時の流れに

2016-10-14 12:57:47 | 日記
いつの間にか55歳になった。
もちろん、常に自分の歳は知っていた。
(勘違いしていたこともあったけど)。
でも、「歳を数える」ということはしてこなかった気がする。

若いころからずっと、「早く歳をとって死にたい」と思ってきたから、
歳をとるということは、哀しいことでも何でもなかった。
でも、今ふと思う。
私に、幼少期があったこと、青春時代があったこと。
その時々のことが、きちんと記憶に残ってはいるのに、
何だか不思議な感じがする。
55歳になって、当時のことを振り返っている自分がここにいるということが。

55歳になって…。
何だろう?
もうこれ以上歳をとりたくないというような思いがある。
このまま生き続けたいわけではない。
言ってみれば、今の状態のままで死にたいのである。

自分の容貌とかに、それほど気を使ってきたわけではない。
そりゃあ、ぶさいくに見えるよりは、かわいく見えた方がいいと思ってきた。
でも、しみとかしわとか気にして、化粧品を選んだり、
肌のお手入れをしたり、ということとは無縁だった。
(何と言っても、先のことを考えるのは苦手だったからね!)

でもやっぱり、腰や背中が曲がるのは嫌だ。
見るからに「おばあちゃん」と言われる顔立ちになるのは嫌だ。
目が見えなくなるのは嫌だ。
歩けなくなるのも嫌だ。

「素敵に歳を重ねる」という言葉がある。
何だ?それ。
多分、内面から滲み出るものを指すのだろう。
そんな内面を私は持ち合わせていないだろう。
それほどの人生を生きてはいない。

もちろん、高齢者を否定するわけではない。
どんな人でも生きていくことは苦労の連続なのだから、「素敵な老後」というものはあっていいと思う。
でも、私は本当のところ、高齢者というのが好きではないのかもしれない。
好きではないというとちょっと違う。
若い人より、高齢者さんの方が話しやすかったりするし。
何なんだろう?

今の高齢者社会、高齢者相手の職業は多い。
友達にも、子育てが一段落してからヘルパーの資格を取って、介護職についている人もいる。
でも、私の選択肢にはなかった。
私には絶対無理。
重労働だからが理由ではない。
私には、真剣に高齢者さんと向き合う自信がない。
祖父母に育てられたはずの私なのに、どうしてだろう?

ああ、そうか。
私の場合、高齢者に限らず、人のお世話をするなんてことはできないのだ。きっと。
だから、看護師も保育士も無理。
どれもきっと、心と心で繋がれる素敵なお仕事なんだろうけどな。
私には、何かが欠けているのかな?

何か話がずれてきたな…。

何とか、あと20年を生き永らえようと思っている。
あと20年が、30年になったら最悪だ。
20年後の私も、やはりこうやって、55歳の私を振り返っているんだろうな。
今よりは、もう少しまともな心境で、人生を終わらせることができるのかな?
そうだといいな。
私が生きてきたことの意味を、もう少し理解できるようになっていればいいな。

100年前も100年後も 私がこの世にいないことは同じ(『永久欠番』中島みゆき)

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