豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

「写真集 信州の鉄道・その100年」

2024年06月21日 | 本と雑誌
 
 長野鉄道管理局監修「写真集 信州の鉄道・その100年」(1979年、信濃路)。
 発売は農山漁村文化協会とあるが、本体、奥付、函のどこにも定価の表示がない。非売品だったのか? この本もどのような経路で入手したのか、まったく記憶にない。
 ※と書いたが、本の中から日販のスリップが出てきた。「返品期日 53年5月31日 ¥3500」とある。昭和53年(1978年)に3500円で新刊本を買ったようだ。

 明治18年の直江津線(後の信越線)の建設開始時の写真から、昭和45年の野辺山駅に停車するポニー号の写真まで、100余ページにわたって、信州長野の鉄道の歴史をたどる写真が満載されており、付録として、記念切符、駅弁パッケージ(横川の釜めし容器もある)、鉄道ダイヤ、そして長野県内の信越本線・中央本線・大糸線などの全駅の写真、および信州の鉄道の略年譜が掲載されている(下の写真)。
 
   
   

 中には、大正時代の軽井沢のメインストリートの写真など、鉄道以外の風景もある(下の写真)。
 「鉄道唱歌 第4集 北陸編」というのも載っていた。鉄道唱歌に東海道線以外もあったとは知らなかった。
 「これより音にききいたる/碓氷峠のアプト式/歯車つけておりのぼる/仕掛は外にたぐひなし」で始まり、「夏のあつさもわすれゆく/旅のたもとの軽井沢/はや信濃路のしるしとて/見ゆる浅間の夕煙・・・」とつづいて、最後は越後の「田口駅」で終わる(大和田建樹作詞)。
 軽井沢は当時すでに避暑地となっていて、象徴する風景が浅間山の夕霞というのがいい。「田口」駅は小津安二郎の戦前の映画で、早稲田の学生たちがスキーに出かけた場面に出てきた。現在の妙高高原駅だったか・・・。あの映画では軽井沢駅の駅弁も出てきた。

   
    

 敗戦後のアメリカ占領時代に、軽井沢駅改札口に立つアメリカ兵を写した写真もあった(上の写真)。
 加藤周一の「ある晴れた日に」(岩波現代文庫)のなかに、敗戦後に軽井沢に進駐してきたアメリカ憲兵が、接収した万平ホテルや三笠ホテルをベースにして軽井沢や追分で日本の戦争協力者を摘発する場面があった。
 この写真を久しぶりに見て、昭和20年8月15日の草軽鉄道と軽井沢を舞台にした推理小説を書こうと目論んでいた日々を思い出した。トリックは有馬頼義をまねた時間トリックというやつを構想したが、肉づけができずに諦めた。そのときに参考資料にしようと思って買った本の1冊かもしれない。 

 2024年6月21日 記
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