空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『火群のごとく』『飛雲のごとく』『舞風のごとく』

2022年09月24日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

江戸を遠く離れた六万石の小国・小舞(おまい)藩。
高瀬舟を使った交易と川漁の自然豊かな地だ。
その地方で育つ元服前の少年たちの日々を描く青春時代小説

新里林弥(にいざとりんや)、上村源吾、山坂和次郎は同じ道場で研鑽する幼なじみだ。
稽古が終われば、一緒に川遊びもする、仲の良い三人組
林弥は幼くして父を失い、
15歳年の離れた兄・新里結之丞が父代わりになって育てられ、
5歳の時から剣の手ほどきを受けている。
結之丞は剣の達人だったが、
2年前のある夜、惨殺される。
しかも、後ろから一撃で斬られており、後ろ疵の死は武士の恥。
その結果、士道不覚悟との評価が立ち、
家督を継いだ林弥が若年であることを理由に、
家禄は三分の一を削られた。
結之丞の妻七緒は、夫を失った後も実家に帰らず、
義母を守って家に留まっている。
竹弥は、その義姉に対して、密かな恋情を抱いている。
そうした鬱屈を竹弥は剣の道に精進することで忘れようとしていた。

そこへ、もう一人の少年が登場する。
江戸からやってきた樫井透馬。
結之丞が江戸詰めだった時に、剣を教えたという少年は、
恩師が刀を抜かぬまま背後から斬りつけられことを聞き、
先生がそんな死に方をするわけがなく、それを調べたいという。
兄の死の真相を調べたい気持ちは、林弥も強い。

実は、透馬は筆頭家老の樫井信右衛門が江戸詰の時、
女中に生ませた子で、
経師屋の祖父に育てられた。
しかし、家老家の兄たちが一人は死亡、一人は病弱であったため、
妾腹ではあるが、
樫井家の後継者として呼び寄せられたのだ。
江戸育ちの透馬は自由奔放な性格で、
家老職など真っ平御免で、
母の生家の生業の経師屋になりたいと言っていた。
こうも言う。

「刀など、いずれ廃れる。
鑿(のみ)や鉋(かんな)なら品物を作り出すし、
鋤(すき)や鍬(くわ)なら作物を育てる助けになる。
刀はそうはいくまい。
何も生み出さない。
ただ、人を斬るためだけにあるんだ。
そんなもの、いずれ消えてしまうさ」

透馬は、小里の家が居心地がいいと、
居候を決め込む。

兄の惨殺の真相を聞くために元大目付の小和田正近を訪ね、
藩が二つの勢力が対立しており、
筆頭家老の樫井派と
中老の水杉派の確執があることを知る。
兄の惨殺はその事件に巻き込まれたらしい。

元大目付の小和田正近の述懐。

「わしらとて、若い頃はあった。
身分にとらわれず、駆引きを知らず、
ひたすら剣の道に励んだときがあったのだぞ」

そして、政変が起こり、
家老の勢力が反対勢力の水杉派を一掃する。
それに巻き込まれ、源吾が非業の死を遂げる。

それと共に、兄を惨殺した意外な人物が明らかになる。
藩には、密命によって動き出す暗殺者グループがいたのだ。
暗殺者は竹弥の手にかかって死ぬが、
そのために、竹弥は義姉の七緒に秘密を抱えることになる。
そして、その殺傷劇の中で負傷した透馬が
治療のために江戸に帰るところで、この巻は終わりを迎える。

竹弥たちは、14歳。今で言えば、中学生だ。
その少年らしい交流の中、
家柄の問題もあり、
運命は容赦なく、4人を飲み込んでいく。
藩の政(まつりごと)が、少年たちを切り裂いていくのだ。
少年達が男になろうとする様を、
瑞々しくも残酷に描く。

「オール讀物」2009年10月号から2010年4月号まで連載され、
その後、2010年5月に書籍化。

 

その続編

第1作から2年の歳月が経って、
竹弥は16歳になり、
小和田正近が烏帽子親となって、元服の儀を済ませ、
名実ともに新里家にとっての当主となる。
しかし、兄の結之丞の名を継ぐことだけは遠慮する。
義姉の七緒は今も小里家に留まり、
彼女への思慕で林弥は苦悩している。

