電車の中でちょっとしたことでイライラしたり、店員のちょっとした態度に腹が立ったり、大して怒る理由もないのにちょっとした弾みで怒りが収まらなかったり…いつからだろう、こんなにストレスを溜め込むようになったのは。普段はなんともないのに、ちょっとした拍子に姿を現すこのイライラは、僕個人の問題ではあるのだけれど、同時に、今の社会全体が抱え込んでいるものではないか。息苦しさ、漠然とした不安、閉塞感、何かにせかされ、必要以上に頭を下げ、我慢し、かといってその先に何かを期待することも出来ない…奇才・園子温監督の「ヒミズ」はそんな僕らの心を揺さぶることになる。
【予告編】
映画『ヒミズ』予告編
【あらすじ】
住田佑一(染谷将太)、15歳。彼の願いは“普通”の大人になること。大きな夢を持たず、ただ誰にも迷惑をかけずに生きたいと考える住田は、実家の貸ボート屋に集う、震災で家を失くした大人たちと平凡な日常を送っていた。茶沢景子(二階堂ふみ)、15歳。夢は、愛する人と守り守られ生きること。他のクラスメートとは違い、大人びた雰囲気を持つ住田に恋い焦がれる彼女は、彼に猛アタックをかける。疎ましがられながらも住田との距離を縮めていけることに日々喜びを感じる茶沢。しかし、そんな2人の日常は、ある日を境に思いもよらない方向に転がり始めていく。借金を作り、蒸発していた住田の父(光石研)が戻ってきたのだ。金の無心をしながら、住田を激しく殴りつける父親。さらに、母親(渡辺真起子)もほどなく中年男と駆け落ち。住田は中学3年生にして天涯孤独の身となる。そんな住田を必死で励ます茶沢。そして、彼女の気持ちが徐々に住田の心を解きほぐしつつあるとき、“事件”は起こった……。(「goo 映画」より)
【レビュー】
原作は古谷実の漫画。そして撮影中に3.11東日本大震災と遭遇したことで、大きく脚本が変わったといういわく付きの作品。原作と違うとか、安易に「3.11」にコミットしているなど批判もあるようだけれど、原作を知らずにこの作品に触れた側からすると、うまくはまっていたのではないか。
もちろん住田が抱え込んでいた「絶望」は、直接的には「震災」と関係ない。身勝手で愛情のない「両親」との関係であり、あるいは個人の役割や存在意義が見出せない「社会」との関係であり、そこに未来を見出せない「閉塞感」からだ。それは日本全体を覆っている同時代的な問題だと言ってもいい。
その一方で、3.11の震災を背景に据えることで、住田が抱え込んでいる漠然とした「絶望」に「震災」という日本固有の問題と結びつけることで、日本以外の人々にとっても理解しやすい構図ができた。日本人にとっては住田の抱えた「絶望」は高度化した社会が生み出した、社会全体を覆う漠然とした、原因の見えない問題だけれど、それを理解するためには日本に住むか、同様に高度化し紐帯が消滅した社会に住まねば実感としてはわからないだろう。しかしここに「震災」が据えられたことで「震災」→「崩壊した社会」→「絶望」という分かりやすい構図が生まれたのだ。
また夜野ら大人たちが直面した絶望は直接的に震災と結びついて描かれている。それは震災がなければ、「普通」に社会を担う人々であり、まっとうな人々であったはずだ。しかし夜野らは結果としてホームレスとなっている。それまでの日常の中で彼らが費やしてきた「努力」や「誠実さ」「勤勉さ」ではどうにもならない圧倒的な不条理・暴力がこの世には存在する。震災を背景としたことで、この映画ではそうした問題を改めて浮き彫りとなるのだ。
夜野はまっとうな人間だ。だからこそ安易に絶望を受け入れない。住田を見守る夜野の視線は「まっとう」な世界が崩れた後でも、未来のある若者には「まっとう」に世界を担って欲しいと願う大人たちの視線だ。それは茶沢景子の住田への想いとは全く別物だ。
茶沢景子は住田と同じ境遇であり、同時代的な絶望感を共有している。彼女はそんな状況でありながら/だからこそ漠然とした絶望に押しつぶされそうになる住田を励まし続ける。「夢を持て」「1つだけの花だ」そんな胡散臭い言葉を最初は馬鹿にしながら、しかし後には真剣に訴え続ける。「住田、がんばれ!」「やり直せるんだ」と。
それは住田だけでなく、震災後のフクシマや日本そのものに対しての言葉のように。
役者の熱演もあって、その様は感動的だ。絶望に向き合い、立ち向かおうとする住田の姿に、僕らは未来を見るかもしれない。
しかしその一方で僕にはどうしてもわからないことがある。「住田、がんばれ!」「夢を持て」「1つだけの花だ」という茶沢の強い励ましとともに、住田は走り出す。しかしその言葉は住田に何の解答も与えていない。何に向かってかんばるのか、どうすれば夢や未来を感じ取ることができるのか。それがいったい何なのか――。いや、そもそもそんなことが愚問なのかもしれない。そこに目的や理由など必要ないのかもしれない。僕らが生きている以上、生き抜くことこそが目的であり、理由なのかもしれない。だからこそこう励ますのだ。
