報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

【 洗濯物 】

2005年02月25日 19時44分58秒 | 写真:ベトナム
サイゴン・ベトナム

ベトナム都市部の住環境は、アジアの中でも特に悪い。
ほとんどのアパートにはトイレがなく、壷や盥で用を足しているのが現状だ。
上下水道のインフラ整備計画が進められているものの、
個々の住宅に上下水道が整備される見込みはない。
おそらく人が住めなくなるまで放置されるだろう。

都市部には古い下水処理施設はあるものの、ほとんど機能していない。
単なる集水場と化した施設から、生活廃水がそのまま河川に流れ込んでいる。
流量の少ない都市部の川では、汚染物質が滞留し続けている。

ドイモイ(改革)政策により、多くの外資系企業がベトナムに進出してきたが、
これら外資系企業がさらに河川の環境破壊を促進している。
外資系企業は、廃水処理施設の建設コストや運転コストを嫌い、
産業排水をそのまま河川や水路に放流している。
ベトナムの河川の汚染は、深刻な域に達している。
外資系企業は、ベトナムの超低賃金労働が目的であって、
ベトナムの環境破壊は意にも介していない。

【 ベトナム・コーヒー 】

2005年02月24日 19時38分02秒 | 写真:ベトナム

ベトナムでは、どこでもおいしいコーヒーが気軽に飲める。
個人的意見としては、現地の街角で飲むコーヒーの中では、
コロンビアについで二番目においしいと思っている。

ベトナムはコーヒー豆の大生産国で、
輸出高はブラジルについで世界第二位である。
ただ、酸味や渋みが強いロブスタ種であるため、
ブレンドコーヒーやインスタントの原料として使用されている。
残念ながら、「ベトナム・コーヒー」としては売られていない。
アラビカ種も生産されているが、生産量は少ない。

コーヒー栽培は、主にベトナムの中部高原地帯で行われている。
1980年代、外貨獲得の換金作物のひとつとして、
政府の勧告により、いわば強制的にはじまった。
しかし、ベトナムのコーヒー輸出高の急増とともに、
国際的なコーヒー豆の価格が暴落。
コーヒー栽培農家はわずかな収入しか期待できなくなった。
しかも、主穀の栽培ができなくなったため、
こうした地域で、たびたび飢餓が発生する事態もまねいた。

世界銀行とFAO(国連食料農業機関)の勧告に、
ベトナム政府が無思慮に従い、
食料自給自足政策を廃止した結果である。

おそらく、コーヒー輸入業者だけは暴利を得ているに違いない。

【 水路 】

2005年02月23日 18時19分07秒 | 写真:ベトナム
カントー・メコンデルタ

水と緑のメコンデルタ。
メコン川の運ぶ土壌は、二毛作三毛作を可能にしている。
マンゴー、ランブータン、竜眼など果樹栽培も盛んだ。
これほど豊かで美しい土地はそんなにはない。
ベトナムは、世界第二位の米輸出国でもある。

しかし、農民の暮らしは、決して豊かとは言い難い。
ベトナムでは、実質的な土地所有が認められているが、
メコンデルタでは土地を手放し小作農に転落した農民が約15%にもなる。
一方で、外国資本や富農は大規模農法により効率よく利益をあげている。
ベトナム政府は、農民が貧しいのは土地がないせいではなく、
「学がなく経験と知識が乏しい上に子供をあまりにもたくさん生むからである」
 としている。



【 ヒューイ 】

2005年02月22日 15時04分38秒 | 写真:ベトナム
サイゴン・ベトナム

サイゴンの旧アメリカ大使館前では、
コカコーラの空き缶で作ったヒューイ・ヘリコプターが売られていた。

1975年4月、アメリカ大使館の屋上は阿鼻叫喚と化していた。
解放戦線が、サイゴンの目の前まで迫っていた。
ヒューイに乗って脱出できる人数には限りがある。
屋上のヒューイにしがみつくベトナム人。
そのベトナム人の顔面をヒューイの中から殴りつけるアメリカ人。
確かその写真は、ピュリッツア賞を獲ったと記憶している。

ヒューイ・ヘリコプターは、ある意味、ベトナム戦争を象徴する存在だ。
映画の中でも、たいていは準主役あつかいだ。
『地獄の黙示録』のベストショットは、
ワーグナーのワルキューレの騎行をバックに編隊飛行するヒューイだろう。

当時、携帯式対空ミサイルはなく、
編隊飛行でも撃ち落される危険は少なかった。
ヒューイはベトナムの空を縦横無尽に飛び回り、
好きなだけ銃弾やロケット弾を地上に撃ち込むことができた。

