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ゆがんだナショナリスト -安倍晋三の出方2
安倍晋三は自らを「偏狭なナショナリスト」とよばれることをよほど嫌ってるらしい。
あの安倍の著書『美しい国へ』では、こう名指しをされることにたいして、そう呼ぶものを口をきわめて非難している。でも、小泉がまさにそうであったように、あれほどの「正統派ナショナリスト」がアメリカの前ではまるで金縛りにでもあったかのように固まりっぱなしなのが自民党政権の常であったのだ。その最たるものが小泉だったとよんでもよい。
そこで、ポスト小泉=安倍という既定の路線がしかれている現在、その小泉の卑屈さは、そのまま安倍に引き継がれている、少なくともそういう「約束」が成立しているとみてまちがいないだろう。
安倍はその著書で、健全なナショナリズムと偏狭なナショナリズムを勝手に区分し、彼のことばによれば「拉致された日本人を取り戻すために、わたしたちが北朝鮮にたいして強い態度に出ると、『それは偏狭なナショナリズムだ』と彼らは批判する」という状況が設定されてしまう。
その結果、安倍があげる結論ともいうべき言葉がこれである。
日本人が日本の国旗、日の丸を掲げるのは、けっして偏狭なナショナリズムなどではない。偏狭な、あるいは排他的なナショナリズムという言葉は、他国の国旗を焼くような行為にこそあてはまるのではないだろうか。
これこそ何の脈絡もない、恣意的な「言説」以外のなにものではないだろう。たとえば、自らのアイデンティティを脅かすような原因がなければ他国の国旗などまったく関係ないのだから、何も国旗を焼く必要などありえはしない。焼くのは、「ナショナリスト」にしてみたら焼かねばならないような、アイデンティティを侵害するような「事実」がそこにあるからだ。
ここで安倍がいうような<健全な、あるいは偏狭な>と二項対立的な問題をわれわれはうんぬんしているのではない。先にのべたように、ナショナリストを自認してはばからない小泉=安倍が、まさにゆがんだナショナリストであることを問題にしているのだ。ゆがんだナショナリストとは、小熊英二の言説にちなんでいる。そのゆがみは、アメリカへの徹底した従属という形で表現されるものだ。アメリカの前でひれふすナショナリスト、これを日本国民は事あるごとに何度みせつけられてきたことか。
「特別な目で見る人たちがいる。ナショナリズムというと、すぐに反応する人たちだ」とのたまう安倍は、このひとことによって排他しているとも気づかずに、この著書のなかでも決してアメリカへの従属については一言もふれない。
そればかりか、安倍はつぎのようにのべているのだ。
自国の安全のための最大限の自助努力、「自分の国は自分で守る」という気概賀必要なのはいうまでもないが、核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米関係はベストの選択なのである。
これをまさにゆがんだナショナリズムというのだ。ゆがんだナショナリスト、安倍晋三。
ここまでつきあうと、もううんざりしてくるが、この安倍が改憲を政権構想の中に位置付けたと聞けば、そう安閑ともしておれないというのが率直なところだ。
尹健次のつぎの言葉に出会った。安倍はこれにどうむきあうのだろうか。
日本がアジア諸国間で信頼を勝ち得ているとは言えず、また日本がアジア諸国に貢献しているとも言えない。現実の事態はまさにアジアにおける日本の孤立である。小泉首相は日米関係がもっとも重要であり、それがうまくいけば、アジア外交もうまくいくと発言していたが、実際には逆に、アジア外交がうまくいかず、それと関連して日米関係までおかしくなるという局面に入りつつあるようである。 (『週間金曜日』)
なぜ、小泉政権のアジア外交は失敗したのか。その理由を謙虚に問いただし、そこから今後のあるべき方途を模索することが不可欠である。その場合、たんに日本政府のアジア外交だけではなく、その間の日本社会の動向、とくに歴史認識の歪みや社会全体の右傾化の深まりなどと関連して議論することが必要だと思われる。
そのまま小泉を安倍に置き換えてわれわれは読まねばならない。
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