空飛ぶ自由人・2

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安倍さんに向けて

2022年09月28日 23時00分00秒 | 様々な話題

昨日の国葬の際の菅前首相の弔辞の中に出て来た、
山県有朋伊藤博文の関係について、
産経新聞論説委員の阿比留瑠比氏が、
衛藤晨一議員の話を載せている。
安倍さんが首相を退任した後、
山県の屋敷跡である椿山荘での会合で、
安倍さんは、ふとこう述べたという。

「山県さんは、
『(銃弾で非業の死を遂げた)伊藤が羨ましい』
と言っていた」

その意味は、こうだ。

吉田松陰が開いた松下村塾の門下生が
道半ばで処刑されたり、
戦場で倒れたりする中で
生き残った伊藤は
生前、
「死ぬときは畳の上で死にたくない」 
と話しており、
その通りになくなった。
山県の言葉を安倍氏が引用したのは、
同じ政治家として、
自分の身にも何が起こるかは分からないとの覚悟からだったのか。
菅氏がたまたま訪ねた安倍事務所で、
山県の歌に出合ったのは
不思議な縁だといえる。

この記事を読むまで、
伊藤博文が安倍さん同様、
銃撃で暗殺されたことに思い至らなかった。
そして、国葬で送られたことも。
更に、68歳という、67歳の安倍さんとほとんど同年齢だったことも。

菅さんはそのことには触れなかった。
触れれば、韓国の過剰な反応も予想され、
分かる人だけ分かればいい、
ということだったのだろう。

そして、安倍さんは、伊藤博文と同様、
「死ぬときは畳の上で死」ななかったのである。

国葬から一夜明けて、
Yahooのアンケートが出ている。
国葬について、

実施してよかった  が 54%
しない方がよかった が 45%

この結果をどう見るか。

 

では、昨日のブログで、
菅さんの弔辞の後は恥ずかしくて、
載せられなかった、
私が安倍さんに語りかけたかったこと、です。

「安倍さん。
騒々しい中での葬儀となってしまい、申し訳ありません。
岸田首相は真摯な気持ちから国葬として送りたい、と思ったのでしょうが、
手続き的なものが不十分であったために、
反対論に理由を与えてしまいました。
そして、反対の声の方が大きいために、
静かに送りたいという声は聞こえなくなってしまいました。

私は安倍さんほど、
日本を愛し、
その過去と未来に想いを馳せた政治家を知りません。
目の前の些事ばかりに目をやって、
この国の形を思わない国会議員たちの中で、
安倍さんは日本の国が世界の中でどうあるべきかを
常に考え、
50年後、100年後を見通した国家ビジョンを構想しておられた。

政治は反対意見との闘いです。
どんな法案も、
必ず反対意見が出て来る。
それを日本に必要だとの信念から
通すのには、
相当な胆力が必要です。
安倍さんには、その胆力があった。
だから、辛抱強く、その闘いに勝利した。

「アベノミクス」を創生し、
日本経済の再建をした。
株価は上昇し、雇用も大幅に増え、失業率は低下した。
批判する方々は、この事実に目を向けない。

憲法改正を口にし、
日本の安全保障のために法律を改正し、
集団的自衛権の限定的行使を可能にする安保法制を制定した。
これにより、日米は守りあう関係に深化し、抑止力が高まった。

アメリカ連邦議会上下院合同会議の演説で
日米の和解と同盟の深化を表明し、
オバマ大統領の広島訪問、
安倍首相の真珠湾訪問を経て、
日米の戦争を深い意味で終わらせた。

戦後70年談話では、
自由、民主主義、人権という基本的価値の堅持を表明し、
「戦争に何ら関わりのない、
私たちの子や孫、
そしてその先の世代の子供たちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」
と、謝罪の歴史を断ち切った。
日本を過去の戦争への贖罪意識で萎縮する国ではなく、
前向きに、世界の平和と繁栄に貢献する国にしようとした。

中国の脅威を誰よりも早く気づいて、
それに警鐘を鳴らし、
そのために、自由で開かれたインド太平洋構想を提唱し、
日米豪印の連携のクワッドを作り、
国際的連帯を強めて、中国の膨張を抑止した。