旧アメリカ大使館前で売られているコカコーラのヒューイ・ヘリコプターは、
最初はブラックユーモアかと思った。
ベトナム戦争終結から30年。
ベトナムの若者はもはや戦争を知らない。

【 昼寝 】

2005年02月21日 15時47分04秒 | 写真:ベトナム
サイゴン・ベトナム

先進国の主要な生産設備は海外へ移転し、空洞化が進んでいる。
海外へ移転した企業は、安い労働力を使って、
国際競争力のある製品を生産している。
これを、途上国へ雇用を提供しているととらえるべきか。
IMFや世界銀行が事前に途上国の産業を破壊し、
多量の失業者を生み出した後、外国企業が進出する。
それによって外国企業は破格の低賃金で労働力を確保できる。
ベトナムでの外資系企業の最低賃金は月45ドル。
一日1.5ドル。

【 戦争犯罪博物館 】

2005年02月20日 19時07分14秒 | 写真:ベトナム
サイゴン・ベトナム

「戦争犯罪博物館」のアメリカ製戦車の上で記念撮影をするベトナム兵。
もともとは「アメリカ戦争犯罪博物館」という名称だったが、
名称から「アメリカ」が消え失せ、展示内容もかなりトーンダウンした。

1986年、IMFと世界銀行がベトナムに乗り込んできた。
結果、多くの国営企業が破綻し、かわりに外国企業が進出した。
農業も衰退し、アジアの米どころメコンデルタでさえ飢餓が発生した。
農地を失う農民が急増し、共産主義国家で小作農が復活した。
教育、医療、福祉サービスも崩壊した。
ベトナム経済は、IMFと世界銀行の手腕でみごとに崩壊し、
かつてベトナムを侵略した国家、
フランス、日本、アメリカによって再侵略されている。

【 ドブ川 】

2005年02月19日 19時39分17秒 | 写真:ベトナム
サイゴン・ベトナム

これほど見事に真っ黒なドブ川は見たことがない。
見た目もさることながら、悪臭もすさまじい。
その両岸には、貧困層の家屋がびっしりと軒を連ねている。

ベトナム戦争終結から30年。
ベトナム国民の大部分は、いまだ貧困の縁で暮らしている。
戦争の終結により、物理的な殺戮は終わった。
銃弾や砲弾で傷つく人々がなくなったことは喜ばしいことだ。
誰もが、ベトナム問題は終わったと思った。
しかし、新たな殺戮の手段がベトナム国民を待ち構えていた。
「自由市場」という破壊的兵器だ。

【 シクロ 】 

2005年02月18日 18時50分45秒 | 写真:ベトナム
 
サイゴン・ベトナム

サイゴンは旧名であって、いまはホー・チ・ミン市だ。
しかし、「ホー・チ・ミン市」と表記することには抵抗を感じる。
たぶんベトナム戦争の報道と共に育ったからだろう。
ベトナム戦争の終結は、喜ばしいことだった。
しかし、サイゴンがホー・チ・ミン市と改名されたとき、何か違和感を感じた。
戦利品として、町の名前を取上げるなどあっていいのだろうか。
東京が、「トルーマン市」になるようなものだ。
サイゴンは、あくまでサイゴンだ。

(10)カンボジアの地雷 余話

2005年02月14日 18時52分56秒 | ●カンボジアの地雷
 カンボジアの屋台などで食事をしていると、松葉杖をついた人や手作りのボロボロの義足をした人が近づいてくることがある。観光客へ、いくばくかの施しを求めにくるのだが、実は、カンボジアの地雷被害者への義足の供給率は、ICRC(国際赤十字協会)等の努力によって、ほぼ100%に達しているのだ。いや、だからといって、彼らが観光客を欺いているとは、思わないで欲しい。そのくらいのささやかな生きる工夫は許されたい。カンボジアでは健常者でさえ仕事がないのだから。

 公式な資料では、カンボジアの失業率は「不明」「データなし」となっている。それが最も的確な表記だろう。中には数字を挙げているものもあるが、その数字は見事にばらばらだ。30%から2.8%まで。カンボジアの失業率が2.8%というのはどうかと思うのだが、しかし、その数字が事実を反映していないと言うこともできない。絶対的なデータ調査の方法などはないのだから。たとえば、仕事のない人が仕方なく屋台を営んでいる行為を「失業」と見るか、「就業」と見るかは調査者次第となる。しかし、データなど取りようがない状態「不明」というのが、カンボジアの現状を最もよく表していると思う。