親友の和次郎も元服を済ませ、
普請方の役人として、交流も少なくなっている。
和次郎が普請の現場で遇った二人の男の死を語る場面は秀逸。

そんな時、樫井透馬が江戸から帰ってきた。
傷は癒えたが、剣は握れなくなっていた。
いよいよ樫井信右衛門の後嗣として公認される日が近い中、
透馬は父と対面する。
父はこう言う。

「透馬、おまえは樫井家の当主となる。
どう足掻こうが、抗おうが揺るぎはせぬ。
覚悟を決めよ。
よいな、樫井の家を継ぎ、
ゆくゆくは藩政の中枢を担う。
小舞のために働くのだ。
それが定めと心得よ」

透馬がそうなれば、
竹弥とは身分違い。
二度と会えなくなる。
和次郎はこう言う。

「身分とはそういうものだ。
身分によって隔てられるんだ。
そういう年になったんだよ、おれたちは」

しかし、事態は一変する。
信右衛門の配慮により、
竹弥と和次郎を、透馬の近習として召し出すことになったのだ。
和次郎はこう言う。

「もしかしたら、これは一つの機会かもしれん。
おれたちの力で世を変えていく。
変えていける好機かもしれない。
源吾のような死に方を、
おれたちも含めて
もう誰もしなくていい世を作れるかもしれない」

竹弥も思う。

「政争に巻き込まれて
罪のない者が苦しむことのない、
そんな小舞に変わる」

姉の七緒は、尼となることを決意する。

こうして、少年時代は終わり、
藩政に関わる青年時代が始まる。

「オール讀物」2018年2月号から9月号まで連載され、
その後、2019年8月に書籍化。

 

前作の6年後
三人はそれぞれ青年となり、
竹弥は小里正近を名乗り、
山坂和次郎は半四郎を名乗る。
透馬は執政会議の末席を占めるほどになっていた。

そこへ、町の大部分を焼き尽くす大火が起こる。
住民は焼け出され、尼寺などを頼って救済を求めていた。
しかし、執政会議の動きは鈍く、
先例にこだわってなかな決断しないことを透馬は苛立つ。
透馬の独断で樫井家の蔵を開け、
避難民にほどこし、
重臣たちもそれにならった。
透馬は父から執政会議への出席を阻止され、
透馬と竹弥は、実情を知るために火災現場に出かけ、
怪しいやくざ者の襲撃を受ける。
そして、火災の原因が付け火(放火)らしいという証言を引き出す。
執政会議の動きの鈍さを不審に思った二人は、
小和田遠雲(元の正近)のもとを訪ね、真相を探るが・・・

七緒は恵心尼と名前を変えて登場し、
七緒の死んだ兄の娘・千代も登場する。

話の中心は、付け火の真相と
裏で手を引く人物の探索で、
一種ミステリーの側面を見せる。
やがて、黒幕の存在が明らかになるが、
少々これは無理筋

透馬の領民への救済策を、
どうやって藩が認めるか、
透馬の執政への登用が果たされるかを巡るが、
やはり芯になるのは、
透馬、竹弥(正近)、和次郎(半四郎)らの友情と信頼だ。

被災者たちの姿に、
東日本大震災の被災者たちの姿が重なる。

半四郎と千代の会話。

「千代どの、これは現世の話です。
現世の罪は現世のやり方で償わねばなりますまい。
それがしには仏の説く道などわかりませぬが、
現世の罪を償った後に
仏の済度はあると思うております」

「オール讀物」2019年11月号から2020年12月号まで連載され、
その後、2020年10月に書籍化。

これにて、小舞藩三部作は終了
他に小舞藩を舞台にした短編集がある。

著者の あさのあつこ さんは、
有名女優と同姓同名のため、
ひらがなで表記したのだという。

 


映画『エンド・オブ・ロード』

2022年09月23日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

ガンで亡くなった夫の治療費で一文無しになった看護士のブレンダは、
家を売り払い、親戚を頼って転居することに決めた。
同道するのは、娘のケリーと息子のキャムと、弟のレジー。