ただがんばれ、ただ生き抜くんだ、と。
ヒミズ コレクターズ・エディション
【予告編】
映画『ヒミズ』予告編
【あらすじ】
住田佑一(染谷将太)、15歳。彼の願いは“普通”の大人になること。大きな夢を持たず、ただ誰にも迷惑をかけずに生きたいと考える住田は、実家の貸ボート屋に集う、震災で家を失くした大人たちと平凡な日常を送っていた。茶沢景子(二階堂ふみ)、15歳。夢は、愛する人と守り守られ生きること。他のクラスメートとは違い、大人びた雰囲気を持つ住田に恋い焦がれる彼女は、彼に猛アタックをかける。疎ましがられながらも住田との距離を縮めていけることに日々喜びを感じる茶沢。しかし、そんな2人の日常は、ある日を境に思いもよらない方向に転がり始めていく。借金を作り、蒸発していた住田の父(光石研)が戻ってきたのだ。金の無心をしながら、住田を激しく殴りつける父親。さらに、母親(渡辺真起子)もほどなく中年男と駆け落ち。住田は中学3年生にして天涯孤独の身となる。そんな住田を必死で励ます茶沢。そして、彼女の気持ちが徐々に住田の心を解きほぐしつつあるとき、“事件”は起こった……。(「goo 映画」より)
【レビュー】
原作は古谷実の漫画。そして撮影中に3.11東日本大震災と遭遇したことで、大きく脚本が変わったといういわく付きの作品。原作と違うとか、安易に「3.11」にコミットしているなど批判もあるようだけれど、原作を知らずにこの作品に触れた側からすると、うまくはまっていたのではないか。
もちろん住田が抱え込んでいた「絶望」は、直接的には「震災」と関係ない。身勝手で愛情のない「両親」との関係であり、あるいは個人の役割や存在意義が見出せない「社会」との関係であり、そこに未来を見出せない「閉塞感」からだ。それは日本全体を覆っている同時代的な問題だと言ってもいい。
その一方で、3.11の震災を背景に据えることで、住田が抱え込んでいる漠然とした「絶望」に「震災」という日本固有の問題と結びつけることで、日本以外の人々にとっても理解しやすい構図ができた。日本人にとっては住田の抱えた「絶望」は高度化した社会が生み出した、社会全体を覆う漠然とした、原因の見えない問題だけれど、それを理解するためには日本に住むか、同様に高度化し紐帯が消滅した社会に住まねば実感としてはわからないだろう。しかしここに「震災」が据えられたことで「震災」→「崩壊した社会」→「絶望」という分かりやすい構図が生まれたのだ。
また夜野ら大人たちが直面した絶望は直接的に震災と結びついて描かれている。それは震災がなければ、「普通」に社会を担う人々であり、まっとうな人々であったはずだ。しかし夜野らは結果としてホームレスとなっている。それまでの日常の中で彼らが費やしてきた「努力」や「誠実さ」「勤勉さ」ではどうにもならない圧倒的な不条理・暴力がこの世には存在する。震災を背景としたことで、この映画ではそうした問題を改めて浮き彫りとなるのだ。
夜野はまっとうな人間だ。だからこそ安易に絶望を受け入れない。住田を見守る夜野の視線は「まっとう」な世界が崩れた後でも、未来のある若者には「まっとう」に世界を担って欲しいと願う大人たちの視線だ。それは茶沢景子の住田への想いとは全く別物だ。
茶沢景子は住田と同じ境遇であり、同時代的な絶望感を共有している。彼女はそんな状況でありながら/だからこそ漠然とした絶望に押しつぶされそうになる住田を励まし続ける。「夢を持て」「1つだけの花だ」そんな胡散臭い言葉を最初は馬鹿にしながら、しかし後には真剣に訴え続ける。「住田、がんばれ!」「やり直せるんだ」と。
それは住田だけでなく、震災後のフクシマや日本そのものに対しての言葉のように。
役者の熱演もあって、その様は感動的だ。絶望に向き合い、立ち向かおうとする住田の姿に、僕らは未来を見るかもしれない。
しかしその一方で僕にはどうしてもわからないことがある。「住田、がんばれ!」「夢を持て」「1つだけの花だ」という茶沢の強い励ましとともに、住田は走り出す。しかしその言葉は住田に何の解答も与えていない。何に向かってかんばるのか、どうすれば夢や未来を感じ取ることができるのか。それがいったい何なのか――。いや、そもそもそんなことが愚問なのかもしれない。そこに目的や理由など必要ないのかもしれない。僕らが生きている以上、生き抜くことこそが目的であり、理由なのかもしれない。だからこそこう励ますのだ。
ただがんばれ、ただ生き抜くんだ、と。
ヒミズ コレクターズ・エディション
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