 カンボジアについては、地雷以外について調べたことはなかったのだが、今回カンボジアの状況について少し調べてみて、気になることを発見した。土地問題だ。

 法的な土地の登記をしているカンボジアの農民は、全体の10%しかいないらしい。そして農民の土地が、権力者や資本家によって大規模に騙し取られているという報告がある。土地を詐取された農民は、小作農となるか、都市に流れるしかない。いずれにしろ、ぎりぎりの生活しかできず、カンボジアの貧富の差を急速に拡大しているという。

 戦争、紛争が終わっても、それだけでは決して平和とは言えない。国民が安寧に暮らせなければ何の意味もない。たいていの場合、戦争や紛争の終結は、貧困や飢餓という新たな攻撃の始まりを意味している。カンボジアでは、権力者や資本家が、農民の土地を騙し取り、農民を貧困の縁へと追いやっている。カンボジアの人口の約7割が農民だ。貧困は戦争と同じく国民生活を大規模に破壊する。戦争や紛争の終結後、国民が経済的な安定を遂げた例を、僕はほとんど知らない。

 貧困の根本的な解決の手段のひとつは、土地所有なのだが、なぜか国際機関はこの問題には決して手をつけない。国際機関は、大土地所有を野放しにし、貧富の差の拡大を促進しているようにしか見えない。僕には、国際機関は本質的な世界の貧困の解決を望んでいるとは思えないのだ。

 国際的なコンセンサスとして「貧困撲滅」が叫ばれているが、国際機関のしていることは、実際にはまったく正反対の「貧困の加速化」にしか見えない。世界規模の貧困の撲滅とは、すなわち世界の富裕層の没落を意味するからだ。

(9)義足の製作と歩行訓練

2005年02月11日 19時36分03秒 | ●カンボジアの地雷
カンボジアのICRC(国際赤十字協会)整形外科センターは、地雷により四肢を損傷した人たちの義足、義手の製作と歩行のリハビリを一貫して行っている。患者は、リハビリが終了するまでICRCの施設に宿泊する。義手、義足の製作、食事等すべて無料である。

最新の製作技術が指導されている。品質は先進国のものと変わらない。僕が訪れた当時は、日本人の技師によって製作の指導が行われていた。






傷口が治癒してもすぐには義足を装着できない。歩行時には、全体重が傷口にかかるため、まず患部を鍛えなければならない。入院から退院まで3ヶ月ほどかかる。
































優れた義足はこうした飛び石でも、安定した歩行ができる。































高品質の義足と適切な指導と訓練により、自然な歩行が可能となる。バランスを崩す人はまったくいなかった。






























一個5ドル足らずの地雷が奪うものはあまりにも大きい。
この地上に、一億個とも言われる埋設地雷。
気の遠くなるような数字だ。
今世紀いっぱいかけても、すべての地雷を撤去することは難しい。

最後に、多忙にもかかわらず、取材に協力していただいたCMAC、エマージェンシー、ICRCの方々に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

(8)地雷被害者への医療活動2

2005年02月10日 23時02分20秒 | ●カンボジアの地雷

バッタンバンにあるイタリアの医療支援団体「エマージェンシー」の病院は、清潔で広々としている。施設の管理も行き届いている。その組織能力、運営能力にはおどろく。こうした活動は、はじめた以上は大きな責任を伴なう。資金がなくなったから続けられません、などという無責任な活動は許されない。よほどの自信と覚悟がなければできない活動だ。

あらゆる空間にゆとりがあり、清潔感にあふれている。






































患者用の食堂兼カフェテリア。











































患部のマッサージ治療。











退院をまじかに控えた患者。このあと、ICRC(国際赤十字協会)へ移り、義足の製作と義足歩行のリハビリに入る。





















(7)地雷被害者への医療活動1

2005年02月09日 18時20分50秒 | ●カンボジアの地雷
【Emergency】
ここはイタリアの医療支援団体「エマージェンシー」が運営する病院(バッタンバン市)。
主に地雷に接触した被害者の手術とリハビリを行う。
非常に高度な医療技術を持つ団体で、ほかにもアフガニスタン、イラク、コソボなど世界各地で活動している。組織運営力は並外れている。
ほとんどの人が農作業中に地雷に接触した。
患者は、約40日間ここに滞在する。もちろんすべての費用は無料だ。
僕がエマージェンシーを訪れたときは、カンボジアのお祭りの時期だったので、ある程度体力の回復した患者は、村に一時帰っていた。



























































































地雷の被害者以外にも、高度な外科技術が必要な、ポリオの子供の手術なども行っている。