空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

献花に行って来ました

2022年09月27日 23時00分00秒 | 様々な話題

本日は、朝9時にバスで東西線浦安駅まで行き、


この花屋さんで、白い菊を3本買いました。


安倍元首相の国葬の一般献花のためです。


そして、東西線で九段下へ。


すると、「一般献花は半蔵門駅の方が近い」という告知が。

 

半蔵門駅に着くと、
花を手にした人たちが沢山。


ちょっと感動しました。

ここで花を調達する人も。

皇居の半蔵門まで歩くと、列ができています。

 

そこで並んで、ちょっとずつ進みます。


皇居の4分の1くらいを歩きました。

10時05分から並んで、
献花台に着いたのは、11時55分。

自分とカミさんと娘の分、3本を献花。

一般献花の場所を武道館と別にしたのは、
警備上の問題と感染対策、
それに十分な時間の確保のためだそうです。

実際、人が集まりすぎて、10時からの開始を
9時30分に前倒し。
終了の4時も延長したそうです。

マスコミは、国民全部が反対のようなことを印象付けようとしましたが、
声をあげずに、
安倍さんに感謝する人々がこんなにいるのです。

その後、靖国神社へ。

帰り、九段下駅では、
「献花の最後尾は四谷です。
四谷にお向かい下さい」
と告知していました。
そこまで延びたのか。

本当は有楽町に出て、映画を観るつもりでしたが、
多分寝てしまうだろうと、帰宅。

中継時と録画で、
国葬の様子を観ました。

武道館の座席は埋まっています。
昨日、ある記事が、
「会社関係の人が不出席で、武道館はガラガラだろう」
と書いていましたが、
そんなことはありません。
それにしても、どうして、意地悪い憶測記事、というか、
願望記事を書くのでしょう。
人の失敗を期待する、卑しい心根というしかありません。

カナダの首相が水害対策で来れなくなったことで、
「G7の首脳が一人も来なくなった」と
大喜びで報道しているのもありました。
韓国も、そういう報道をしていました。
日本を貶めることで喜ぶ。
これも卑しい心です。
恥ずかしくないのか。

そして、極めつけは、
銃撃犯人に寄り添った映画を
国葬に合わせて公開する人々。
しかも、それを朝日新聞がほめているといいます。
テロを憎まないのでしょうか。

218の国と機関から700人が参列。
安倍さんの国際的評価が高いことが分かります。

岸田首相の弔辞は、そこそこでしたが、
胸を打ったのは、菅前首相の弔辞
「友人代表」としての、
真情あふれる弔辞でした。
カミさんは泣いていました。

「7月の8日でした。
信じられない一報を耳にし、
とにかく一命をとりとめてほしい。
あなたにお目にかかりたい、
同じ空間で、同じ空気を共にしたい。
その一心で現地に向かい、
そして、あなたならではのあたたかなほほえみに、
最後の一瞬、接することができました。

あの運命の日から80日が経ってしまいました。

あれからも朝は来て、日は暮れていきます。
やかましかったセミはいつの間にか鳴りをひそめ、
高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は、歩みを進めます。
あなたという人がいないのに、時は過ぎる。
無情にも過ぎていくことに、私はいまだに許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、
いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。
悔しくてなりません。
哀しみと怒りを交互に感じながら、
今日のこの日を迎えました。

しかし、安倍総理・・・とお呼びしますが、ご覧になれますか。
ここ、武道館の周りには、花をささげよう、
国葬儀に立ちあおうと、
たくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが、少なくないようです。
明日を担う著者たちが大勢、あなたを慕い、
あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは今日よりも、
明日の方が良くなる日本を創りたい。
若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、
毎日、毎日、国民に語りかけておられた。
そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。
――これが、あなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、
歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。
報われた思いであります。

平成12年、日本政府は北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
私は、当選まだ2 回の議員でしたが、
「草の根の国民に届くのならよいが、
その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」
と言って、
自民党総務会で大反対の意見をぶちましたところ、
これが新聞に載りました。
すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と電話をかけてくれました。
「菅さんの言っていることは正しい。
北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、
一緒に行動してくれれば嬉しい」
と、そういうお話でした。
信念と迫力に満ちたあの時のあなたの言葉は、
その後の私自身の政治活動の糧となりました。
そのまっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、
私は直感いたしました。
この人こそはいつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、
確信をしたのであります。

私が生涯誇りとするのは、この確信において、
一度として揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、
総理の座をしりぞきました。
そのことを負い目に思って、
二度目の自民党総裁選出馬をずいぶんと迷っておられました。
最後には2人で銀座の焼鳥屋に行き、
私は一生懸命、あなたを口説きました。
それが、使命だと思ったからです。
3時間後には、ようやく首を縦に振ってくれた。
私はこのことを菅義偉生涯最大の達成として、
いつまでも誇らしく思い出すであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、
欠かさず一日に一度、気兼ねのない話をしました。
今でもふと一人になると、
そうした日々の様子がまざまざとよみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、
私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。
総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」
という意見で、
どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。
一歩後退すると勢いを失う。
前進してこそ活路が開けると思っていたのでしょう。
総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。
日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、
特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、
難しかった法案をすべて成立させることができました。
どのひとつを欠いても、我が国の安全は確固たるものにはならない。
あなたの信念、そして決意に、私たちはとこしえの感謝をささげるものです。

国難を突破し、強い日本を創る。
そして、真の平和国家日本を希求し、
日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな覚悟と決断の毎日が続く中にあっても、総理、
あなたは常に笑顔を絶やさなかった。
いつもまわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、
あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。
私だけではなく、すべてのスタッフたちが、
あの厳しい日々の中で、明るく、
生き生きと働いていたことを思い起こします。
何度でも申し上げます。
安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。

衆議院第一議員会館、1212号室のあなたの机には、
読みかけの本が1 冊ありました。
岡義武著『山県有明』です。
ここまで読んだ、という最後のページは、
端を折ってありました。
そしてそのぺージには、マーカーペンで線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、
いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、
故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いまこの歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて尽しゝ人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ

かたりあひて尽しゝ人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ

深い哀しみと、寂しさを覚えます。
総理、本当に、ありがとうございました。
どうか安らかに、お休みください」

弔辞が終わると、
異例の拍手が沸きました。
それほど心に手が届く内容だったということでしょう。

この後、
私の気持ちを書くはずでしたが、
菅さんの弔辞の後は恥ずかしく、
明日に譲ります。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