ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「マスゴミ」の人々はその理由を気付いているか

2008年09月01日 | 思考法・発想法
「マスゴミ」と呼ばれることに対しての自己反省というか、分析というか、そんな記事がITproに。
この中で書かれている意見はまっとうで、その通りだと思うのだけれど、微妙な違和感も。そもそも今、ネットの住民、あるいは一般の人々が感じている「マスコミ」への不信感とはそんなことだろうか。

「マスゴミ」と呼ばれ続けて:ITpro

この記事を書いた島田さんは、「毎日デイリーニューズ」の件などを引き合いに出し、マスコミ不信の要因を、「同じマスコミ同士や特定の権力には甘く,そうでない存在は徹底的に叩くダブルスタンダードを持っている」「広告収入によるビジネスモデルが公平な報道の弊害となっている」「ネット上にこそ真に迫る事実がある(一部に信頼できない情報もあるが)」「事実とズレのある自己満足の報道が散見される」「マスコミは謝らない」ということだとした上で、事実と照らし合わせた上で、以下の2つに集約した。

「ダブルスタンダードがある」
「ネットの情報の方が信頼できる」

このうち「ダブルスタンダード」ということについては、取材先である企業などに対して「取材源を確保しておきたい」「広告出稿を維持させたい」という2つの誘惑に対して、記者の取材姿勢・信頼関係を高めることで、取材先にとっては書かれたくない「事実」であっても「書く」ことができる記者にならねばならないとしている。

それはその通りだろう。しかしユーザーが感じているマスコミの「ダブルスタンダード」とは、ユーザーが感じている心象とマスコミが書いている「建前」との違いではないだろうか。

何か不祥事が発生する。当然、その企業なりのトップが謝罪をしたり企業としての対応などを発表する。その模様をマスコミも伝える。しかしそれと同時にネットの世界では(広い意味で)関係者と思しき人間の「本音(と思しき意見)」があふれ出し、そうした不祥事が「起こるべきして起こった理由」や「わかっていたことだった証拠(と思しきもの)」が溢れだす。マスコミがたとえ強くその事件を追求しようとしたとしても、確証をとった上での報道のもつスピード感では「建前ゲーム」にしか思えないのだ。

そして「ネットの情報の方が信頼できる」という点については、指摘されたとおり「マスコミ」側のネットに対する(侮蔑的な)不信感という問題はあるものの、ユーザーは必ずしもネットの情報を信憑性が高いと感じているわけではないのだろう。

ただしネットに溢れている情報の場合、信憑性は低くても、「感情的」であり、「本音」「(マスコミが書かない)裏側」といったニュアンスが強く、一般の人の心に響きやすいのだ。(多くの人は理性的ではないのだ)

仮にこのあたりのところに気付いていないのだとしたら、「マスコミ」の人たちはまだまだ一般との感覚は遠い気がする。


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