いつの間にか55歳になった。
もちろん、常に自分の歳は知っていた。
(勘違いしていたこともあったけど)。
でも、「歳を数える」ということはしてこなかった気がする。
若いころからずっと、「早く歳をとって死にたい」と思ってきたから、
歳をとるということは、哀しいことでも何でもなかった。
でも、今ふと思う。
私に、幼少期があったこと、青春時代があったこと。
その時々のことが、きちんと記憶に残ってはいるのに、
何だか不思議な感じがする。
55歳になって、当時のことを振り返っている自分がここにいるということが。
55歳になって…。
何だろう?
もうこれ以上歳をとりたくないというような思いがある。
このまま生き続けたいわけではない。
言ってみれば、今の状態のままで死にたいのである。
自分の容貌とかに、それほど気を使ってきたわけではない。
そりゃあ、ぶさいくに見えるよりは、かわいく見えた方がいいと思ってきた。
でも、しみとかしわとか気にして、化粧品を選んだり、
肌のお手入れをしたり、ということとは無縁だった。
(何と言っても、先のことを考えるのは苦手だったからね!)
でもやっぱり、腰や背中が曲がるのは嫌だ。
見るからに「おばあちゃん」と言われる顔立ちになるのは嫌だ。
目が見えなくなるのは嫌だ。
歩けなくなるのも嫌だ。
「素敵に歳を重ねる」という言葉がある。
何だ?それ。
多分、内面から滲み出るものを指すのだろう。
そんな内面を私は持ち合わせていないだろう。
それほどの人生を生きてはいない。
もちろん、高齢者を否定するわけではない。
どんな人でも生きていくことは苦労の連続なのだから、「素敵な老後」というものはあっていいと思う。
でも、私は本当のところ、高齢者というのが好きではないのかもしれない。
好きではないというとちょっと違う。
若い人より、高齢者さんの方が話しやすかったりするし。
何なんだろう?
今の高齢者社会、高齢者相手の職業は多い。
友達にも、子育てが一段落してからヘルパーの資格を取って、介護職についている人もいる。
でも、私の選択肢にはなかった。
私には絶対無理。
重労働だからが理由ではない。
私には、真剣に高齢者さんと向き合う自信がない。
祖父母に育てられたはずの私なのに、どうしてだろう?
ああ、そうか。
私の場合、高齢者に限らず、人のお世話をするなんてことはできないのだ。きっと。
だから、看護師も保育士も無理。
どれもきっと、心と心で繋がれる素敵なお仕事なんだろうけどな。
私には、何かが欠けているのかな?
何か話がずれてきたな…。
何とか、あと20年を生き永らえようと思っている。
あと20年が、30年になったら最悪だ。
20年後の私も、やはりこうやって、55歳の私を振り返っているんだろうな。
今よりは、もう少しまともな心境で、人生を終わらせることができるのかな?
そうだといいな。
私が生きてきたことの意味を、もう少し理解できるようになっていればいいな。
100年前も100年後も 私がこの世にいないことは同じ(『永久欠番』中島みゆき)
もちろん、常に自分の歳は知っていた。
(勘違いしていたこともあったけど)。
でも、「歳を数える」ということはしてこなかった気がする。
若いころからずっと、「早く歳をとって死にたい」と思ってきたから、
歳をとるということは、哀しいことでも何でもなかった。
でも、今ふと思う。
私に、幼少期があったこと、青春時代があったこと。
その時々のことが、きちんと記憶に残ってはいるのに、
何だか不思議な感じがする。
55歳になって、当時のことを振り返っている自分がここにいるということが。
55歳になって…。
何だろう?
もうこれ以上歳をとりたくないというような思いがある。
このまま生き続けたいわけではない。
言ってみれば、今の状態のままで死にたいのである。
自分の容貌とかに、それほど気を使ってきたわけではない。
そりゃあ、ぶさいくに見えるよりは、かわいく見えた方がいいと思ってきた。
でも、しみとかしわとか気にして、化粧品を選んだり、
肌のお手入れをしたり、ということとは無縁だった。
(何と言っても、先のことを考えるのは苦手だったからね!)
でもやっぱり、腰や背中が曲がるのは嫌だ。
見るからに「おばあちゃん」と言われる顔立ちになるのは嫌だ。
目が見えなくなるのは嫌だ。
歩けなくなるのも嫌だ。
「素敵に歳を重ねる」という言葉がある。
何だ?それ。
多分、内面から滲み出るものを指すのだろう。
そんな内面を私は持ち合わせていないだろう。
それほどの人生を生きてはいない。
もちろん、高齢者を否定するわけではない。
どんな人でも生きていくことは苦労の連続なのだから、「素敵な老後」というものはあっていいと思う。
でも、私は本当のところ、高齢者というのが好きではないのかもしれない。
好きではないというとちょっと違う。
若い人より、高齢者さんの方が話しやすかったりするし。
何なんだろう?
今の高齢者社会、高齢者相手の職業は多い。
友達にも、子育てが一段落してからヘルパーの資格を取って、介護職についている人もいる。
でも、私の選択肢にはなかった。
私には絶対無理。
重労働だからが理由ではない。
私には、真剣に高齢者さんと向き合う自信がない。
祖父母に育てられたはずの私なのに、どうしてだろう?
ああ、そうか。
私の場合、高齢者に限らず、人のお世話をするなんてことはできないのだ。きっと。
だから、看護師も保育士も無理。
どれもきっと、心と心で繋がれる素敵なお仕事なんだろうけどな。
私には、何かが欠けているのかな?
何か話がずれてきたな…。
何とか、あと20年を生き永らえようと思っている。
あと20年が、30年になったら最悪だ。
20年後の私も、やはりこうやって、55歳の私を振り返っているんだろうな。
今よりは、もう少しまともな心境で、人生を終わらせることができるのかな?
そうだといいな。
私が生きてきたことの意味を、もう少し理解できるようになっていればいいな。
100年前も100年後も 私がこの世にいないことは同じ(『永久欠番』中島みゆき)
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