アメリカの大地を車で移動する途中、様々なトラブルに巻き込まれる。
最大のトラブルは泊まったモーテルの隣室で殺人事件が起こったこと。
実は、隣室に泊まった男は、
ボスの「ミスター・クロス」のドラッグ絡みの金を奪って逃走中で、
どうやら、クロスに見つかって殺されたらしいのだ。

警察に証言した後、車で出発した一行に、一本の電話が入る。
ミスター・クロスからのもので、
「俺の金を返せ」というのだ。
挙動不審のレジーに白状させると、
殺された男の部屋で見つけたバッグの中に札束が入っていたため、
思わず盗んでしまい、今、車の中にあるという。

このままでは家族の命が危ない、と判断したブレンダは、
別なモーテルの部屋にバッグを置き、
クロスにモーテルの名前と部屋番号とルームキーの隠し場所を告げるが、
クロスは、とにかく金を自分で持って来い、と言い張る。
仕方なく、モーテルに戻ってみると、金が消えている。
掃除婦が盗んだのだ。
ブレンダは掃除婦の後を追い、
ゴロツキたちと戦うはめになるが、
一方、息子のキャムはクロスに人質に取られてしまう。
家族を守るために、ブレンダの闘いは続く・・・・

という、よくあるストーリー
繰り返しこういう話が企画に上がり、作られるのは、
もはやジャンルと言えよう。

あとはどれだけ工夫がされているかだが、
よくある展開で、とりたてて特色はない。
貧困問題や人種差別、
コカイン、銃規制のない社会等、
多少の社会問題は提起するが、
深堀りするわけではない。

要するに、ただの娯楽映画。
ただ、最後まで停滞せず観ていられるのは、
ブレンダを演ずるのがクイーン・ラティファだからだろう。


貧乏だが、正義感にあふれ、
家族に対する愛情は人一倍という肝っ玉母さんははまり役。。
それがボスと闘う原動力というのは、よく分かる。
加えて、ダメ弟を演ずるクリス・ブリッジスが好演。
息子と娘の個性もいい。

難しいことを考えずに、
ただ流れに任せるまま、という方には最適。
1時間30分そこそこと短いのもいい。
ラストのくだりで、ほっとさせる。

監督はミリセント・シェルトン

9月9日からNetflix で配信。

 


日英の国葬

2022年09月22日 23時00分00秒 | 政治関係

先日のエリザベス女王の葬儀
ずっとCNNの生中継を見ていました。
その数日前のバッキンガム宮殿からウエストミンスター・ホールへの移動も含め、
運営側の先導役や案内役の姿が全く見えないのに驚かされました。


もちろん、テレビ中継が始まる前の座席の指示など、
カメラが写っていない時の案内役などはいたのでしょうが、
葬儀の場や行進の時は、
全くそういう人はおらず。
王族たちの並び方や間隔など、
どうやって配置したのでしょうか。

バイデン米国大統領は、
葬儀の時は14列目という後ろの方。
大英連邦諸国の後だったので、そうなったとのこと。

天皇陛下は、チャールズ王らとは、
棺を挟んで反対側の6列目。


ここは、各国の王族関係者の席だそうです。
現地にならい、天皇陛下はマスクをしていません。

あれだけの式典をリーハサルなしにやったとは思えず、
かといって、逝去前に公道などを使って演習をするわけにもいかず、
どこかの建物の中庭でも使って
入念なリハーサルをしたのでしょうか。

また、中継のBBCのカメラワークも見事で、
これも綿密なリハーサル無しには無理。

聞けば、女王自らが、生前に
自身の国葬協議に参加していたといいます。


ガラス張りの霊柩車も、
御棺が見えるようにと、女王が
棺はロンドン市内のどのコースを辿り、
どのように国民に別れを告げたいかについて、意見を出した。
見事なものです。

それと、イギリスの国葬は、
宗教色軍隊色で塗りつぶされています。
なにしろ教会での葬儀だし、
聖書を読むし、説教するし、
王族たちも軍服を着ての参列。
日本では考えられません。