1年ごとに交代する日本の首相に呆れる諸国の評価を断ち切り、
8年8カ月の在任期間を通じて、日本の国際的地位は上昇した。
記念写真を撮るためだけにサミットに参加するかのようだった、
歴代の日本首相ではなく、
発言力を備えた、アジアの指導者として信頼された。
「で、シンゾーの意見は」と
各国首脳は、あなたの意見に耳を傾けた。
それも長期政権、安定政権が信頼されたからだ。

日本を「普通の国」にするための努力をしたのが、
あなたの闘いだった。
ロシアのウクライナ侵略、
台湾併合を狙う中国、
核とミサイルで世界の平和を脅かす北朝鮮。
こうした国々に囲まれる中で、
平和ボケした日本を目覚めさせようとした。

その姿勢は一貫している。
日本人が日本人であることに誇りを持てる国作り。
世界平和に貢献できる日本という国。
自分の国は自分で守る、という当たり前の国になること。
そのために、防衛庁を省に昇格させ、
国家安全保障会議(NSC)を作り、
安全保障関連法を成立させた。
限定的集団自衛権を確率させた。

それらの全ては、
日本が独立国として安全を守るために必要な施策だった。

しかし、日本には、
日本の国を貶め、
贖罪意識に満ちた、弱いままで置きたいという、
不思議なメンタリティーを持つ一群がおり、
一部のマスコミや野党の反発を受けた。
ある新聞は、安倍政権を倒すことが「社是である」とまで言った。

しかし、モリカケ桜で貶めようとして、
あれだけ国会で長期にわたって審議しても、
安倍さんの不正はついに証明されなかった。
冤罪だったと敗北を認めるべきなのに、
「疑惑は晴れていない」と継続する。
疑惑を晴らしたくない人には、どんな説明をしても無理というものだ。
国葬についての岸田首相の説明も、
何度言っても「説明が足りない」と納得しない。
最初から納得する気のない人を納得させるのは困難だ。
そして、反対のデモ行進をし、
中止を進言するといういやがらせ。
各国大使館に「出席しないように」という恥ずべき文書を送り、
議員の中には、
欠席することを自慢げに報告し、
ついには、身内の自民党議員の中にさえ欠席する人が出て来た。
その議員は、安倍さんのことを「国賊」とまで呼んだ。
最大限の侮辱の言葉だ。
本人が生きている間は言わず、
反論できない亡くなった人に罵倒の言葉を浴びせる。
卑怯者のすることだ。
ある高名なニュースキャスターは
「安倍元首相は我々国民のために何かしたのか」と言った。
別な元キャスターは「安倍さんの実績なんか、無い」とのたもうた。
自分の無知と視野の狭さと不明と不勉強をさらしだすことなのに。

こうした安倍さんの姿勢を思うにつけ、
凶弾で倒れたあなたを国民全てで送りたい、
という岸田首相の思いは理解できる。
今、国葬反対を叫ぶ人々は、
安倍さんが名誉ある立場に立つことを恐れているのだ。
そして、それは、国論を分断した、
ということで成功したように見える。

安倍さんは日本を強い国にしようとした。
弱い国のままにししておきたい人々は、それに反対した。
そして、「安倍憎し」のままに、
人間としてしてはならない領域までに踏み込もうとしている。
自分の政治的主張のためなら、
あらゆる非礼、非道、歪曲、罵倒が許されるかのような状況だ。
卑怯な人間、愚かな人間が横溢する
日本はどこに行こうとするのだろうか。

最後の最後に、
国葬に泥を塗ることで、
安倍さんの敵は、勝利したように見える。

しかし、あなたのレガシーを引き継ぐ者が必ず出て来る、
と私は信じたい。
どんな批判も、
後に続く人がいれば、癒される。
国葬騒動の中、
そういう新しい芽が出て来ることを確信する。

あの半蔵門から(後には四谷から)延々と続く
献花の列は、感動的だった。
強い日差しの中、
みんな粛々と歩き、安倍さんに思いを馳せ、
献花台の前に立った。
時間をオーバーし、閉鎖されてからも、
花を持った人々は訪れた。

安倍さん、こんな騒動になって申し訳ありません。
ただ、本来の日本人はこうではないのです。
あなたが信じた、この国の若者たちは、
そんな姿ではありません。
やがて若者の中から、
あなたが残したものは芽吹くでしょう。
そのことを信じ、期待して、安らかにお休み下さい

ありがとうございました。