グループトーク

2017-08-28 12:03:18 | 日記
去年の秋の旅行以来、私の中にはちばこちゃんに対するわだかまりがあった。
30年以上大好きな友達だと思っていた相手が、私の嫌いな部類の人間だったんだとわかったというような、
そんな感じだった。
それなのに、もうずっとちばこちゃんがfacebookに何もアクションを起こしていないことが気になった。
投稿をしないということじゃない。
私の投稿にいいね!をくれないというレベルのことでもない。
本当に全く何もないのだ。
どうかしたのかな?
ただ何かにすねているだけならいいのだけれど。
気になったので、「元気?」ってライン入れてみた。
お嬢さんのことで悩んでいるのだと返信があった。
わだかまりのことなんて忘れて、私は思いつく限りの言葉を返していた。

それが一月くらい前のことだろうか?
やはりちばこちゃんの動向が気になったらしく、はまこちゃんがグループトークでちばこちゃんを心配する言葉をかけてきた。
それで一気に盛り上がる。
(盛り下がると言うべきか?)

私は、既にちばこちゃんには言葉をかけていたので、重複するような発言はしなかった。

みんながちばこちゃんにかける言葉に疑問を感じてしまう。
そうなのかなあ?
でも、そう言うしかないよなあ?

みえこちゃんは、自分が辛かった時の経験を長々と書き綴っていた。
ああ、それは昔の私がよくやった手法だ。
私だって辛かったけど大丈夫だよ、みたいな?
仲間だよ、みたいな?
何か違うんだよなって思った。

人を批判するつもりはないが、
私が周りを観察して思うのは、
子供が問題を抱えてしまった場合(それはその子にとって通過点にすぎないのだが)、
大抵は親子関係に問題がある。
と言っても、責められるべきは親であるという単純な話ではない。
親の方が精神的な問題を抱えているとか、
子供に期待をかけ過ぎるとか、
それくらいのことだ。

「私がいけなかったのかなあ?」と言うちばこちゃんに、
「そんなことは絶対にない」と言うはまこちゃん。
確かにその通りなのである。
間違ったことがあったもしても、
そのことを悔いてくよくよしたって何も始まらない。
過去は変えられないのだから、前を向いて進んでいくしかないのである。
それにたとえどんなにひどい親だったとしても、
子供はすべてを自分で選択して生きてきたのである。
今後も自分の選択を重ねていかなければならない。

それでもやっぱり思うのである。
旅行の時に聞いたちばこちゃんの子育て法が察せられる言葉。
私の嫌いなやり方。
その影響はあるのじゃないのかな?
ちばこちゃんの「私がいけなかったのかなあ?」に対して、
私は答える言葉を持たなかった。

一体何が言いたくてこんなことを書いているのか?
ただ私はまだまだ人を受け入れることのできない未熟者だということだろうか?
とにかくもやもやするのである。
このグループでのトークにはいつももやもやする。

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