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惜別・島原鉄道南目線~素晴らしい車窓も見納めですが…

2008-03-31 | 鉄道[九州・私鉄等]

    
  

昨日は東京で新交通システム、日暮里・舎人ライナーが開業し、首都圏では横浜市営地下鉄の新線・グリーンラインも日を同じくして開通するなど、喜ばしい話題が続きましたが、その一方で今日3月31日限りで長崎県の島原鉄道・南目線の殆どの区間(島原外港~加津佐)と、兵庫県の三木鉄道全線が廃止になるなど、残念な話題も続いています。

MAKIKYUは三木鉄道には過去に一度だけ乗車(厄神→三木)した事があり、島原鉄道も昨年暮れに一度乗車する機会がありましたが、今日は島原鉄道南目線の廃線惜別企画も兼ねて、「MAKIKYUのページ」で今まで取り上げきれなかった同線廃止対象区間の車窓風景などを幾つか掲載したいと思います。

この区間は島原半島の南側を有明海に沿って走り、海岸に面して走る区間では天草を望む事も出来る一方で、山側に目を向けると雄大な雲仙普賢岳を望む事もできますが、普賢岳では大規模な火山活動があり、甚大な被害が発生したのは記憶に新しい所です。

島原鉄道でもこの火山活動によって路線に大きな被害が生じ、一部区間の長期運休と路線分断という異例の事態になりましたが、その後災害復旧区間は真新しい高架線となった部分もあり、この高架線から普賢岳の雄大な風景を楽しめる様に、観光トロッコ列車も走らせるなど、随分積極策に出た事もあって、この復旧から10年程度で比較的新しい高架線も御用済み…と思うと、高架化後数年で廃線となった名鉄非電化路線(コスト削減の為に電化設備を使用中止し、レールバス運行に切替)の一部区間を思い出してしまうものがあります。

この様な結果になってしまう事は、少子化による通学生徒の減少や過疎化が深刻化し、また道路整備や自家用車の普及が進むなど、公共交通を巡る環境が激変している事の現れとも言えますが、その様な中で今日まで、島原半島南部で南目線が走り続けてきた事を記憶に留めておくと共に、この路線に乗車された事がある方はその時の情景を思い出して頂き、また残念ながら乗車機会がなかったという方も、この写真を見てイメージだけでも連想して頂ければ幸いです。

また今回の島原鉄道南目線廃止によって、鉄道の存在しない市となってしまう南島原市内をはじめとする廃線区間では、廃線前から概ね並行する区間を運行していた島原鉄道による路線バスが、系統再編や便数増強を行って、引き続きこの地域の公共交通を島鉄が担っていく事になります。

南目線廃止後も島原鉄道の鉄道線は路線の約半分(諫早~島原外港)は残存し、こちらは残念ながら所用車両数減少によって旧式のキハ20系列は退くものの、南目線廃線後のダイヤ改正によって、新型車両への統一によるサービス面での向上をはじめ、急行列車が大幅増便される事などによる所要時間の短縮など、利便性の大幅向上が図られますので、この区間が今後も地域に根ざした鉄道として末永く走り続ける事を願いたいもので、日頃首都圏に居るMAKIKYUはこの地域を訪問する機会自体が限られますが、機会があれば是非また島鉄にも乗車したいと思っています。

「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も島原鉄道南目線への思い出をはじめ、感想等ありましたらコメントもどうぞ。
(コメント承認制のため反映に多少時間を要しますが、その点は悪しからずご了承下さい)

写真は加津佐駅に停車中のキハ2008号、有明海に沿って走る様子と車窓から望む天草、車窓から望む普賢岳と災害復旧区間のワンシーンです。