Google Earthの新機能が発表された。一番の目玉は海中も探索できること。世界中の情報を整理しつくすという野望をもつGoogleはどこを目指しているのか。まだこの機能に触れていないものの、CNETなどの記事から観念的に気になったところをまとめてみた。
Google Earth最新版--過去へのタイムスリップ、海底ツアーが可能に:マーケティング - CNET Japan
今回のGoogle Earthの取り組みについては、単純に凄い!と思う反面、もう一つ合点がいっていない。それは異なる2つ方向性が存在しているように感じられるからだ。
1つは目玉機能と言われているように、実際には体験することができない「海中」のような世界をバーチャルにて体験させていこうという方向性だ。これは「編集」や「製作」が絡むという点で「百科事典」的なアプローチであり、一歩間違うと「セカンドライフ」的アプローチになりかねないものだ。
これに対してもう1つの方向性が過去を含む「時空間」全体を「記録」しようというもの。こちらはすでにYahoo!やgooなどの地図サービスでも、特定の時代の地図を掲載されており、特に注目を集めなかったようだが、インターネットがログ化・アーカイブ化を前提に直線的な時間感覚を喪失させるメディアだとするならば、本質的にはこちらのアプローチの方が正しいのだろう。
もちろんこのアプローチが現実的には困難が伴うものであることは承知している。リアルタイムに全ての空間を記録し続けることなど物理的に不可能だからだ。
しかし例えば現在の様子を見ようとGoogleストリートビューを見た時に、存在していないビルや道路が写っているといった中途半端な状態だとそのメリットが薄れてしまうように、記録され閲覧されるものは常に「その時」である方がいい。それはリアルタイムが無理なのだとしても、決して更新されなくてもいいといったものではない。
そうした(空間的な広がりだけでなく)時空間全体を記録されたプラットホームになることで、それこそライフログ的な観点からのオリジナルツアーが実現される。○年×月●日の新婚旅行でこの街に行った、と行ったような記録が意味を持つことになるのだ。
しかしここに最初の「百科事典」的なアプローチが混在した場合はどうだろう。
ザナドゥ計画を例に出すまでもなく、あらゆる百科事典的な知識をネット上で、マルチメディア的に提供しようというのは古くからの願望であり、一定のニーズもあるだろう。しかしそれらのニーズと事実を記録されたプラットホームへのニーズは必ずしも一致しない。存在しない恐竜や鯨と一緒に泳いだ映像と事実の遍歴をたどるというのではスタンスが全く異なるのだ
Google Earthやストリートビューで実現されようとしてる世界観というものが、実世界に存在している情報を「記録し」整理しつくそうというものであるならば、あるいはライフログ的な情報のプラットフォームとして機能し、より個人と個人を結びつけることを志向するのであれば、これら2つの要素は切り離されるべきものだし、それぞれの必要な要素をより向上させるべきなのだろう。
社会をログ化・アーカイブ化するネットの世界 - ビールを飲みながら考えてみた…
時空の消滅とソーシャルサービスの誕生-情報革命の果て- - ビールを飲みながら考えてみた…
インターネット時代の2つの時間感覚 - ビールを飲みながら考えてみた…
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もちろんこのアプローチが現実的には困難が伴うものであることは承知している。リアルタイムに全ての空間を記録し続けることなど物理的に不可能だからだ。
しかし例えば現在の様子を見ようとGoogleストリートビューを見た時に、存在していないビルや道路が写っているといった中途半端な状態だとそのメリットが薄れてしまうように、記録され閲覧されるものは常に「その時」である方がいい。それはリアルタイムが無理なのだとしても、決して更新されなくてもいいといったものではない。
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しかしここに最初の「百科事典」的なアプローチが混在した場合はどうだろう。
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