ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

【映画】ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987:フジロック以前の伝説的な野外フェスの熱さ

2013年10月28日 | 映画♪
まさにドンピシャ世代。この出演アーティストの名前を見れば、どうしても疼いてしまう。第1回FUJI ROCKが1997年、それを遡ること10年前に行われた日本初のオールナイトロックフェス。大雨の中、スタッフも観客も不慣れなまま繰り広げられるライブは、今では到底考えられないものだろう。安全にフェスを行うために規制も厳しくなり、また雨天でも実施するためのノウハウも蓄積さているのだから。しかし、だからこそ、この時の「熱」は本物なのだ。

【予告編】

映画「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD 1987」予告編B - BEATCHILD (ビートチャイルド)


【レビュー】

この作品で出演しているメンバーは、以下の10組。

 ‐ザ・ブルーハーツ
 ‐RED WARRIORS
 ‐岡村靖幸
 ‐白井貴子
 ‐HOUND DOG
 ‐BOOWY
 ‐THE STREET SLIDERS
 ‐尾崎豊
 ‐渡辺美里
 ‐佐野元春 with THE HEARTLAND

今でも継続的に現役なのは、白井貴子と渡辺美里、佐野元春の3人。HOUND DOGは実質的に解体状態だし、レッズは活動休止、岡本は覚せい剤で捕まっているし、ブルーハーツ、BOOWY、スライダースは既に解散、尾崎豊は故人となっている。

映像は快晴のリハーサルシーンから。快晴、開放的な空間の中、スライダースのリハを客席で寝転がって聞いている尾崎豊。リラックスした雰囲気。しかしフェスが始まると雲が広がり雨が降り始める。

映像を見た人はわかるが、アーティストのバックから撮られた映像を見るとその雨の激しさは相当なもの。そんな中、それぞれのアーティストは雨の中の観客を鼓舞するかのようなパフォーマンスを繰り広げる。

まだ小雨交じりだったとはいえ、ブルーハーツのヒロトの歌声で観客のテンションはいきなりMAX。レッドウォリアーズのユカイの歌声はそれでけでロック・フェスを体感させてくれる。

しかしその後、雨脚がひどくなり白井貴子のステージではギターが故障するトラブル。修理の間も降り続ける雨。観客を鼓舞する白井貴子。本人にも不安はあっただろう、それでもバケツの水をかぶり、観客を鼓舞し続ける姿はそれだけで感動的だ。

HOUND DOGはさすがのライブパフォーマンス。大友の声に観客皆が拳を振り上げる。愛が全てさ~。TVCMで当時の誰もが知っている「ff(フォルティシモ)」。こういう曲で皆が熱狂できた80年代。

そして予想以上に凄いパフォーマンスを見せてくれたのが「BOOWY」。個人的には当時、そんなに興味がなかったのだけど、この雨の中、これだけのパフォーマンスを見せられるというのは凄い。雨をものともせず、かっこよく歌い上げる氷室と布袋のコンビネーションというのはやはり最高のバンドの1つだったのだと実感。

渡辺美里もさすがの貫録。渡辺美里はその声がみんなを巻き込むような温かさというか強さをもっている。そしてこれまた当時の誰もが知っている「My Revolution」。好きとか嫌いとかは別にして、この雨の中、皆が一体感を持った瞬間と言っていいのだろう。

しかし何といってもやはり圧巻なのは尾崎豊。ギター1本で歌い上げる「シェリー」。凄い。wikiなんかを見ていると、雨脚のピークは白井貴子の時ではなく、尾崎の時だったとのこと。しかし雨など関係なく、あるいは雨だったからこそ、その歌声は圧倒的なパワーがある。それは他のアーティストとは違い、ライブパフォーマンスとしての凄さではなく、魂のこめられ方の凄さなのだ。この映像を通してみてもその凄さに震えがくる。こんな命を削るようなパフォーマンスを繰り返していけば、どこかで限界がくるだろう。死ぬべくして死んだのだと思ってしまう。

ラストを飾ったのは佐野元春。雨があがり、朝日が差し込んでくる中での「SOMEDAY」。これも僕ら世代なら誰もが知っている曲だろう。観客を交えての大合唱。あぁ、この瞬間のためだけでも来てよかったと思えるのだろう。

それにしても、当時のアーティストたちのライブでのパワーというのは何と凄いのだろう。今のJ-POPのアーティストの中には、野外ライブでも当たり前のように口パクをするような人もいる。それに比べて、彼らは何と力強いのか。雨の中でも最高のパフォーマンスを繰り広げ、あるいは観客に勇気を与え続ける。

日本のロックがようやくメジャーになり始めた頃、それまでの音楽に物足りなさを感じている人たちが、洋楽的なアプローチからJPOPの萌芽までいっしょくたになって、新しいシーンを桐宏幸としていた時代。その「熱さ」があったからこそ、これだけのメンバーが揃い、これだけのフェスを創り出したのだろう。

あぁ、たとえどんな嵐だったとしても、このフェスに参加していたかったと思う。


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