森羅万象、政治・経済・思想を一寸観察 by これお・ぷてら
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木下順二逝く -"未清算の過去"
木下順二が逝った。
いろいろなことがめぐってくる。
劇作家としての出発点ともいえるだろう『彦市ばなし』。『風浪』『山脈』『オットーと呼ばれる日本人』、さらに『三池炭鉱』『沖縄』、山本安英との『夕鶴』。そして『子午線の祀り』。『子午線の祀り』では、コラボレートのはしりともいえる、歌舞伎、能との技法の「融合」を図った。
馬の話をするときの木下、「安保体制打破新劇人会議」での木下。
木下の眼光は、劇作でも、それをはなれた発言でも常に社会に鋭く向けられていた。
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いろいろなことがめぐってくる。
劇作家としての出発点ともいえるだろう『彦市ばなし』。『風浪』『山脈』『オットーと呼ばれる日本人』、さらに『三池炭鉱』『沖縄』、山本安英との『夕鶴』。そして『子午線の祀り』。『子午線の祀り』では、コラボレートのはしりともいえる、歌舞伎、能との技法の「融合」を図った。
馬の話をするときの木下、「安保体制打破新劇人会議」での木下。
木下の眼光は、劇作でも、それをはなれた発言でも常に社会に鋭く向けられていた。
『劇的とは』という木下の新書がある(岩波書店、1995年刊)。この著作で、木下は「未清算の過去」についてなんども繰り返している。戦後責任にたいする関心は、木下の言論活動を深く貫いていたといえる。その一節を以下にあげる。
まずいいたいのは、何度もくり返した"未清算の過去"という言葉の意味です。未ダ清算セザルノ過去。きちんと清算しておかねばならぬ問題をいい加減にしたまま、われわれは先を急ぎ過ぎていないか。それは個人的にも社会的にも。 日本敗戦以来の半世紀の中で、私にとって最も大きな"未清算の過去"は、日本の戦争責任の追及を私たち日本人が、ドイツの場合と違って、自分たち日本人の手できちんとやらず、事柄をうやむやにいたまま今日に来てしまっているということです。 戦後すぐの頃は私も、いわゆる戦後世代の若いわれわれが、日本人の戦争責任を追及すべきだと意気込んでいたようです。戦争責任をしょいこんでいない、いわば手が”きれい”なわれわれ若い世代がその追及をやる資格があると考えていました。しかしそのことはなかなか思ったように進まず時が経つうちに、私はだんだんこう考えだしたのです。 自分の手が"きれい"だったのは、戦前戦中の自分が、まだ社会的発言権を持っていなかったからに過ぎないのではないか。もし戦争中に私が例えばもの書きに既になっていたら、私もやはり陸軍報道班員か何かになって、南方あたりへ行って、帝国陸軍の、皇国軍人のすばらしさを誉めたたえる文章を書いていたかも知れない。それを拒否しそれに抵抗することは、自分にはできなかったのではないか。いや、できなかっただろう。 そうしてみると、手が"きれい"だから他人の戦争責任を追及する資格があるのだという考え方はどうもおかしい。つまり、同じ人間として批判され追及される可能性を自分も持っているのだということ、そういう辛い自覚がなければ他人の戦争責任を追及する資格はないということ――そのことにやっと気がつき始めたのは、しかし戦後も10年を過ぎて、もう世の中が旧い体制でもって着々と整備されかけた頃でした。例えば、A級戦犯として占領軍に逮捕されたことのある人物が、日本国の首相に納まってしまうという状態でありました。つまり手おくれ、というか、自分がまともな考え方に辿りつくのは、まともでない事態がいろいろ起きるのを眺めた結果、その時になって初めてわれわれ凡人はそういうことを悟るのではないか。 これが、敗戦以来の半世紀の中で私の得た大きな教訓の一つです。 やがて21世紀を迎えようとしているわけですが、その中で"手おくれ"をなるべく少なくしたいと思います。"未清算の過去"を残したまま、先を急ぎ過ぎることがないようにしたいと思います。 むかし、すぐれた思想家であった林達夫さんが、"時代の行列"という言葉を使われたことがあります。現代というものに、自分がその中に生きている時代に何の疑いも持たず、"時代の行列"の中でただぞろぞろと歩いて行く人たちの中から思想も芸術も何も生まれないといわれたわけですが、自分の生きている現代といううものに常に問いかけを、疑問を持って、"時代の行列"の中に捲きこまれてぞろぞろと歩いている人にならないように警戒しながら、21世紀へ向かって歩いて行きたいと思います。 (木下順二『劇的とは』124~126頁) |
この本のなかで、木下はまた、自らの作品『巨匠』にもふれている。
巨匠とは、旅回りの、一生芽の出なかった凡庸な老優のことだ。木下の言葉によれば、その老優の「持ち続けた演劇への執念が、あの危機的な状況のさなかに置かれたとき、老優は純粋に全く芸術家であり得た」。要するに、凡庸な老優の、ゲシュタポの前でやった朗読、それはスターが演出者にやってみせた労働よりもずっと「おきまりの、常識的な、伝統的な」朗読だったのだが、「その中に籠められていたあの老優の命をかけての"真実"が、あの時はまだ俳優志望の青年でしかなかったこのスターの心を縛った」のだ。その「あの時」こそ、まさに劇的なのであろう。
木下によれば、「“劇的”という言葉には、新聞などでしょっちゅうお目にかかります。つまりこの言葉は気軽に使われている。しかし"劇的"のもとをたどって行くと、それはそれこそ、生きるか死ぬかの決定的問題にまで遡る」。
木下にいわせるならば、おそらくいまが“劇的”なのだろう。なぜなら、この時期に、われわれは木下のいう“未清算の過去”に無反省に、回帰しようとする政権を誕生させたのだ。だから、“時代の行列”の中に捲きこまれてぞろぞろと歩いている人にならないように警戒しながら、たとえば老優が演劇にたいして持ち続けた執念を、同じく凡庸なわれわれが今度は形にすべきときなのだから。
そんなときに、われわれは木下順二という日本の知性の一人を失った。
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よく言われるように、一方のみを断罪することが清算であるとも思いません。
善悪を判定するのではなく、どのような情勢のもと、何が誰の指示でどのように行われたのか真実を知る事が重要だと思います。
いわゆるリベラル派の言う清算には、過去の日本を断罪するという感じがしてならないのです。
軍事力で他国、他民族を支配することで成り立っていた戦前の帝国主義の時代から、経済、金融による覇権の時代に変わったように思うのですが、いずれこの世界秩序が破綻した時に次に戦犯とされるのは誰でしょう。
今の時代も帝国主義時代も日本は不器用ながらこの世界の体制において優等生のようですが。
レスが遅れてしまい、すみません。
私自身は、木下のつぎの表現ですっきりしています。
何度もくり返した"未清算の過去"という言葉の意味です。未ダ清算セザルノ過去。きちんと清算しておかねばならぬ問題。
けれど、問題なのは以上の意味での「清算」を歴代の政権が認めないところにあるのではないでしょうか。たとえば戦後補償はどうでしょうか。ODAでお茶を濁す始末ですね。木下のいう「清算セザルノ過去」の「過去」を認めないわけですから、話がほとんど進みません。国際的にみてもこれは認められない、異常な姿ではないかと思います。西独のヴァイツゼッカーの発言にてらしてみて明らかなように、日本のとってきた態度は尋常ではないと私は思います。