豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小津安二郎 “彼岸花”

2011年03月03日 | 映画
 
 久しぶりに小津安二郎の映画を見た。こんどもDVDで。

 いつも通りの小津作品であった。

 東京の会社で重役を務める佐分利信は、旧制中学の同窓生(中村伸郎)の娘の結婚式に出席する。佐分利にも同じ年頃ごろの娘(有馬稲子)があり、横浜商工会議所頭取の孫との縁談をまとめたいと思っているが、娘は、自分の人生は自分で決めると言って同じ会社の同僚(佐田啓二)と恋愛中である。

 佐田は広島に転勤を命じられたため、佐分利の会社を突然訪問して「娘さんとの結婚を認めてほしい」と頭を下げる。これを認めない父と喧嘩して家を飛び出した有馬は、佐田に諭されて帰宅する。送って来た佐田を玄関先で一目見た母親(田中絹代)は彼を気にいって、娘の味方をするようになる。
   
 佐分利はいよいよ面白くない。結婚は認めない、結婚式には出ないと言い張る佐分利を、妻の田中絹代や妹の桑野みゆき、父娘の共通の知り合いである山本富士子や中村伸郎らが取り成して、結局佐分利は結婚式にも出席する。

 蒲郡での同窓会の後、佐分利は行きつけの京都の浪速千栄子、山本富士子母子が経営する宿屋に立ち寄るが、ここでも山本の策略に乗せられ(たような顔をして)、広島の娘夫婦に会いに行くことになり、列車に乗り込んだところで映画は終わる。

          

 サマセット・モームの短編集に“Mixture as Before”(1940年)というのがある。Mixture as Before というのは、もともとモームの前作『アー・キン』に対して、批判的な批評家が書評の中で「旧態依然、いつもの寄せ集め」というニュアンスで使ったらしい。しかし、モームはこの言葉が気に入って次回作の題名に使ったのだという(S・モーム/田中西二郎訳『ジゴロとジゴレット――モーム短編集Ⅷ』新潮文庫の解説による)。新潮文庫版では『十二人目の妻』、『人間的要素』に二分割されており、“Mixture as Before”の邦訳は書名になっていないが、訳者の田中西二郎は解説の中で『変わりばえせぬ話』と訳している。

 小津の“彼岸花”も、まさに“Mixture as Before”である。

 中流階級の食卓が出てくる、娘の縁談話が出てくる、結婚式がある、当時のクルマが出てくる、普通のサラリーマンが暮らした安アパートが出てくる、列車も出てくる(湘南電車!)、丸の内のビルが出てくる、会社の事務室が出てくる、廊下が出たくる、東京のバーが出てくる、地方の旅館が出てくる、同窓会がある、笠智衆が出てくる(今回は江川宇礼雄も)、旅館の女中が出てくる(今回は伊久美愛子)。
 
          

 そして、昭和、東京の考現学としても、懐かしいシーンがたくさんある。東京駅丸の内口の赤レンガの屋根や、古い築地の聖路加病院の十字架がカーテン・ショットに使われ、同窓会翌日の笠智衆がたたずむ海辺からは蒲郡ホテル(おそらく)も見えている。

          

          

 そして洗濯ものが風になびく物干し竿のカーテン・ショットもちゃんとある。カラーになっているが。

          

 これを「旧態依然」と見るか、「いつもながら」の小津映画と見るかは、見る人次第だろう。
 ぼく自身は「いつもながらの小津映画」として、埴生の宿などが静かにバックグラウンドで流れる画面を楽しんだ。できれば浪速千栄子、菅原通済は勘弁してほしかったけれど。
       
 * 小津安二郎監督“彼岸花”(昭和33年[1958年]公開)、松竹ホームビデオ。DVDの盤面には“Equinox Flower”というサブタイトルが書いてある。小津生誕百年を記念しての発売だから、当時は海外向けの発売もあったのだろう。

 2011/3/3 記


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