『エデンの東』―― わたしのおすすめの本
スタインベックの『エデンの東』を読んだのは、1964年、中学3年生の夏休みだった。その年がジェームス・ディーンの没後10年にあたることから、夏休みに彼の主演した映画『エデンの東』がリバイバル上映された。ぼくは彼のしぐさをまねて、女の子を見つめるときは、いったんあごを引いて伏し目がちにしてから、おもむろに上目遣いに見つめるなどしたものだった。効き目はまったくなかった。
上下2冊、2段組で、上巻が334頁、下巻が402頁ある原作も一気に読んだ。受験勉強から逃げていたのかもしれないが、おそらくそのテーマに惹かれたのだと思う。『エデンの東』のテーマは、父と息子との葛藤である。厳格なキリスト者の父は、真面目な兄を愛し、母親に似た弟を疎(うと)む。兄弟の母は厳しすぎる夫のもとを去って、売春宿の経営者に身を落としているのだが、弟はこの秘密を兄に告げてしまう。衝撃を受けた兄は第1次大戦に志願兵として出征し、戦死する。その知らせを受けた父も脳溢血で倒れる。
死の床に伏せった父に向かって、ディーン演ずる弟は涙ながらに「ぼくはお父さんに愛されたかった」と語りかける。映画のラスト・シーンでは、父は弟を赦(ゆる)してしまう。しかし原作の最後の1行は違う。父はただ一語、声をかけるだけである。
「ティムシェル!」
彼は眼をとじ、そして眠った。 (野崎孝訳)
「ティムシェル」とは古代ヘブライ語で「人は道を選ぶことができる」という意味である。赦す、赦さないといった問題ではない。父に愛されようとなかろうと、人は自分で道を選び、その道を歩いてゆくしかない。父が息子に言えることは「ティムシェル」しかないのだ。
あの時以来、ディーンの立場に身をおいて思い浮かべる『エデンの東』だったが、いつの間にか、今度はぼく自身が息子に向かって「ティムシェル!」と語りかける順番になってしまった。
[ジョン・スタインベック/野崎孝・大橋健三郎訳『エデンの東(上・下)』 (早川書房、1955年、絶版)。現在でもハヤカワ文庫ノヴェルズから4分冊で出ているが、勝呂忠装丁のカバーがかかった単行本のほうが「早川」らしくて、ぼくは好きだ。古本屋で探してほしい。]
(2006年9月1日。初出は2003年11月)
* 写真は、映画「エデンの東」のサントラ盤も入ったソノシート(キングカラーレコード「映画音楽ゴールデンヒッツ」。他に、「禁じられた遊び」「第三の男」「鉄道員」が入っている)。