第九

2017-03-23 14:04:08 | あれこれ
コーラスをやっていた私は、一度第九を唄ってみたいと思っていた。

思い起こせば、OL時代。
いつもべーちゃんと遊んでいた頃。
「第九聴きに行きたいな」と言うと、第九には全く興味が無かったであろうべーちゃんは、
ちゃっちゃと名フィルの第九のチケットを買ってきてくれた。
(べーちゃんは、本当にそこらのでき過ぎた彼氏よりも、私にとっては有難い人だった)
2-3回一緒に聴きに行った覚えがある。

結婚してこの市に住み始めて、第九を唄うためにその都度合唱団が作られることを知った。
まあ、素人さんが第九を唄うという催しは全国いや、世界各地で行われていると思う。
いいなあと思ったけれど、子供を産んだばかりの私には無理だと思われた。
その頃からいつか第九を唄いにいこうと思っていた。

私の住んでいるところの第九合唱団は、毎年構成されるわけではない。
3-4年に一度くらいかな?
第九の練習は夜なので、子供が小さい頃はまだ無理だった。
集金の仕事を始めてからは、毎週夜出かけるのは仕事に差し支えると思った。

私が所属していた合唱団では、私がやめてから2回ほど第九に参加したはずだ。
メンバーが集まりが悪かったからだったか、
演奏のレベルを上げたかったからだったか、依頼されて参加したと聞いた。
その頃から、私のいた合唱団の指導者が第九の方の指導もするようになった。
最初はパートの指導だったと思うが、その後総合指導をされているようだった。

この先生が、ちょっと曲者で…。
私と同じ歳で、ものすごく優秀な人。
性格も決して悪くはないと思うのだけれど、なんと言うか…。
でき過ぎた人の難点を持ち合わせていると言うか…。
私たち凡人の気持ちはわからないのかな?と思うような、
いや、決してわからないわけではなくて、わかっていて、それでも自分の夢が大き過ぎて、
うまく私達凡人を誘導してしまうような…。
それをまた、周りで持ち上げる人がいたりするので、わけがわからなくなって…。
何を言ってるのかわからないだろうけど、まあただ単に「いい人!!」とは言えないところがある。
でも、私は彼女の音楽的才能?は尊敬していた。
彼女の創り上げる音楽は好きだった。
彼女の指揮はとても唄いやすいと思っていた。

今年も、何かで第九合唱団の募集の案内を見た。
ちょっと気持ちが動いた。
でも、今からボランティアを始めて生活がどう変わるかわからない。
ぐずぐずダラダラ生きている私にとって、一度に二つも新しいことを始める勇気はないとやめておこうと思った。

そのしばらく後、コーラスをしていた時の友達と連絡をとる機会があった。
その時に誘われた。「第九、唄おうよ!!」
私は、唄いたい気持ちはあるんだけど、今回もやめておこうと思った理由をあれこれとまくしたてた。
「そんなの何とかなるよ!第九唄った後の感動はすごいよ!!」
(彼女は経験者である)
「ちょっと考えさせて」そう答えたけれど、
私の気持ちはもうずいぶんと唄いに行く方に傾いていた。

そうだ。やりたいことは何でもできるだけやってみようと思ったんじゃなかったか。
第九の練習をすることは、音訳の方にもプラスになるはずだ。
やめる理由なんてないことに気づく。
というわけで、私は今朝申し込みのハガキを書いた。
先着順なので、間に合わなければそれはそれで諦めもつく。

年末にはすがすがしい気持ちでここに報告できればいいなと思う。

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