
鶴見俊輔対話集「戦争体験 戦後の意味するもの」(ミネルヴァ書房、1980年)を読んだ。
1、2か月前にも再読したが、今回こそいよいよ断捨離する。最初に読んだのは「1980年7月20日(日)pm 3:35。暑い、湿気を帯びて空は曇り始めた。30℃」と書き込みがあった。
鶴見は1920年の生まれ、対話の相手は司馬遼太郎、鮎川信夫、吉田満、橋川文三、安丸良夫、山中恒、原広司、井上ひさしで、いずれも鶴見と同世代か、10歳前後若い世代。粕谷一希が編集者から見た鶴見の印象を語った短文が添えてある。今回は、司馬、鮎川、橋川、井上を再読し、後はスルーした。
若いころのぼくは鮎川、司馬などにはまったく関心がなかったと思っていたが、30歳の頃に読んだ形跡があった。鶴見がどういう意図で彼らと対談し、どのような内容の対話になっているのか興味があったので今回読んでみたが、鶴見の真意は理解できなかった。どちらにせよ、みんな遠くへ行ってしまった。
毎年8月15日に山田宗睦、安田武と交代で丸刈りにしていたエピソード(7頁)は前回も書き込んだ。そのほか今回印象に残った発言を摘録しておく。
司馬との対談で鶴見は、「日本がやさしいファシスト国家としてのアメリカとヒューマニスティックな共産主義国家としての中国に挟まれているのは、やはり幸運だと思うのです」と言う(15頁)。ベトナム戦争を起こしたアメリカが軍事国家だということは当時多くの日本人が感じていたことだが、鶴見のように「ファシスト国家」とまで言った人はそう多くはなかったのではないか。トランプの出現によってアメリカの「ファシスト国家」性は一層可視化されたが、それにしてもべトナム戦争のアメリカを「やさしい」とは・・・。
若いころのぼくは鶴見には関心を持ちつつも、そのアメリカびいきにはずっと違和感を感じていたが、この本の発言の中でもしばしば引っかかった。中国を「ヒューマニスティックな」国家というのも今では疑問だが、80年ころには中国に自由化、民主化の可能性があったのだったか。あるいは80年代にはまだ「借りた食器は洗って返せ」式の八路軍的精神が中国国家に残っていたのだろうか。香港民主化運動の弾圧という後知恵から回顧すると「ヒューマニスティック」というのも「?」がつく。
司馬の、「ソ連の軍事思想の基本にあるのは、自分の国土が一寸一尺でも侵されるかもしれないという恐怖感覚なんだから、われわれはソ連に対して無害である」という姿勢を保っておけばよい、「たとえ核を持ったにせよ、ソ連には勝てっこない」「ソ連に攻撃されないことが防衛の第一」であるという発言も印象的である。あの頃は「ソ連脅威論」を唱える評論家、国際政治学者(?)が結構いた。最近の「台湾有事論」と同じようである。
「ベトナム戦争は黒白はっきりしている戦争だし、あれでアメリカを助けたくない」、「アメリカに対する共感は強くいまも私のなかに残っているので、やっぱり非常に嫌ですね」と鶴見は言う(62頁)。ベトナム戦争下でもなお残っている鶴見の「アメリカへの共感」というのはどんな「共感」だったのだろう。
イギリスは知恵のある人間によって(誰のこと?)大帝国主義から「収縮」へと向かったと鶴見は言う(64頁)。日本でも大正時代に収縮できる機会があった。吉野作造は貴族院を廃止し、統帥権を廃止し軍部を総理大臣のコントロール下に置くことを提案していた。清瀬一郎も星島二郎もその方向だった、そこが「決断のヤマ場」だったと鶴見は言う(64頁)。いま日本は人口減少、高齢化に始まって「収縮」の道を突き進んでいるが、その現実を受け入れて(「子どもが減って何が悪いか」)日本の「収縮」の道筋を提示する政治指導者はいないのか。
鮎川から、「自分じゃ大して力を尽くしていないけれども、わりあい戦後民主主義を信用しているんですよ」などという意外な発言を引き出したりするあたりが鶴見の対話の強みか(66頁)。
鶴見は機動隊が導入され学生が殴られるのは好きではない、そういうことをした教室で教えるのが嫌で大学を辞めたという(80頁)。さらに「学生はなるほど甘やかされている、だけれども大学教授ってのは、さらに甘やかされている存在なんだから。あんな甘やかされている職業なんてないですよ、大人の社会に」とも言う(同頁)。
耳が痛いが、1992年に大学教師になったぼくの感覚では、鶴見が言うほど「大学教授が甘やかされている」とは思えなかった。本を読んだり物を書くのが好きで、人に語りかけ、人と話し合うのが好きな者にとって大学教師は楽しい職業ではあったが。「xx 大学特任教授」「特任准教授」などの肩書で年中、毎日のようにテレビに出て能天気な発言をしているのを見ると、今でも「甘やかされている」大学教授はいるのかもしれない。
井上ひさしは、岩手県の5分の1くらいを買い占めている大企業から土地をもらって、同志を集めて花巻あたりで「医学立国」をしたい、「キャバレー立国」でもいいと語っている(304頁)。井上は現実を考えない「夢想」だというが、メディカル・ツーリズムだとか、インバウンド客に対する「夜の観光」対策を、などという昨今の風潮や言説にかんがみると「夢想」とは言えない。少なくとも「カジノ立国」などよりははるかに健全だろう。
鶴見俊輔さんともお別れである。
2025年4月15日 記