪れた武蔵野美大で彼女を見初めて婚約したが、その後川本は公安事件で新聞社を退職する。それでも彼女は川本と結婚し、筆1本で立つことを決意した夫を支えつづけ、やがて彼女自身も服飾関係のライターとなったという。服飾関係に疎いぼくは知らなかったが、家内は川本恵子さんを知っていると言う。

 二人の思い出が切々と語られるが、話題はニューヨーク、台湾、国内の旅行、映画の思い出から、川本の服飾センス、食べ物や食べ物屋の好みなどにまで及んでいる。
 舞台は川本得意の下町ではなく、三鷹、吉祥寺、井の頭公園、善福寺公園、浜田山、それに彼女が闘病生活を送った順天堂病院(御茶ノ水)など、ぼくにも比較的なじみのある場所だったので、光景を想像しながら読むことができた。

 本書の文章の中で、1944年生れの川本と1951年生れの妻の共通の話題としてテレビドラマの「ホームラン教室」と「少年探偵団」のことが語られていた。ぼくも思い出を共有できた話題である。
 小柳徹主演の「ホームラン教室」の主題歌の「ツー・ストライク、ノー・ボール・・・」というピンチの場面の歌詞への共感を書いていたが、ぼくは「ノーダン・満塁、そら、チャンス・・・」という歌詞が記憶にある。「少年探偵団」も「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団・・・」の思い出が語られていた。ぼくの記憶では「轟く、轟く、あの足音は・・・」という歌詞で始まる「少年探偵団」もあった。

 その昔、妻の三益愛子に先立たれた川口松太郎が「愛子恋しや」というエッセイの中で、「夫婦は絶対に夫が先に死ななければならない」と書いていたのを今でも覚えている。夫を亡くした吉川英治と谷崎潤一郎の未亡人が二人で元気に歌舞伎座だかに来ているところに出会った川口が上のような言葉を吐いたのである。
 当時の夫婦は妻が夫より数歳から10歳くらい若いのが一般的だったから、妻に先立たれる夫は少数派だっただろうが、若くて未婚だった当時のぼくには、川口のこの言葉が印象に残った。

 川本は終章近くで、同じく妻に先立たれた「映画評論家の大先輩」飯島正への共感を記している。
 飯島正はぼくが映画に関する文章を読んだ最初の筆者である。子どもの頃、アルス少年文庫というシリーズのなかに、飯島正「映画の話」という巻があった。「自転車泥棒」のスチール写真を交えながら映画の見方を子どもに向けて解説していたのだと思う。申し訳ないことに飯島の文章はまったく記憶にないのだが、「自転車泥棒」のスチール写真は今でも覚えている。1ページに2、3枚の写真が載っていて、数行のキャプションがついていた(と思う)。
 最近では飯島の名前をほとんど見かけなくなったが、本書で懐かしい名前に出会った。

 それにしても、これほどの愛妻家が何ゆえに、あれほど足繁く娼家に通い、愛人(?)を何度も取り換える荷風のような作家を愛せるのかがぼくには分からなかった。本書を読んで、その謎はますます深まった。
 変な男に買われるよりは荷風のほうがマシだとでも言うのだろうか。

 2024年7月15日 記
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