安倍元首相の国葬は、
政教分離で、宗教色なし。
当然、軍隊も参列することはありません。

しかし、最大の違いは、棺がないこと。
既に私的な葬儀は終わり、荼毘に付されていますから。
葬儀において、遺体の存在感は大きい。

この時期になっても、
「国葬反対」はまだしも、
「中止すべき」という主張をする人がいますが、
各国に招待状を出した今になって、中止は不可能。
中止は国益を損なうので、
そう主張する人は、いやがらせをしていることに気づいているのでしょうか。
気づいてやってるんでしょうね。

反対論を声高に叫ぶ人もいるでしょうが、
賛成論をわざわざ言う人はいない。
または、報道されない。
世論報道のアンバランスとでも言うのでしょうか。
声なき賛成の方も沢山いるはずです。

村上という自民党議員が国葬への不参加を表明。
その記者会見で安倍さんのことを「国賊」とまで言った。
この方、「国賊」が党首をつとめる党にどうして所属していたのでしょうか。
この人の政治的主張を聞くと、
立憲民主党に所属した方がいいのではないかと思えて来る。
こうした、党の意向に反対しても受け入れるところが
自民党の懐の深いところだと言えなくもないですが、
何を言っても処罰されない。
何だか、日本は「何でもあり」の国になってしまったようです。

それにしても、言うにことかいて、「国賊」とは。
日本人は惻隠の情を失ってしまったようです。

 


小説『流浪の月』

2022年09月20日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

引きこもりの大学生・佐伯文(ふみ)は、
公園で、「家に帰りたくない」と言う10歳の少女・更紗を、
自分のアパートに連れて帰り、2カ月間共に過ごす。
更紗は伯母の家に引き取られた「やっかいもの」で、
家に帰りたくない強烈な理由があったのだ。
一方、文は、ある秘密を抱えている。
その2か月間は、孤独な二人にとって、
輝くような時間だった。
(念のために書くが、二人には一切性的関係はない。)

しかし、捜索願いが出され、
文は更紗の目の前で逮捕されてしまう。
文は「誘拐犯」の「女児性愛者」の「ロリコン男」で少年院送りになり、
更紗は可哀相な「被害女児」となってしまった。

それから15年
更紗はファミレス店員として働いているが、
事件当時、「家内更紗」という珍しい実名で報道されたため、
周囲の人間には、ロリコン男の被害女児と知られおり、
同情の目で見られていた。
15年経ってもネット上の記事は消えることはなかった。

そんなある日、
同僚に連れられて訪れた深夜営業カフェの店主が
文であることに更紗は気付き、動揺する。
その日を境に15年間封じこめて来た思いが動き出す。

同棲している恋人から暴力を受けたことを契機に、
文と更紗の交流は復活し、
やがて、「15年前の誘拐犯が喫茶店を営んでいて、
被害女児との交際が再び始まっている」、
という煽情的情報が報道され、
二人は追い詰められていく。

あの2カ月間がどんなに輝くよう自由な時間であったか、
孤独な二人がどう魂の共鳴をしたかを、
世間は理解せず、
悪意のある憶測と好奇心で
興味本位に二人を話題にあげる。
人と人の間にある真実は、
誰にも分からないものなのだが、
世間は、勝手に虚像を作り上げる。
そして、「ロリコン」「変態」「可哀相な子」という罵倒の言葉。

そのため、更紗と婚約者の間は破綻し、
文と恋人らしい女性は別れを迎える。
取り残された二人は・・・

2020年本屋大賞受賞の凪良ゆう(なぎら・ゆう)の小説。
李相日監督の手によって、
松坂桃李広瀬すずの主演で映画化された。


鑑賞当時、原作は未読だったが、
今回、手に取り、
二人の気持ちが更によく分かった。
基本的に更紗の一人称で書かれ、
その中に文の視点の章がはさまり、
ある秘密が明らかになる。
その秘密は、映画では視覚的描写と、
母親との対話で描かれるが、
文の独白は、映画より一層深く苦悩として伝わって来る。

そういう意味で、映画は描き足りなく、
母親役はミスキャストだったとよく分かる。
文の「恋人」の谷あゆみは、
原作ではもっと重要なからみ方をしており、
映画で演じた多部美華子は不本意だったろう。

人間の人生の真実は、
他者からは分からないもので、
軽々しく憶測や偏見や先入観で弄ぶものではない。
同情や分かったふりは、一層傷を深めてしまう。
そのことが、物語の中から強く浮かび上がって来る。

わたしも、文も、なにも悪いことなんかしていない。
ただ一緒にいる。それだけのことを、なぜ責められるんだろう。
それも十五年も経った今になって。
誰か、どうか、この痛みを想像してみてほしい。
お願いだから、どうか。
ちがう。
そうじゃない。
わたしは、あなたたちから自由になりたい。
中途半端な理解と優しさで、
わたしをがんじがらめにする、
あなたたちから自由になりたいのだ。

昔も今も文はなにもしていない。
なのに憶測や偏見は延々と続いていき、
なにかあれば掘り起こされて、
何度も何度も新たな焼きごてを押しつけられる。

絶望的な状況で、
世間から身を隠すしかない二人だが、
ラストは映画よりもっと力強く、
希望の持てるものとなっている。

映画の感想(5月18日掲載) は↓で。

https://blog.goo.ne.jp/lukeforce/s/%E6%B5%81%E6%B5%AA%E3%81%AE%E6%9C%88 

 


映画『素晴らしき眺め』

2022年09月19日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

監督が「薬の神じゃない!」のウェン・ムーイエで、
主演が「少年の君」のイー・ヤンチェンシーということで、観た。
イー・ヤンチェンシーは中国の3人組アイドルグループのメンバー。

ハオは、深センの町で小さなスマホ修理店を経営する20歳の青年。
母を亡くし、大学を中退して、心臓病の妹・6歳を養っている。
妹は薬を手離せず、8歳までに手術しないと危ない、と言われているが、
手術台50万元(1000万円)を作るには、
スマホ修理の収入だけではとても無理。

そこへ、うまい話が舞い込んできた。
品質上の問題で送り返されてきた
大量のスマホを格安で処分するという。
ハオが修理してみると、
返品の原因がコンデンサー不良であったことを知る。
しかも、全部修理したら、90万元(1800万円)で買い取ってくれる先もみつかる。
妹の手術代のために、
10万元を工面して、不良品スマホを購入してしまう。

ところが、半月後に規制が強化され、
再生スマホが違法となってしまった。
不良品スマホと借金だけが残り途方にくれるハオ。

そこで、スマホを製造する深寧電子に、
修理したスマホを買い取ってくれるよう交渉する。
正規のスマホとして売ればいいというわけだ。
若い担当者には相手にされなかったが、
CEOに直談判すると、
その無鉄砲な姿に若い頃の自分を見たのか、
CEOはチャンスをくれる。
しかし、手付金はくれない。
スマホの修理工場を設立。
仲間を集めて、修理を始めるが、
家賃を払えと追い立てをくらったり、
仲間の一人が反逆してしまったり、
倉庫のスマホを盗まれたりの困難が続く。
そのトラブルで手に怪我をして、
高層ビルの窓掃除のアルバイトも失敗してしまう。
しかし、仲間たちが給料は後払いでもいいと、
応援してくれて、
納期までに修理を終え、
品質検査を待つが・・・

という、辛い辛い若者の苦労話
あまりひたむきなので、自然に応援したくなってしまう。
まあ、結末は想像通りだが、
なんとも言えない幸福感が漂う。


中国語の原題が「奇迹・笨小孩」で、
英語題は「Nice View 」。
中国語の意味は「奇跡・馬鹿な子供」。
愚直な青年が奇跡を起こす、というような意だろう。
で、英語題のみを日本語に訳した次第。

最後は絵に描いたような成功者の話で、ほっとする。
中国では、この手のチャイニーズ・ドリームが、まだ許容範囲らしい。
高層ビルが林立する深センの町の情景が
ハイテクで急成長した姿を見せるのが興味深い。

最初に配給広告ロゴが流れるが、
あまりに多くて、(8社)
なかなか映画が始まらず、笑える。( 社)

2022年の春、中国で大ヒットを飛ばした作品を
Netflixが配信。